第17章 七階の真実
朝比奈悟が逮捕された翌日——十二月二十六日。警察はサンライトハイツの地下区画に本格的な捜査を開始した。
神崎の資料に記されていた「旧校庭地下の防空壕跡」——そこはマンションのエレベーターシャフトの真下にあたり、当初の建築計画では完全に埋め立てられているはずの空間だった。しかし、朝比奈と高柳家の息のかかった建設業者は、この防空壕を埋めずに隠し区画として残していた。図面上にも、建築確認申請書にも、一切の記録がない空間——そこで、十年分のすべての秘密が処理されてきた。
午前十時。地下区画に立ち入った捜査官が、コンクリートの壁の一部に違和感を覚えた。打診してみると、周囲より軽い音がする。よく調べると、それは壁を模した偽装パネルで、簡単な工具で取り外せるようになっていた。
パネルを外すと、その奥に土がむき出しになった狭い空間が広がっていた。高さ一メートル半、幅二メートルほどの横穴——明らかに人為的に掘られた空間だ。天井部分は古い防空壕のアーチ状のコンクリート天井で、壁面にはツルハシの跡が生々しく残っていた。
そして、空間の奥には、小さな白骨遺体が体育着を着たまま横たわっていた。
身長百三十センチ前後。歯の萌出状態から十一歳前後と推定される。頭蓋骨の後頭部に陥没骨折の痕跡——マット運動の着地失敗で頭を打ったという目撃証言と完全に一致する傷痕だ。頭蓋骨の亀裂は、致命傷になりうる深さまでは達していなかったが——すぐに適切な治療を受けていれば、おそらく死ぬことはなかった。
(保健室に運ばれて、治療も受けずに——ここで)
遺体のそばには、色褪せたランドセルが一つ転がっていた。中には教科書とノート、そしてクレヨンの箱——環が言っていた「桜の絵」を描くための道具だ。クレヨンの中で、黒だけが異様に短くなっていた。
DNA鑑定は神崎の機転で早期に行われた。彼は二十年前、優斗の失踪を不審に思った時点で、教室に残されていた私物の中から歯ブラシを一本、証拠品として個人的に保管していたのだ。退職後も自宅のロッカーにしまい込んでいたその歯ブラシからDNAを採取し、遺体のDNAと照合した。
十二月二十八日、夕方。鑑定結果が確定した。
遺体は、一ノ瀬優斗。
十一歳のまま、この暗闇の中で十年二ヶ月と十三日を眠り続けていた。
遺体のそばからは、もう一つ決定的な証拠品が発見された。分厚い革装の手帳——桜台小学校の当時の校長、故・山之内孝太郎の直筆の日記だった。死の直前に書き残し、自宅に隠していたものを見つけ出したのか——それとも、神崎が二十年かけてどこからか入手したのか。今となってはわからない。
日記の内容は、朝比奈と校長が優斗の死をどう隠蔽したか——その全工程を克明に記録した犯罪自白書に等しかった。
『十一月十五日。五時間目終了直後、朝比奈教諭より報告あり。五年二組の一ノ瀬がマット運動の補強指導中に転倒、頭部を受傷し保健室に運んだとのこと。容態は芳しくない。高柳宗一郎氏に電話で指示を仰ぐ。』
『十一月十五日、深夜。高柳氏より「この件は外部に一切漏らすな。教育局にはこちらから手を回す」との指示。朝比奈と二人で遺体を防空壕に運ぶ。同日夜、教頭と事務長に事情を説明し協力を要請。転校届の偽造準備を開始。』
『十一月十六日。朝比奈がクラスで「一ノ瀬は転校」と虚偽説明。午後、三十五名分の転校届を教育委員会に提出。指導課・西岡課長補佐より受理の電話。西岡氏は高柳氏の指示を事前に受けている模様。』
『十一月十七日。卒業アルバム用写真の差し替えを写真屋に依頼。一ノ瀬の個人写真および集合写真からの抹消を指示。学校事務が学籍簿の記載を訂正。』
『十二月、未明。高柳氏の使者が来校。事件に関する一切の文書提出を命じられる。以後、五年二組については教育委員会を通じた情報統制が行われるとのこと。——全ては高柳宗一郎氏の指示による。』
その最終ページの記述——『全ては高柳宗一郎氏の指示による』の一文が、この事件の真の黒幕を明確に指し示していた。朝比奈は「指導」という名の暴力で優斗を死なせた実行犯だった。しかしそれを隠蔽し、学校全体と教育委員会を巻き込み、十年にわたってこの街を覆い続けた仕組みを構築したのは——高柳宗一郎。当時の高柳家当主だった。
同日。エレベーターの技術鑑定結果も出た。
制御盤の中に、外部からの信号で作動する隠し回路が発見された。設計図には載っていない追加基板——特定の条件が揃った時だけ起動する。「深夜零時から五時までの時間帯」かつ「七階のボタンが押された場合」——その二つの条件が重なった時、通常のエレベーター制御は自動的に解除され、手動モードに切り替わる。エレベーターは七階に到着すると停止し、扉の内側にある点検口が自動的に解放される仕組みだった。
点検口の先は、七〇一号室と七〇二号室の間の壁に設けられた隠し通路につながっている。二つの部屋は現在いずれも空き部屋で、名義上の賃貸契約は二十年前から高柳家の関連不動産会社が保持していた。失踪者はこの隠し通路を通って七階の空き部屋に運ばれ、そこから非常階段で地下へと降ろされた。
監視カメラの映像改竄方法も特定された。エレベーターの制御盤と同じ隠し回路からカメラの録画装置に信号を送り、到着前後の数十秒間だけ映像をループ再生させる——極めて精密なタイミングで作動し、目視ではノイズと区別できない程度の自然なつなぎ目を作り出していた。神崎が気づいた「七分二十八秒地点のノイズ」こそが、そのつなぎ目だったのだ。
都市伝説「七階のエレベーターに乗ると消える」——その正体は、技術と犯罪計画に裏打ちされた、十年がかりの連続口封じ工作だった。優斗の呪いでも、偶然でもない。生身の人間が計画し実行した、現実の犯罪だ。
十二月二十九日、朝。神崎から連絡があった。
「高柳宗二郎が任意同行に応じた。宗一郎の息子で——今の高柳家の当主や。逮捕はまだ見送られたが、これで少なくとも連中の『聖域』は終わった。府警本部も本気で動き始めよる」
俺は病院へ向かった。五十嵐真由の病室——彼女は襲撃から一週間、ようやく意識を取り戻していた。
「——真由さん」
「高橋さん」彼女は枕の上でかすかに微笑んだ。顔色はまだ青白く、頭には包帯が巻かれている。点滴の管が腕に何本もつながったままだったが、目には確かな光が戻っていた。「やりましたね。ちゃんと——全部」
「あなたが三年かけて集めた証拠が、すべての鍵でした。朝比奈の不正経理の資料も、高柳家との不自然な契約書も——真由さんの資料がなければ、警察も動けなかった」
五十嵐は目を閉じ、深く息を吐いた。窓の外で、十二月の陽がかすかに傾いている。
「じゃあ——私、これで記者を続けられますか」
「続けてください。あなたみたいな記者が——この街にはまだ必要です」
彼女は答えず、ただ静かにうなずいた。それで十分だった。
病室を出て、十二月の冷たい空気を肺いっぱいに吸い込む。手帳を開き、万年筆を握る。書き留めるべきこと——やるべきこと——まだまだ山積みだ。だが、少なくとも一つの嘘に終止符は打たれた。十年間、誰にも存在を認められなかった少年が、今日、確かにここにいたことを証明された。
新しいページの先頭に、万年筆でこう書いた。
『一ノ瀬優斗——十二月二十八日、サンライトハイツ地下の防空壕跡で発見。享年十一歳。もう誰にも、お前の存在を消させない。約束する。』




