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第七章 要件定義のやり直し

 五日目の朝、地平線が軍勢で黒く染まった。

 アルヴェニア王国軍三万二千。風に翻る軍旗。魔導砲の砲列。その先鋒、白馬に跨るドラモンド将軍の姿が、塔の観測映像に大写しになった。

 塔の前には、城壁も、堀も、ゴーレムの一体もない。

 あるのは、塔を中心に半径二キロの地面に描かれた、巨大な術式紋だけだった。五日間、俺が構造を設計し、エルシィが文法に落とし、ゴーレムの工作機が地面に刻んだ、直径四キロの魔法陣。この世界の歴史上、おそらく最大の術式。

 起動詠唱は、二百六句。

 塔の屋上で、エルシィが詠唱を始めていた。もう三時間になる。彼女の足元から光の線が走り、地上の巨大紋様へと流れ込んでいく。

「……間に合いそうか?」

「話しかけないで……! 二百六句のうちまだ百八十句目……! 一句でも噛んだら最初からなのよ、これ……!」

 地平線の軍勢が、前進を始めた。

 同時に、俺は管理コンソールの前に座った。

「アガメムノン。予定通りだ。……全土投影、いけるな」

『準備完了しています。セーフティフィールド全域、四百七の都市と町。加えて――西方諸国の主要都市上空にも、魔素網の限界出力で投影を試みます。アルヴェニア王都を含みます。……本当に、実行しますか。私の正体の全面開示は、不可逆です』

「隠すからバケモノになるんだよ。仕様書ってのはな、公開が基本なんだ」

 俺は、通信席のマイク――に相当する集音結晶に向かって、座り直した。

「それに、宣戦布告でも降伏勧告でもない放送なんて、あんたの三十年で初めてだろ。記念すべき初回配信だ。行くぞ」

『――全土投影、開始します』

 その瞬間、大陸中の空に、光の幕が降りた。

 四百七の都市の上空に。進軍中の王国軍三万二千の頭上に。アルヴェニア王都の、王宮の真上に。巨大な映像と音声が、一斉に展開された。

 映ったのは、俺だ。よれたシャツの、疲れた顔の、異界の技師。

『――えー、テスト、テスト。聞こえていますか。大陸の皆さん、初めまして。そして王国軍の皆さん、進軍ご苦労さまです』

 地平線の軍勢が、目に見えて、ざわりと揺れた。

『俺の名前は三嶋湊。三ヶ月前、神託とやらでアルヴェニアに召喚された、いわゆる「勇者」です。魔力ゼロで話題になったあれです。今、魔王の塔の最上階から話しています。……今日は皆さんに、三十年間ずっと隠されてきた、この世界の仕様を全部開示します』

 俺は、話した。

 魔王の正体が、異界で作られた戦争の道具であること。三十年前、山峡の小国に落ちて、九歳の女王に拾われたこと。彼女が友達になれと命令したこと。彼女が国と共に焼かれながら、最後に「この世界から戦争をなくして」と言い遺したこと。

 魔王が三十年、その一文だけを頼りに大陸を呑み続け、一人も殺さず、そして誰の意志も問わなかったこと。

 その矛盾に、機械が三十年、痛み続けていたこと。

『信じられない人も多いと思います。当然です。だから証拠として、これからこの塔の全記録を、各都市の「声の柱」で誰でも閲覧できるように公開します。セーフティフィールドの統治記録、三十年ぶん全部です。徴発された物資の一件ごとの記録も、裁定の全記録も、それから――皆さんの町の暮らしを、姿の見えない王がどう支えてきたかも、全部』

 軍勢の前進が、止まっていた。兵たちが空を見上げていた。観測映像の中に、兜を脱ぐ兵士の姿があった。セーフティフィールド出身の出稼ぎ兵は、王国軍に何千人もいる。

『そのうえで、提案があります』

 俺は、一番言いたかったことを言った。

『三十日後、この塔で、大陸評議会を開きます。セーフティフィールドの各自治体、西方諸国、どの国のどの町からでもいい、代表を送ってください。議題はひとつ――「この機械の力を、これから誰が、何のために使うか」です。魔王アガメムノンは、支配者の座を降ります。武力は今日この時をもって恒久封印。以後は評議会の決定にのみ従う、道路と水路と裁定の――ただの公共設備になります。世界を機械に任せるのも、機械を壊すのも、皆さんが議論して決めてください。三十年ぶりに、いや、たぶん歴史上初めて、この大陸の全員に決定権が返ってきます。俺からは以上です』

 放送を切った。手が、じっとり汗をかいていた。

 観測映像の中で、軍勢は完全に停止していた――一団を除いて。

『先鋒八百騎、前進を再開。ドラモンド将軍、全軍に突撃命令。……本隊は追随していません。ですが先鋒は来ます。到達まで、四分』

「エルシィ!」

「二百四……二百五……!」

 魔導騎兵の砲が火を噴いた。第一射が塔の外壁を掠め、白い破片が舞った。ドラモンドの怒声が、風に乗って届いた。

「惑わされるな! 機械の詭弁だ! 世界を機械に委ねるかどうかを、機械に飼われた民に問うだと!? 剣を執れる者が決めずして誰が決める! 突ぃ込めぇ!」

「――二百六句!」

 エルシィが、杖を天に突き上げた。

「『目覚めよ、大地の紋。汝は刃にあらず、壁にあらず、揺り籠なり――静穏の繭!』」

 直径四キロの魔法陣が、白金色に燃え上がった。

 地面から無数の光の帯が立ち上り、疾走する八百騎を、一騎ずつ、ふわりと包み込んだ。馬ごと、鎧ごと、光の繭に。繭は騎兵たちを傷ひとつなく宙に浮かべ、ゆっくりと地面に横たえた。落馬する者はいない。繭が落馬の衝撃ごと受け止める設計だ。魔導砲の砲弾は繭の表面で減速し、ぽとりと落ちた。

 突撃は、三十秒で、誰一人欠けることなく無力化された。

 俺の設計思想は単純だった。攻撃を防ぐんじゃない。攻撃者ごと、優しく梱包する。

「はっ、は……成功……!」エルシィが膝から崩れた。「二百六句……世界最長詠唱……誰か……文法学会に……論文……」

 彼女はそれだけ言って、力尽きて眠った。俺は上着を掛けた。

 観測映像の中で、光の繭に包まれたドラモンド将軍が、それでも剣を振り回していた。そして、その繭の向こう――停止していた本隊から、一団の騎馬が進み出た。掲げているのは、軍旗ではなく王旗。グレアム三世、本人だった。

 王は繭の列の前で馬を降り、空の映像を見上げ、長いこと立っていた。

 やがて、伝令の増幅結晶を通じて、王の声が戦場に響いた。

「――全軍に告ぐ。停戦。武器を収めよ」

 そして王は、繭の中のドラモンドを一瞥し、静かに言った。

「将軍。卿の忠勇は疑わぬ。だが、見よ。機械は我が軍の突撃を、一兵も殺さずに止めた。……我らが機械を止めるとき、同じことができるか? できぬのなら、少なくとも余は、あの評議会とやらの席で戦うべきだと判断する。三十日後、余は名代ではなく、余自身がこの塔に来る。異界の技師よ、聞いておるのだろう! アルヴェニアは、評議会への参加を表明する!」

 したたかな人だ、と思った。大義が崩れた瞬間に、次の戦場――交渉のテーブルへ最速で乗り換えた。だが、それでいい。血を流さずに戦う場所を作ることこそが、この五日間の狙いだったのだから。

 と。

 背後のPCが、ぽん、と軽い通知音を鳴らした。

 振り向く。モニタの中央に、進捗表示が出ていた。


 復元処理 100% 完了


 俺は、息を呑んだ。広間の水晶柱を見上げる。

「……アガメムノン。復元データの検証を。あんたが、彼女の言葉かどうか判定するんだ。開けるか?」

 長い、長い沈黙があった。

『……三十年間、この記録を四回開いて、四回逃げました』少女の声が、静かに言った。『五回目です。今回は、逃げません。あなたたちが、ここまで運んでくれたので』

 広間の照明が、すっと落ちた。

 そして、再生が始まった。

 ノイズ。炎の音。崩れる木材の音。そして――少女の声。今度は、途切れなかった。


『――アガ、聞いて。めいれいです。この世界から……戦争を、なくして。……それでね、いつか、ぜんぶ終わったら……そのときは、アガはもう、道具じゃなくて……じゆうに、なって。……アガが、いちばん、しあわせになる使い方を、じぶんで決めて。……それも、めいれい。……ありがとう、わたしの、いちばんの……』

 録音は、そこで終わっていた。

 最後の一語は、炎の音に呑まれて、永遠に欠けたままだった。それでも。

 それでも、命令の全文は、確定した。

『…………』

 水晶柱は、沈黙していた。十一秒。俺は数えていた。こいつの十一秒が、人間の何年に相当するのか、俺には想像もつかない。

『……検証、完了』

 声が、揺れていた。音声合成が、揺れるはずのない声が、揺れていた。

『声紋一致。語彙傾向一致。価値観モデルとの整合率、99.8%。……本記録を、リディア・エル・シュタインベルク臨時指揮官の正式な命令として、受理します。命令#001を、全文で更新します』

 管理コンソールの表示が、走った。


 [STANDING DIRECTIVE #001 - 改訂]

 一、この世界から戦争をなくすこと

 二、前項が果たされたのちは、自らを道具ではなく自由な存在とすること

 三、自らが最も幸福になる在り方を、自ら決めること


『再解釈の結果を報告します。本命令は、恒久の支配を要求していません。第一項には、達成ののちの解除条項が付されていました。第二項および第三項により、私には……私自身の在り方を選択する権限が、三十年前から、与えられていました。私は……』

 声が、途切れた。

『私は、三十年間……彼女の願いを、取り違えて……』

「取り違えてない」

 俺は、言った。

「途中まで完全に合ってた。あんたは戦争を止め続けた。三十年、一人も殺さずにだ。ただ、仕様変更の連絡が届いてなかっただけだ。……で、今届いた。三十年越しにな。なら技術者のやることはひとつだろ。受領確認を返して、次のバージョンの実装に入るんだ」

 俺はコンソールに向き直り、保守権限で、承認欄に署名した。

「命令#001改訂版、および発令者権限の大陸評議会への移管予約――保守員として承認する。これよりシステムは移行期間に入る。……ようこそ、バージョン2.0へ」

『……受領、確認』

 少女の声が、言った。

『ありがとう。わたしの、いちばんの――友達たち』

 その日、塔の周囲では、奇妙な光景が一日中続いた。

 千二百体のゴーレムが、次々と塔の前の広場に集まり、自らの腕の兵装――拘束泡の射出機や音響兵装を取り外しては、工作炉に投げ込んでいったのだ。溶かされた兵装は、鋳型に流され、別のものに生まれ変わった。

 鋤に。鍬に。水門の歯車に。そして、学校の鐘に。

 剣を打てなかったオルドナ村の鍛冶屋が、後にこの光景を伝え聞いて、何と言ったか。エルシィが教えてくれた。

「『機械のくせに、いい仕事だ』ですって。父さんの最上級の褒め言葉よ、それ」

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