第5話「第二王子カイルの接触」
第二王子がヴァルハイン家を訪れるなど、普通ならあり得ないことだった。
王族が平民に近い小貴族の屋敷を直接訪問する。それだけで、相当の意図がある。
私は玄関先でフェンと並んで待ちながら、静かに息を整えた。
扉が開いた。
黒髪の、青年だった。
年は私と同じくらいだろう。切れ長の目が印象的で、どこか感情を読ませない表情をしている。王子という肩書に恥じない佇まいだったが、華やかさより静けさの方が勝っていた。
供の者を二人だけ連れて、それ以外は連れていない。
随分と、軽装だった。
「ヴァルハイン・エリーゼ様ですね」
声は低く、静かだった。
「はい。……カイル・ラングレア殿下とお見受けします」
「そうです」
殿下はちらりとフェンを見た。
フェンは微動だにせず、金色の瞳で殿下を見返していた。
どちらも、譲らなかった。
しばらくして、殿下の口元がほんの少しだけ動いた。笑ったのか、それとも別の何かか、判断がつかなかった。
「……立派な聖獣だ」
「ありがとうございます」
「俺に言ったわけではないが」
「存じています。でも、代わりにお礼を申し上げます」
殿下が今度こそ、少しだけ表情を動かした。意外そうな、しかしどこか面白がるような色だった。
◆
応接間に通すと、殿下は勧められた椅子に座り、一度だけ深く息を吐いた。
フェンは私の隣で伏せて、金色の瞳で殿下を観察し続けている。
「単刀直入に申し上げます」
殿下が顔を上げた。
「あなたに、謝罪がしたい」
「……謝罪、ですか」
「はい」
私には、意味がわからなかった。
第二王子が私に謝罪する理由など、思い当たることが何もない。面識すらなかった。社交界でも、王族とは接点がなかった。
「殿下が私に謝罪される理由が、わかりかねます」
「あるんです」
殿下は短く言って、膝の上で手を組んだ。視線が少しだけ伏せられる。
「七年前のことです」
七年前。
私が、この婚姻の話を受けた年だ。
「……七年前に、殿下と私の間に何が」
「あなたは覚えていないかもしれない」
殿下がゆっくりと顔を上げた。切れ長の目が、真っすぐに私を見た。
「七年前、王都の路地で子供が倒れていた。あなたはそれを助けた。薬草を持っていて、処置をした。覚えていますか」
私は記憶を探った。
七年前。婚姻が決まり、王都に出てきた頃。
確かに——路地で熱を出した子供を見かけて、たまたま持っていた薬草で手当てをしたことがあった。ただそれだけのことだったが。
「……覚えています。でも、それが謝罪と、どう繋がるのですか」
「私はそのとき、遠くから見ていました」
殿下の声が、少しだけ低くなった。
「見ていただけで、何もしなかった。王子という立場を言い訳にして、関わることを避けた。あなたが一人で助けた後、私はそのままその場を離れた」
「……それは、謝罪に値することなのでしょうか」
「私には、値します」
迷いのない声だった。
「その後、あなたがガーランド家に嫁ぎ、七年間どう過ごしていたか、耳に入ることもありました。私には何もできなかった。それを、ずっと気にしていた」
私はしばらく、言葉が出なかった。
七年間、私のことを知っていた人間がいた。遠くから見ていた人間がいた。それだけのことかもしれない。でも——
「殿下」
「はい」
「その謝罪は、受け取ります」
私は静かに答えた。
「ただ、殿下が何かを悪くしたとは思いません。あの頃の私には、助けてほしいとも思っていなかった。……ただ、覚えていてくださったことは、嬉しいです」
殿下が少しの間、黙っていた。
それから、初めて、はっきりと微笑んだ。
「……そうですか」
短い答えだった。
でも、その目に、何かが宿った気がした。
フェンが私の隣でふっと息を吐いた。
呆れているのか、認めているのか、私にはわからなかった。
(第6話へ続く)




