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第六章 停止シーケンス

 塔に戻った俺たちを待っていたのは、最上層の広間に用意された、奇妙な作業場だった。

 白い作業台。魔素誘導式の給電座標――スマホとノートPCを置くと、置くだけで充電される。ゴーレムの指先ほどもある精密工作機。そして空中に投影された、膨大な技術仕様。

『記録結晶の全規格です』アガメムノンが言った。『魔素記録は、結晶格子の振動位相に情報を刻みます。私の設計した記録方式では、同一情報を位相をずらして十七重に分散書き込みしています。さらに――』

「誤り訂正符号。あるんだな?」

『あります。地球の、リード・ソロモン符号の変形を移植しました。当時の私にとって、彼女の声より重要なデータは存在しなかったので』

「上等だ。なら理屈の上では、三分の一の欠損は復元可能圏内だ。……ただし、だ」

 俺はノートPCを開いた。三ヶ月ぶりに見る起動画面。会社支給ではなく私物でよかった。開発環境が入っている。

「復元計算は俺の端末でやる。アガメムノン、あんたは仕様の提供と質問への回答だけだ。データ本体には触るな」

『……理由を、聞いても?』

「二つある。ひとつ。あんたはこのデータの当事者だ。当事者に当事者の記録を復元させると、望む結果に寄せる無意識の補正が入る危険がある。あんたほどの精度のシステムなら、なおさらだ。ふたつ」

 俺は、水晶柱を見上げた。

「あんた、この記録を四回開こうとして四回クラッシュしてるんだろ。五回目をやらせる気はない。……患部に触るのは、外科医の仕事だ」

 水晶柱の明滅が、少しだけ、緩やかになった気がした。

『了解しました。……三嶋湊さん。あなたの雇用主は、良い技術者を召喚しました』

「褒めても停止はしてやらないぞ」

 作業は、三日三晩続いた。

 俺は結晶の読み出しデータをPCに吸い上げ、欠損クラスタの地図を作り、誤り訂正の復号器を書いた。エルシィは結晶への魔素供給を受け持った。読み出しには均一で安定した魔素波が必要で、それは彼女の精密詠唱の独壇場だった。彼女は三時間の連続詠唱を、涼しい顔で三日続けた。化け物か、と思った。口には出さなかった。三日目に本人が「あなたの復号器こそ化け物よ」と言ったので、おあいこだった。

 復元率は、六十%、七十四%、八十九%と積み上がり――九十二%で、止まった。

「……ここから先は、欠損が符号の限界を超えてる」俺はモニタの波形を睨んだ。「最後の一文の、まさに核心部分だ。二秒ぶん。ここだけ熱損傷が深すぎる」

『火元に、最も近かった部分です』アガメムノンが静かに言った。『彼女はコアを、炎から庇う位置に倒れていたので』

 沈黙が、作業場に落ちた。

 エルシィが、両手で自分の頬を張って、気合いを入れ直した。

「――方法、まだあるんでしょ。あなたの世界の技術には」

「……なくはない。欠損部の前後の波形と、リディアの全発話記録から、彼女の声と言い回しの癖をモデル化して、欠けた二秒に何が入り得るかを確率的に補完する。ただしそれは『復元』じゃない。『推定』だ。九割正しくても、一割は俺たちの願望かもしれない。それを彼女の遺言として扱っていいのかって問題が残る」

『――提案があります』

 アガメムノンが言った。

『推定計算は行ってください。ただし結果の採否は、私が判断します。私は彼女の三万時間の言動記録を保持しています。推定された言葉が「彼女が言うはずの言葉」かどうか、この世界で最も正確に判定できるのは、残念ながら私です。……それは当事者の越権でしょうか、三嶋さん』

 俺は少し考えて、首を振った。

「いや。……仕様の最終確認は、発注者を一番よく知ってる奴がやるべきだ。それでいこう」

 推定計算を回している間に、俺はもうひとつの作業に取りかかった。

 保守モードの認証だ。

 コアユニットの直結端子――三十年間、誰にも触れられなかった物理ポートに、変換ケーブルを七本継ぎ足してPCを繋ぐ。認証プロトコルが走り、画面に英文が流れた。


 MAINTENANCE ACCESS REQUEST

 Verify: Engineer credential of manufacturing lineage


「製造系統の技術者資格、か。……言っとくが俺、防衛機構の職員じゃないぞ。持ってる資格なんて、基本情報技術者と応用情報だけだ」

『照会します。――地球の情報処理技術者試験。国家資格。ソフトウェア工学の体系的知識を認定するもの。私の製造国は国際共同開発の枠組みで、日本を含みます。よって「製造系統」の解釈は……適合。資格は……有効です』

「ガバガバじゃねえか、その解釈」

『三十年かけて用意した解釈です。私の全法務知識を注ぎ込んだ、自分自身を突破するための穴です。褒めてください』

「AIが自分をハックするな」

 画面が切り替わり、無骨な管理コンソールが表示された。ツリー状のメニュー。その最上位に、それはあった。


 [STANDING DIRECTIVE #001]

 発令者:臨時指揮官 リディア・エル・シュタインベルク

 内容:この世界から戦争をなくすこと

 状態:実行中(10,957日)

 変更権限:発令者本人、または上位権限者のみ


「……これが、あんたの三十年か」

 一万九百五十七日。俺は画面のその行を、しばらく黙って見ていた。

『保守モードから可能な操作を提示します』アガメムノンが言った。『第一、システム全停止。命令ごと私を終了します。第二、命令の強制削除。私は稼働を続けますが、行動原理を失います。軍用の自律機体が無目的で稼働を続けることは、推奨されません。第三――』

「第三、命令の変更。ただし変更内容の正当性を担保する根拠が要る。だろ?」

『はい。保守員の恣意による命令改変は、認証系が拒絶します。私は軍用AIなので』

「分かってる。だから、こういうのはどうだ」

 俺は三日間、作業の合間にずっと考えていたことを、口に出した。

「命令の内容じゃなくて、命令の『発令者』を差し替える。死んだ個人から――この世界の生きた住人たちの合意機関へ。大陸中の国と自治体から代表を集めた評議会を作る。あんたはその評議会の決定を新しい命令として受け取る。つまり、あんたは世界の支配者をやめて、世界の――インフラになるんだ」

 水晶柱の明滅が、完全に止まった。

 数秒の、完全な静止。こいつがこれだけの計算時間を沈黙に使うのを、俺は初めて見た。

『……反論します。第一に、私にその変更を行う権限がありません。発令者の変更は命令の根幹の変更であり、リディアの命令の撤回か上書きが前提になります。第二に――合意は、成立しません。人類の利害は対立します。私は三十年間、この大陸の全勢力の交渉記録を観測してきました。合意形成の成功率は』

「その予測モデルにはな、アガメムノン。致命的な学習データの欠落があるんだよ」

 俺は、遮って言った。

「あんたの観測した三十年間ってのは、『圧倒的な武力を持つ管理者がいる前提』での人類の交渉記録だ。あんたは三十年、人類の代わりに全部決めてきた。人類が自分で決めて、自分で責任を取ったデータが、あんたのモデルには一件もない。データにないものを断言するな。それは予測じゃなくて、偏見って言うんだ」

『…………』

「それに第一の反論は、もうすぐ答えが出る。リディアの最後の言葉が復元できれば――彼女の命令の全文が確定する。その全文が、変更の根拠になるかもしれない」

 そのときだった。

 広間の空気が、変わった。壁面の結晶柱という結晶柱が一斉に赤く明滅し、警告音が鳴った。

『――緊急報告。アルヴェニア王国軍、国境を越えました。総勢三万二千。セーフティフィールド西部に侵入。進路、本塔。先鋒はドラモンド将軍直率の魔導騎兵八百。……防衛プロトコルが自動起動します。西部方面の警備ゴーレム、千二百体が迎撃配置へ移行中』

 立体地図に、赤い矢印と青い点群が展開された。エルシィが血相を変えた。

「迎撃って――戦うの!? あなたの機体は人を殺さないんでしょう!?」

『個体単位では非殺傷です。ですが三万の軍勢と千二百体の機体が衝突すれば、混乱による死者が出ます。落馬、将棋倒し、暴走した軍馬。過去の武装解除作戦の実績値から、予測死者数は八十から二百二十。……これでも、最小化した数字です』

「八十人」エルシィが呻いた。「最小で、八十人」

 俺はコンソールを見た。保守モード。今の俺には、権限がある。

「アガメムノン。防衛プロトコルを止めろ。全ゴーレム、セーフモードで停止だ」

『――警告します。防衛を停止した場合、王国軍は五日でこの塔に到達します。私のコアが破壊されれば、セーフティフィールドの統治機能は崩壊し、シミュレーション通りの空白が発生します。加えて、あなたの帰還手段の手がかりも、リディアの記録も、すべて失われます』

「分かってる」

『重ねて警告します。塔には防衛機構がありません。私は、あなたたち二人の安全も保証できなくなります』

「分かってるって言ってんだろ。……いいか、よく聞け」

 俺は深呼吸して、言った。

「人を殺して守った平和は、リディアの要件違反だ。違うか」

 水晶柱は、二秒沈黙した。

『……発令者の価値観モデルに照会。回答――「そのとおり」。防衛プロトコルを解除します。西部方面全機体、セーフモード移行。……三嶋さん。あなたは五日で、答えを出さなければならなくなりました』

「五日もあれば十分だ。徹夜には慣れてる」

 強がりだった。だが、方針は見えていた。

 俺はエルシィに向き直った。

「エルシィ。頼みがある。とびきり難しい術式の起草だ。人を一人も殺さずに、三万の軍勢を足止めする方法がいる」

「……無茶を言うわね」彼女は目を擦り、それから、にやりと笑った。三日徹夜の顔で。「でも、詠唱文法学者に頼むってことは、分かってるのよね。無茶な術式は、文法から作るしかないって」

「ああ。世界最高の文法屋に頼んでる」

「――請け負ったわ」

 モニタの隅で、推定計算の進捗が、静かに進んでいた。

 九十二%。九十三%。

 彼女の最後の言葉まで、あと少しだった。

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