第12章 母の真実
一ノ瀬優斗の母親を見つけ出すのに、さらに一週間を要した。
写真の日付という物的証拠を得たことで、五十嵐の調査は加速した。彼女は持ち前の粘り強さで十年前の住民票の異動記録をたどり、優斗が死亡した後に母親が三度の転居を繰り返した末、大阪府南部の小さな町にある精神科病院にたどり着いたことを突き止めた。夫とは優斗の死から一年も経たずに離婚——彼女はすべてを失っていた。
十二月十二日、午前。俺と五十嵐はその病院を訪れた。郊外の丘陵地に建つ四階建ての古い病院で、周囲を低い塀と冬枯れの桜の木が囲んでいる。正面玄関の自動ドアを抜けると、消毒液と給食の味噌汁が混ざった匂いが鼻をついた。
受付で面会を申し込むと、看護師長が難しい顔をした。「一ノ瀬さんはかなり状態が不安定です。面会はご家族以外、お断りしています」
「十年前、桜台小学校五年二組で起きた事件のことで、どうしてもお話を伺いたいんです」俺は写真解析のデータと環の証言のコピーを見せた。「彼女の息子さん——優斗くんのことです」
看護師長は書類を一瞥し、しばらく沈黙した後、小さくうなずいた。
「——三十分だけです。彼女が話せるかどうかは私にもわかりませんが」
病室は四人部屋だったが、他のベッドには誰もいなかった。窓際のベッドの上で一人の女性が座っていた。五十代半ばだろうか。白髪交じりの髪は短く刈られ、痩せた両手を膝の上に置いている。彼女は窓の外を見つめていた——正確には、窓の外の桜の枯れ枝を。まるでその枝に、何かが見えているかのように。
「一ノ瀬さん。お客様ですよ」
看護師長が声をかけると、彼女はゆっくりと顔をこちらに向けた。目の焦点は合っておらず、表情はない。だが俺の存在を認識していることは、かすかに傾げられた首の角度でわかった。
「……誰」
声はかすれ、空気の振動だけだった。
「高橋と申します。優斗くんの——お母さんですよね」
「優斗」
その名前を口にした瞬間、彼女の目に初めて光が灯った。十年分の闇の底で、何かがかすかに燃え上がる——そんな変化だった。
「優斗は——もういない。あの子は、どこにも」
「知っています。だからこそ、お話を伺いに来ました。優斗くんに何があったのか、ちゃんと誰かが覚えていること——それを、あなたに伝えたくて」
彼女は両手を膝の上で組み、しばらくじっと指を見つめていた。それから、遠くの誰かに語りかけるように、ぽつりと言葉を紡ぎ始めた。
「あの日、学校から電話があったんです。優斗が保健室に運ばれたから迎えに来てほしいと——でも私、スーパーのパートを休めなくて。あの頃は生活が苦しくて、一日休むだけで——『様子を見て、大丈夫なら自分で帰します』と、電話の先生は言いました。それで——」
声は震えていなかった。感情を失ったのではなく、感情の置き場所を十年かけて失った人間の語り口だった。それがある意味、どんな叫び声よりも痛かった。
「でも帰ってこなかった。次の日、学校に行ったら——優斗は転校したと言われて。教室の机もロッカーも空っぽで——」
「転校などしていません。優斗くんは、あの日の体育の授業で——」
「死んだんです」彼女は俺の言葉を途中で遮った。「頭を打って。朝比奈先生の指導で無理な運動をさせられて。保健室に運ばれたけど——もう——」
手を額に当て、そのままの姿勢で動かなくなった。指の間から、かすかな吐息だけが漏れる。
「学校は、私に何も教えてくれませんでした。優斗が死んだことも、遺体がどこにあるのかも——全部。知ったのはずっと後のことです。あの子の同級生だった——水無月という子の、お母さんから手紙をもらって」
「綾乃さんのお母さんから?」
「匿名でした。でも、誰からの手紙かはわかりました。その人は——自分も怖かったんだと思います。自分の娘に何があったのかを知って、でも学校に逆らうのは怖くて——それでも、私にだけは伝えなければと思ったんでしょう」
彼女は窓の外の桜の枯れ枝に視線を戻した。風が枝を揺らすたびに、彼女のまぶたがかすかに動く。
「でも、もう遅かった。私が真実を知った時には、優斗の遺体も、学校の記録も、すべてが——消されていました。存在ごと。まるで最初から、あの子はこの世に生まれてこなかったみたいに——」
声が、十年ぶりに震えた。
「私だけは——私だけは覚えてる。優斗が生まれた日のこと。小さくて、泣き声も小さくて、でもちゃんと生きてた。私の指を握って、離さなかった——」
鞄から、環が描いた優斗の肖像画のコピーを取り出し、彼女に差し出した。
「これ、優斗くんですよね」
母親は紙を両手で包み込むように持ち、じっと見つめた。しばらく無表情で眺めていたが——十年ぶりに、涙が一滴、紙の上に落ちた。
「……よく描けてる。優斗だ。私の、優斗——」
俺は手帳を開き、橘美紗子の写真を一枚取り出した。娘を失った別の母親——壁一面に写真と資料を貼り、三年間一人で戦い続けている女性の写真だ。
「優斗くんと同じクラスだった橘美晴さんの——お母さんです。娘さんを三年前に、同じマンションのエレベーターで亡くしました」
母親は写真を受け取り、美紗子の顔をじっと見つめた。
「この人も——」
「はい。同じです。娘を奪われ、真実を隠され——それでも戦い続けています。あなたと同じように」
彼女は二枚の写真——優斗の肖像画と美紗子の写真——を両手に持ち、胸の前で重ね合わせた。二人の母親の十年が、この病室で静かに交差した。
「優斗は——ちゃんと、覚えてもらえますか」
「約束します。必ず」
俺と五十嵐は深く頭を下げた。看護師長が「時間です」と知らせに来るまで、彼女は二枚の写真を胸に抱きしめて離さなかった。
病院を出ると、五十嵐が初めて口を開いた。声は低く、しかし怒りの熱を帯びていた。
「朝比奈と校長は——殺人と死体遺棄です。それを隠蔽するために学校全体が動いた。教育委員会まで巻き込んで——そして、十年間ずっと、のうのうと生きている」
「二人の母親です。一人は娘を失い、正気と狂気の狭間で三年間一人で戦い続けている。もう一人は息子を失い、十年間、自分が母親だったことすら否定され続けている——」
五十嵐の声が詰まった。俺は答えず、病院の駐車場で立ち止まった。十二月の風が、容赦なく体温を奪っていく。
手帳を開き、万年筆を握る。指がかじかんでうまく動かない。それでも、書かずにはいられなかった。
『一ノ瀬優斗の母親——十年間精神科病院に入院中。優斗は体育のマット運動で頭部受傷、死亡。朝比奈と校長が死体を隠蔽、学校は遺体の所在すら母親に伝えず。綾乃の母親が匿名で真実を知らせる手紙を送るが、時すでに遅く——優斗の存在はすべての記録から抹消されていた。優斗の母と橘美紗子——二人の母親の写真がこの病室で十年を経て重なった。二人とも、子供を奪われ、真実を隠され、それでも戦い続けている。』
手帳を閉じ、空を見上げた。十二月の太陽が、厚い雲の向こうでかすかに白く光っている。
「行きましょう」五十嵐が言った。「まだ、やることがあります」




