第11章 写真の裏側
五十嵐真由がもたらした資料は、俺の調査に新たな武器を与えてくれた。
十二月の最初の週。大阪市内の古い雑居ビルの一室にある小さな写真スタジオを訪れた。五十嵐の紹介で、画像解析を専門とする技術者——中島という四十代の男性に会うためだ。元警察の科学捜査研究所で画像鑑定を担当していたが、五年前に独立し、今は企業の依頼で監視カメラ映像の解析や古い写真の復元を請け負っている。
部屋には大型のモニターが三台並び、壁一面に写真用のライトボックスやスキャナが所狭しと置かれていた。
「これを見てほしい」
俺は卒業アルバムから取り出した五年二組の集合写真のコピー、そして朝比奈の執務室でスマホでこっそり撮影した写真立ての画像データを、中島の作業机に並べた。
中島は無言で写真を受け取り、ライトボックスの上に置いた。ルーペで隅々まで調べた後、高解像度スキャナに写真を通し、パソコンに取り込んだ画像を専用ソフトウェアで開く。画面に集合写真が表示され、児童たちの十歳の顔が一人ひとり鮮明に浮かび上がった。
「このぼやけた部分ですね」中島は優斗の位置を指さした。「物理的に擦り減っていますが、画像データとして残っている情報から復元できるかもしれません。指で何度も擦られた痕跡は、紙の繊維を一方向に倒しています。それを逆補正することで、ある程度までは——」
彼はいくつものフィルタを重ねていく。コントラスト強調。ノイズ除去。エッジ検出とピクセル単位の補完。モニターの前に座る中島の背中越しに、画面の中のぼやけた影が少しずつ輪郭を取り戻していくのを、俺は息を詰めて見守っていた。心臓が早鐘のように打っている——証拠が目の前で形になっていく瞬間の、記者なら誰でも知っているあの高揚感だ。
三十分が経過した頃、中島が初めて顔を上げた。
「——復元できました」
画面に映し出されたのは、一人の少年の顔だった。
細い輪郭。少し大きめの瞳。口元はかすかに結ばれ、笑っているのか泣いているのか判別できない表情。年齢は十歳か十一歳。肩をすぼめ、隣の児童との間に不自然な隙間を作って立っている——まるで、自分にはここにいる資格がないと言いたげな、そんな立ち方だった。
間違いなく、一ノ瀬優斗だ。
俺はモニターの前で、しばらく言葉を失った。写真の中で指に擦り消され、十年間誰にも見られることのなかった少年の顔が、今、デジタルの力で蘇っている。鞄から環が描いた鉛筆画のコピーを取り出し、モニターの画像と並べた。輪郭の取り方、目の位置、口元のわずかな結び——引きこもりの女性が記憶だけで描いた肖像画が、デジタル復元画像と驚くほど一致していた。環の記憶は、十年間、一度も間違っていなかったのだ。
「この写真の日付を確認したいんです」
中島はうなずいた。
「ただし、これはアルバム用に印刷された写真を再度スキャンしたものですから、元のフィルムのメタデータは失われています。ですが——」彼は朝比奈の写真立ての画像に切り替えた。「こちらのスマホ写真の方が、かえって使えます」
写真立ての画像を最大まで拡大し、写真の右下の隅を指さした。
「ここです。紙焼き写真の端に、日付の写り込みがあります」
俺は目を凝らした。写真立ての中で斜めに反射する蛍光灯の光に遮られて見えにくくなっていたが、確かに写真の右下の縁に、オレンジ色の小さな数字の列が焼き込まれていた。フィルムカメラの自動日付機能——平成初期のカメラに標準装備されていた機能だ。
「——10 11 22」
「平成十年十一月二十二日です」
俺は手帳を開き、震える指でメモを取った。十一月二十二日。一ノ瀬優斗が「転校した」と朝比奈がクラスに告げたのは十一月十五日の帰りの会。七日後——一週間後の日付だ。
「優斗は二十二日まで、確かに生きていた。少なくとも二十二日の時点で、学校の集合写真に彼が写っている——これは動かせない事実です」
「そうです」中島は淡々とした口調で、しかし確信を持って言った。「転校したはずの児童が、転校後の日付で学校の集合写真に写っている——物理的にありえません。学校が公式に提出した転校届の日付が虚偽であることの物的証拠です」
俺は手帳のメモを見下ろしながら、もう一つの計算を頭の中で組み立てていた。
「中島さん、この改竄には、どれだけの人間が必要かわかりますか」
「最低でも——転校届を作成した担任、受理した教頭、学籍簿を訂正した事務職員。さらに教育委員会で転校届を処理した担当者と、その上司——都合五人から六人です。これに、口止めを指示した者と実行した者を含めると——」
「つまり、組織的な隠蔽です。個人の犯罪じゃない」
中島は黙ってうなずいた。
俺は解析データのコピーを受け取り、スタジオを出た。十二月の冷たい風が、古い雑居ビルの谷間を吹き抜けていく。コートの襟を立て、スマホを取り出して五十嵐に電話をかけた。
「写真の解析が終わりました。優斗の顔が復元できた。それと写真の日付が——転校から一週間後の十一月二十二日でした。学校の転校届が虚偽だと証明できる決定的な証拠です」
「やりましたね」五十嵐の声が一瞬弾んだが、すぐにトーンが下がった。「——でも、何か引っかかっているんですね、声の調子でわかります」
「この改竄に関与したのは朝比奈一人じゃない。転校届を受理した教育委員会、学籍簿を訂正した学校事務——最低でも五、六人の大人が組織的に動いている。証拠が揃えば揃うほど、敵の正体も大きくなっていく」
五十嵐はしばらく黙っていたが、やがて静かな声で言った。
「それでも——やるんですよね。私たちは」
「私たち」という言葉が、耳の奥に温かく残った。
「——やります。絶対に」
電話を切り、手帳を開き、万年筆を握った。十二月の冷気で指先がかじかんでいたが、書く手は止まらなかった。
『朝比奈の写真から優斗の顔をデジタル復元。写真の日付は平成十年十一月二十二日——「転校」の七日後。学校の転校届が虚偽である物的証拠が確定。改竄に関与した組織の規模——最低五人以上。教育委員会内部に複数の共犯者。敵は組織だ。個人ではない。』
手帳を閉じ、曇天を見上げた。街はいつもと変わらない日常を続けている。だが、俺の手の中にはもう、十年分の嘘を貫くだけの証拠があった。




