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第4話「元夫の焦り」

報せが広まるのは、本当に早かった。


翌朝には王都中に知れ渡り、昼には近隣の貴族領にまで届いたと父が言った。夕刻には、ヴァルハイン家の門の外に野次馬が集まり始めた。


「聖獣の伴侶がここにいるというのは本当か」

「元侯爵夫人が、あのフェンリルに選ばれたというのか」


声は聞こえるが、私は表に出なかった。

フェンは縁側で悠然と毛繕いをしていた。


「……気にならないのですか」


「何がだ」


「外が騒がしいですよ」


「お前は気になるのか」


「……なりません」


正直なところ、何も感じなかった。

外の声も、視線も、遠い世界の出来事のようだった。


ただフェンの白銀の毛並みを眺めていると、不思議と心が凪いだ。



父のもとへ、旧知の貴族から次々と文が届いた。


その中の一通を、父が険しい顔で持ってきた。


「エリーゼ。ガーランド家の話だ」


私は顔を上げた。フェンがぴくりと耳を動かした。


「ウィレムが、昨夜から部屋に閉じこもっているらしい。使用人が青ざめた顔で走り回っていると、近所の者が見ているそうだ」


「……そうですか」


「それだけではない。愛人のミレーヌという女が、屋敷の中で大声で喚いているという話だ。『なんでこんなことに』『聞いていない』と」


私は少し考えて、それから静かに答えた。


「……大変でしたね、ウィレム様も」


父がぽかんとした顔をした。


「怒らないのか」


「怒る気力もないのです。ただ」


私は縁側のフェンを見た。

白銀の毛並みが朝の光の中で淡く輝いている。


「私はここにいますから」


それだけで、十分だった。



昼過ぎに、もう一報が届いた。


今度は使用人づてではなく、王都の社交界に顔のきく母の知人からだ。


「ガーランド侯爵が、方々に釈明の文を送っているそうよ」


母が困り顔で言った。


「『離縁は双方合意のもとで』と説明しているらしいけれど、誰も信じていないわ。聖獣の伴侶を手放したとなれば……」


言葉が途切れた。母も、それ以上は言いにくそうだった。


聖獣の伴侶を手放した男、ということになる。


貴族社会において、それがどれほどの意味を持つか。私にも想像はついた。


「エリーゼは……何も思わないの?」


「思いますよ」


私は正直に答えた。


「七年間、大変でした。もっと認めてほしかったとも思います。……でも、終わったことです」


母がしばらく黙っていた。それから、そっと私の手を握った。


「よく、帰ってきてくれたわね」


目の奥が、少しだけ熱くなった。

泣けなかった。でも、温かかった。



夕方になって、フェンが不意に顔を上げた。


庭の方を向いて、鼻をひくつかせている。


「フェン? どうしましたか」


「……来る」


「え?」


「人だ。お前に会いに来る」


野次馬の類ではない。フェンの声音が、少し違った。値踏みするような、慎重な響きがあった。


しばらくして、門番が走ってきた。


「エリーゼ様、お客様がいらしております。……第二王子、カイル・ラングレア殿下とのことで」


王子。


私は思わず立ち上がった。


第二王子が、なぜヴァルハイン家に。


フェンがゆっくりと私の隣に立ち、金色の瞳で門の方を見た。その瞳が、何かを測るように細まった。


「……どんな人間か、見てやる」


「フェン、失礼なことは——」


「言わない。ただ、見る」


そう言って、フェンはゆったりと歩き出した。

私はその背を追いながら、何故か胸が少しだけ早鐘を打つのを感じた。


七年ぶりに、世界がざわざわしている。

まるで長い眠りから、目が覚め始めているようだった。


(第5話へ続く)

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