第6話「謝罪の意味」
カイル殿下は、帰らなかった。
謝罪を受け取ってもらったあとも、お茶を一杯飲み干し、それからもう一杯注がれても、特に腰を上げる様子がなかった。
父が困り顔で私に目配せをしてきた。
私は小さく首を振った。追い出すわけにもいかない。相手は王子だ。
「……もう一つ、聞いてもいいですか」
殿下が静かに口を開いた。
「どうぞ」
「これから、何をするつもりですか」
「これから、とは」
「ガーランド家を出た。実家に戻った。その先のことです」
私はしばらく、考えた。
正直なところ、何も決めていなかった。ただ、あの屋敷を出なければならなかった。それだけで精一杯で、その先のことなど頭になかった。
「……まだ、何も」
「そうですか」
殿下は短く答えて、また黙った。責めるでも、助言するでもない。ただ聞いて、答えを受け取った、という顔だった。
その沈黙が、不思議と苦しくなかった。
◆
「フェンリル」
殿下がふいに、フェンに声をかけた。
フェンが耳をぴくりと動かした。金色の瞳が殿下を見る。
「彼女の魂は、あなたが言うほど傷ついているように見えない。折れなかったのではなく、最初から折れるつもりがなかったのでは」
しばらく、間があった。
フェンがゆっくりと立ち上がり、殿下の前まで歩いた。殿下は動じなかった。巨大な白銀の狼が目の前に来ても、眉一つ動かさない。
フェンが殿下の顔をじっと嗅いだ。
殿下は静かに、それを受け入れた。
しばらくして、フェンが私の元に戻ってきた。そして何も言わずに、また伏せた。
私には、それが「合格」を意味しているように見えた。
「……殿下は、聖獣を前にして怖くないのですか」
「怖いかどうかより、失礼なことはしたくないと思っていました」
「それだけで?」
「それだけで十分でしょう」
殿下が私を見た。その目が、少しだけ穏やかだった。
「あなたも、初めて会ったときに怖がらなかった。それと同じでは」
「……私は、ただ足が動いてしまっただけです」
「俺も、同じです」
短い答えだった。
私は何も返せなかった。
◆
殿下が帰り際に、一つだけ言った。
「ガーランド侯爵が、あなたへの接触を試みているという情報があります」
私は足を止めた。
「……ウィレム様が」
「名目は謝罪、らしいですが。実際には、聖獣の伴侶という立場を取り戻そうとしているのかもしれない」
私は少し考えてから、静かに答えた。
「お断りします」
「そうですか」
「もう終わったことですから」
殿下がまた、ほんの少しだけ口元を動かした。
「その言葉、あなたはよく使いますね」
「……そうでしょうか」
「三回、聞きました。今日だけで」
私は少し考えて、自分でも苦笑した。
「癖になっているかもしれません。でも、嘘はついていません」
「わかっています」
殿下は頷いて、踵を返した。門の方へ歩きながら、一度だけ振り返った。
「また来てもいいですか」
「……殿下のご都合次第ではありますが」
「俺の都合を聞いてくれるんですね」
「王族の方に『駄目です』とは言いにくいです」
殿下が今度こそ、声を出さずに笑った。
その笑顔は、社交界で見せるものではなかった。もっと素に近い、気を抜いたような笑い方だった。
私はその背中を見送りながら、フェンが隣に来るのを感じた。
「どう思いましたか」
私が聞くと、フェンは少しの間があってから答えた。
「悪い魂ではない」
「それだけですか」
「……今は、それだけだ」
その「今は」が、少しだけ気になった。
翌朝、フェンが不意に私の手首に鼻先を押し当てた。温かい感触とともに、手のひらがほんのりと光った気がした。
「フェン?」
「……お前の才能が、目を覚まし始めている」
金色の瞳が、穏やかに細まった。
「そろそろ、薬草を触ってみるといい」
(第7話へ続く)




