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支度の日々

 婚礼は、ひと月後と決まった。


 本来なら、王家の婚礼は半年かけて準備するものだという。それを、ひと月で。カイルが王城のすべてを動かして、整えていった。


「無理をしていませんか」と私は聞いた。


「しています」とカイルは正直に言った。「でも、いい無理です。こういう無理なら、いくらでもします」



 研究所にも、婚礼の支度が少しずつ持ち込まれた。


 ナーシャは最初、事情を知らなかった。


「先生! 婚礼、早まったんですか!? なんで!?」


 私は少し迷ってから、ナーシャに話した。


 フェンのことを。老いのことを。婚礼をフェンに見届けてもらうためだということを。



 ナーシャは、話を聞いている途中から、ぼろぼろと泣き出した。


「……ナーシャ」


「だって」とナーシャは言った。「だって、フェン……」


 縁側で寝ていたフェンが、薄く目を開けた。


「泣くな、弟子」


「フェン!」


 ナーシャが、フェンに駆け寄って、その首に抱きついた。


「フェン、まだ死なないで! 先生の婚礼、見て! それから、私が一人前になるのも見て! まだ全然、見てもらってないことがあるんだから!」



 フェンはしばらく、されるがままになっていた。


 それから、ぽつりと言った。


「……欲張りな弟子だ」


「欲張りで何が悪いんですか!」


「悪くない」とフェンは言った。「欲張りなのは、いいことだ。生きたい理由が増える」


 ナーシャがフェンの毛に顔を埋めたまま、頷いた。



 その日から、研究所は少しだけ変わった。


 みんながフェンを中心に動くようになった。


 ナーシャは薬草の手入れの合間に、必ずフェンの隣に座るようになった。患者のおばあさんたちも、フェンのことを聞きつけて、滋養のいい食べ物を持ってくるようになった。


「フェンさん、これお食べ」と腰痛のおばあさんが、煮込んだ肉を持ってきた。


「……すまんな、人間」


「いいんだよ。あんたには、世話になったからね」



 フェンが世話をした覚えはない、という顔をした。


「俺は、何もしていないが」


「いるだけで、世話なんだよ」とおばあさんは言った。「あんたがそこにいると、研究所があったかいんだ。それで十分、世話さ」


 フェンが何も言わなかった。


 ただ、おばあさんの持ってきた肉を、ゆっくりと食べた。



 夕方、私はフェンの隣に座って、その様子を話した。


「フェン。みんな、あなたのことが好きなんですね」


「……知らん」


「知らない、とは」


「俺は、ぶっきらぼうに生きてきた」とフェンは言った。「好かれるようなことは、していない。なのに——なぜこうなった」


 私は少し笑った。



「フェンは、気づいていないだけです」


「何にだ」


「あなたはいつも、誰かのそばにいました。私のそばに、ナーシャのそばに、患者のそばに。何も言わずに、ただいてくれた」


 私はフェンの毛並みを撫でた。


「それが、どれだけ人を安心させるか。あなたは知らないだけです」



 フェンがしばらく、黙っていた。


 冬の夕日が、縁側をゆっくりと染めていった。


「……エリーゼ」


「はい」


「俺は、いい人生だったと思うか」


 私はその問いに、すぐに答えた。


「思います」


「即答だな」


「考えるまでもないので」と私は言った。「あなたはたくさんの人を、あたためました。それ以上に、いい人生がありますか」



 フェンがふっと息を吐いた。


 それは安心したような息だった。


「……そうか」


「はい」


「なら、いい」とフェンは言った。「お前にそう言われるなら、いい人生だった」


 冬の夕日が、最後の光をフェンの白い毛並みに落としていた。


 その光は温かく、そして少しだけ寂しかった。


 でも——今は、まだ。


 フェンはここにいる。


 私の隣に。


(第99話へ続く)

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