第7話「加護が目覚める」
ヴァルハイン家の裏庭には、小さな薬草園があった。
昔、祖母が丹精込めて作ったもので、今は母が細々と世話をしていた。カモミールにラベンダー、解熱に使うセイヨウノコギリソウ、傷に効くコンフリー——それほど種類は多くないが、日当たりのいい一角に、ひっそりと育っていた。
私はフェンに言われた通り、その前にしゃがんだ。
「……触ればいいのですか」
「触れ」
短い返事だった。
私はセイヨウノコギリソウの葉に、そっと指を触れた。
その瞬間——何かが、変わった。
頭の中に、言葉ではない何かが流れ込んできた。熱を下げる。炎症を抑える。乾燥させると効果が増す。水ではなく蜂蜜と合わせると吸収がよくなる。子供には半量で——
「……っ」
私は思わず手を引いた。
「どうした」
「今、何かが……」
「加護だ」
フェンが静かに言った。
「俺の加護が、お前に宿り始めている。眠っていたお前の才能が、目を覚ました」
私はしばらく、自分の手のひらを見た。
何が変わったわけでもない。でも、確かに何かが違った。
もう一度、葉に触れた。
また流れ込んでくる。今度は落ち着いて受け取れた。この草の適切な量。この草と合わせてはいけないもの。この草が一番力を発揮する季節——
「……わかるのです」
「お前はもともと、薬草の才を持っていた。七年間、それに気づかなかっただけだ」
◆
気づけば、私は夢中になっていた。
一つ一つの草に触れるたびに、知識が広がっていく。使い方、配合、注意点。まるで誰かに教わったわけでもないのに、体の奥から湧いてくるような感覚だった。
「エリーゼ?」
母が裏庭に出てきた。娘が薬草園の前で黙り込んでいるのを見て、心配したのだろう。
「大丈夫です、母様。……お父様、最近、腰を痛めていませんか」
母が目を丸くした。
「なぜわかるの。この前から少し辛そうにしていたけれど、あなたに言っていなかったのに」
「薬を作ります。少し待ってください」
私はコンフリーとラベンダー、それに庭の端に生えていたハーブをいくつか組み合わせて、簡単な湿布薬を作った。配合の割合が、自然と頭に浮かんだ。
父に渡すと、その夜には「楽になった」と言ってくれた。
翌日、母の古い頭痛にも効く薬を作った。
その翌日、台所仕事で手荒れがひどくなっていた下女のために、軟膏を作った。
気づけば、毎日誰かのために何かを作っていた。
「……あなたはずっと、こういうことをしていたかったのかもしれないわ」
母がある夕方、そっと言った。
私は少し考えた。
侯爵夫人として過ごした七年間、薬草に触れたことはほとんどなかった。社交と家政と、体裁の維持に時間を使い続けた。やりたいことを考える余裕すらなかった。
「……そうかもしれません」
初めて、そう思った。
「自分のためにやりたいことが、あったのかもしれない」
◆
夜、縁側でフェンの毛並みに指を埋めながら、私は空を見上げた。
「フェン」
「何だ」
「ありがとうございます」
「礼を言うな。俺がやりたくてやったことだ」
「それでも」
フェンが鼻先を私の頬に押し当ててきた。温かくて、少しくすぐったかった。
「お前の才能はまだ、目覚めたばかりだ。これからもっと広がる」
「……どのくらい広がるのですか」
「俺にもわからない。ただ——」
フェンが少しの間、黙った。
「お前の魂が喜んでいる。今日初めて、そういう色になった」
胸が、じんとした。
七年間。誰かのために動き続けた七年間。
それが悪かったとは思わない。でも、今日初めて、自分のために動いた気がした。
庭の薬草が夜風に揺れていた。
翌朝、近所の商家の奥方が、「娘が熱を出して困っている」と門を叩いた。
どこからか、話が広まっていた。
(第8話へ続く)




