第4章 共通の過去
「七階へ行った者は帰ってこない」
そんな噂から始まる物語です。
失踪した少女。
消された記録。
そして、存在しないはずの三十五人目。
真相は最後に明かされます。
橘美紗子から受け取った資料を、俺は自宅の机の上に広げた。
十一月の夜。窓の外では、アパートの駐車場の街灯が冷たい光を投げかけている。机の上には三つのファイル。美晴の行動記録、通話履歴、そして三十四人の名前が並ぶ五年二組のクラス名簿だ。
野口紗英。
その名前の横に、美紗子の走り書き。『先週、サンライトハイツで失踪。警察発表待ち』。
俺はノートパソコンを開き、野口紗英について検索を始めた。十四歳、中学二年生。阿倍野区在住。SNSのアカウントは数日前から更新が止まっている。最後の投稿は、友達と一緒に撮ったプリクラ写真——「また月曜ね!」のスタンプが押されていた。月曜は、もう来ない。
橘美晴は十七歳。野口紗英は十四歳。年齢も学校も住んでいる区も違う。表面上の接点は何もない。
(同じ小学校、同じクラス——これが唯一の接点だ)
偶然で片づけるにはできすぎている。小学校の卒業アルバムを入手すれば、三十四人全員の顔と名前が確定する。それが調査の最初の一手になるはずだった。
翌朝、大阪市立桜台小学校に電話をかけた。職員室に出た教頭らしき声の主は、こちらの用件を聞くなり「個人情報に関わるものはお見せできません」と機械的に答えた。「卒業生の同窓会を企画していて」という方便も、「十年前のクラスの動向を調べる必要があり」という直球も、同じ壁に跳ね返される。
(想定内だ)
小学校が守りに入るのは当然だった。十年前の特定クラスを探る第三者がいればなおさらだ。下手にプッシュすると警戒されて、調査の妨害すらありうる。
次に地元の古書店三軒とネットオークションを同時に当たった。卒業アルバムは個人の持ち物だから、誰かが手放している可能性がある。古書店は空振りだったが、オークションで一件だけヒットした——『大阪市立桜台小学校 平成二十四年卒業アルバム』。価格は三千円。即決で落札した。
出品者はアルバムの状態を「経年劣化あり」と書いていたが、個人情報の観点から出品を取り下げるよう求めるクレームが過去にあったとも記していた。何者かが、十年前の卒業アルバムが市場に出回るのを望んでいない——そう読めなくもなかった。
二日後の午前中、アルバムは簡易包装の封筒で届いた。表紙は紺色の布張りで、金箔押しの校章が剥げかけている。ページを開くと、十年分の埃と紙の匂いが立ちのぼった。
最初の数ページは校舎や運動会、音楽会のスナップ写真。次の見開きで学年全体の集合写真と、各クラスの個人写真に移る。五年一組、五年三組、五年四組——。
そして、五年二組。
三十四人の、十歳の顔が並んでいた。
俺は手帳と万年筆を取り出し、一人ひとりの名前を確認しながら転記していった。橘美晴——前列の左から四番目。背筋を伸ばし真っ直ぐにカメラを見つめている。学級委員長の肩書きが、写真の中の姿勢からも伝わってくる。野口紗英——後列の右端。恥ずかしそうに少しうつむき、隣の子に肩を支えられている。
(この二人の少女は、今、この世のどこにもいない)
三十四人の名前を書き終えるまで、三十分かかった。ペンを置き、名簿を見渡す。橘美晴も野口紗英も、同じマンションの同じエレベーターで消えた。ならば他の三十二人は——今、どこにいるのか。
手っ取り早いのはSNSだ。一人ずつ名前を検索していく。十五人までは順調だった——教師、看護師、美容師、大学院生、主婦。平凡な若者たちの、平凡なアカウント。卒業から十年、それぞれの人生を歩んでいるように見えた。
だが、十六人目の名前で指が止まった。
水無月綾乃。
SNSに実名登録が一切ない。二十七歳の女性としては異例と言っていい。代わりにヒットしたのは、阿倍野区立中央図書館の職員名簿だけ——司書。
(実名でSNSをやらない。意図的に身を隠している)
赤ペンで名前を丸く囲む。ネット上で自分の痕跡を消している人間には、だいたい二種類ある。何かから逃げているか、何かを隠しているか——どちらにせよ、ただ者ではない。
さらに調べると、三十四人のうち七人がSNS未登録、五人については住民票すら確認できなかった。引っ越したのか、結婚で姓が変わったのか、あるいは——。
(いや、まだ結論を急ぐな。だが、これが偶然である確率は限りなく低い)
机から立ち上がり、インスタントコーヒーを淹れた。湯気の向こうで、手帳に書き込まれた三十四人の名前がぼんやり揺れる。
アルバムの五年二組のページをもう一度開く。見開きの右側は集合写真——校庭の桜の前に整列した児童たちと、中央に立つ担任教師。写真の下のキャプションには、こうある。
「五年二組 担任:朝比奈 悟」
三十代半ば、痩せ型で背が高い。写真の中では口元に薄い笑みを浮かべている。だが、その目はカメラを見ていない。教室のどこか——いや、児童たちの頭上を越えた、観客のいない空間に向けられている。子供たちを見守る視線ではなく、管理する者の目つきだった。
(この目は、知っている)
八年前、新聞記者として権力者の取材をしていた時、何度も見た目だ。秘密を持ち、それを隠すことに慣れきった人間の目——笑顔を作りながら、決して視線を合わせない。
俺は集合写真全体をもう一度、今度は隅から隅まで丁寧に見直した。児童の顔、教師の顔、桜の枝——そして。
前列の端に、ぼんやりとした影があった。
他の三十四人の児童ははっきり写っているのに、そこだけが印刷の滲みのように輪郭が曖昧だ。隣の児童との間隔が、他のどの位置よりも異様に空いている。
ルーペを取り出し、拡大する。それは僅かにぼやけてはいるが、間違いなく人間の輪郭だった。小柄な——男子だろうか。他の誰よりも端に寄せられ、肩をすぼめた姿勢で立っている。そして顔の部分には、細い線状の傷がいくつも走っていた。経年劣化では説明できない——意図的に擦った痕跡だ。何か固いものを写真の表面にこすりつけて、この子の顔だけを消そうとした——そんな印象を受けた。
個人写真のページを再度、指で一枚ずつなぞる。三十四枚。集合写真に写る影を含めると、三十五人の児童がいるはず——なのに、個人写真は三十四人分しかない。
(この子は、クラスに「いなかったこと」にされている)
手帳の最後のページに、欄外メモとして書き込む。
『三十五番目の児童——集合写真に映るが個人写真なし。氏名不明。写真から意図的に消された可能性が高い』
コーヒーが冷めきっていた。一口含むと、苦味だけが舌に残る。
アルバムを閉じ、机の上に広がる資料を見渡した。橘美晴の通話記録。野口紗英のSNS。三十四人の名簿。集合写真から消された少年。担任——朝比奈悟。
どれもが、十年前のあの教室に繋がっている。
(五年二組——いったい、そこで何があった)
答えはまだどこにもない。だが、調査の針は確実に核心へと向かっている。その感触だけは、八年間の記者生活で身体に染みついた本能が保証していた。
スマホを取り出し、阿倍野区立中央図書館の番号を検索する。水無月綾乃。SNSから消えた司書——彼女に会う必要がある。
手帳の表紙を開き、父の名前に指で触れた。
(行くぞ、親父)
四コールで、若い女性の声が応答した。
「——はい、阿倍野区立中央図書館です」
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
『七階のエレベーター』は、人間の創作とAIの力を組み合わせながら制作した作品です。
物語の構想や登場人物、ストーリーの調整を重ねながら、一つの作品として形にしました。
もし少しでも楽しんでいただけたなら、とても嬉しく思います。
また、本作の制作にはAI創作プラットフォーム「MoeGen」を活用しています。
物語や漫画を作ることに興味のある方は、ぜひ一度お試しください。
https://www.moegen.ai/
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。




