第81話「ナーシャに話す」
翌日、ナーシャに話した。
正確には——ナーシャの方が先に気づいた。
朝、研究所に来たナーシャが、私の髪に光るものを見つけた。
「先生、それ……新しい簪ですか」
「……はい」
「すごく綺麗ですね。薬草の模様だ」
「殿下に、いただきました」
ナーシャがしばらく、真剣な顔で簪を見た。それから、じわじわと顔が赤くなった。
「……先生」
「なんですか」
「これって、すごく大事なやつですよね」
◆
お茶を淹れながら、話した。
婚約の正式発表が、十二月に決まったこと。それに向けて、いろいろなことが変わっていくこと。
ナーシャが静かに聞いていた。
「……ナーシャのことは、一緒に来てもらえるように手配できると殿下は言っています。もちろん、ナーシャ自身が決めることですが」
「先生と一緒に行きます」とナーシャがすぐに言った。
「早いですね」
「決まってます。私、先生の弟子なんで」
◆
「でも——王城は怖くないですか」
「怖いです」とナーシャが正直に言った。「でも、先生も怖いんですよね」
「……少し」
「じゃあ、二人で怖がればいいじゃないですか」
私はしばらく、ナーシャを見た。
「……そうですね」
「二人の方が、一人より怖くないです。それにフェンもいるし」
フェンが縁側から「当然だ」と言った。
◆
午後、ナーシャが薬草の整理をしながら、ぽつりと言った。
「……先生、一つ聞いていいですか」
「はい」
「先生って——今、幸せですか」
私は手を止めた。
幸せ。
その言葉を、正面から受け取ったのは——いつ以来だろう。
「……はい」と私は言った。「今は、幸せです」
「本当に」
「本当に。——こう言えるようになったのが、自分でも少し、不思議です」
◆
「以前は言えなかったんですか」
「言う機会がなかったというより——考えたことがなかったです。幸せかどうかを、考えることをやめていたので」
ナーシャがしばらく黙った。
「……それは、悲しいですね」
「そうですね。今になって、やっと思います」
「でも今は考えられるんですよね」
「考えられます。——今日は幸せだ、とか。この薬草の香りが好きだ、とか。ナーシャが来てくれて嬉しい、とか」
ナーシャが「えへへ」と笑った。
◆
夕方近く、殿下が来た。
ナーシャが「いらっしゃいませ!昨日の簪、先生に似合ってます!」と言った。
殿下が私を見た。私は少し、顔が熱くなった。
「……ナーシャ」
「だって本当のことだもん」
「よかったです」と殿下が静かに言った。「つけてくれているんですね」
「はい。大切にします、と言いましたから」
◆
三人でお茶を飲んだ。
ナーシャが「殿下、私、先生と一緒に王城に行きます」と宣言した。
「頼もしいです」と殿下が言った。
「先生一人だと心配なので」
「ナーシャ」
「だってそうじゃないですか。先生、一人にしたら絶対研究ばっかりして食事も忘れますよ」
殿下が「それは心配ですね」と言った。
「でしょう。だから私が行きます」
◆
帰り際、殿下が小声で言った。
「……いい子ですね、ナーシャさんは」
「自慢の弟子です」
「エリーゼさんが育てたんですね」
「……育てたというより、一緒に育ちました」
殿下がしばらく、私を見た。
「それが、あなたらしいと思います」
私はその言葉を、胸の中にしまった。
あなたらしい——と言われることに、ようやく、戸惑わなくなってきた。
それが、嬉しかった。
(第82話へ続く)




