第68話「初夏の遠出」
初夏になると、山の薬草が採れる季節になる。
特にエルダーフラワーとセントジョーンズワートは、この時期にしか採れない。毎年、少し遠くまで出かけていた。
「今年も行きますか」とナーシャが言った。
「行きます」
「殿下も誘いますか」
「……聞いてみます」
◆
殿下に伝えると、すぐに「行きます」と返事が来た。
「荷物持ちくらいはできます」とも書いてあった。
フェンが「俺も行く。当然だ」と言った。
◆
当日、朝早くに四人で出発した。
町の外れから山道に入ると、空気が変わった。緑の香りと、土の匂いと、朝露の冷たさ。ナーシャが「きれいですね!」と言って、殿下が「そうですね」と答えた。フェンが先を歩きながら「遅い」と言った。
「フェン、私たちの足のことを考えてください」
「考えている。これでも遅くしている」
「……ありがとうございます」
◆
一時間ほど歩くと、目当ての場所に着いた。沢のほとりの、日当たりのいい斜面にエルダーフラワーが群生していた。白い小さな花が、朝の光の中で揺れていた。
「……きれいですね」と殿下が言った。
「毎年ここに来ます。去年は一人で来たので、今年は心強いです」
「去年は一人で?」
「はい。フェンと二人で」
殿下が少し、黙った。
「……来年は、また一緒に来たいです」
◆
採取を始めると、殿下が真剣な顔で私の隣に来た。
「俺も手伝います。何をすればいいですか」
「花の頭だけを、茎ごと切り取ります。傷つけないように」
「わかりました」
殿下がゆっくりと、丁寧に花を摘み始めた。無言で、集中していた。
ナーシャがそっと私の袖を引いた。
「……殿下、真剣ですね」
「そうですね」
「なんかほっこりします」
「仕事の続きをしてください」
◆
昼前に作業が終わって、沢のほとりで休んだ。
ナーシャが持ってきた握り飯を食べた。殿下がフェンの隣に座った。フェンが少し身を寄せた。
「フェン、殿下の隣が好きですか」
「……日当たりがいいだけだ」
殿下が「ありがとうございます」と言った。フェンが「礼はいらない」と言った。
◆
帰り道、殿下が私の隣を歩きながら、静かに言った。
「……こういう時間が好きです」
「どんな時間ですか」
「目的があって、みんなで動いて、疲れて、それでも帰り道が楽しいような」
「王城では、あまりないですか」
「……種類が違います。俺が好きなのは、こういう疲れ方です」
◆
研究所に戻って、採ってきた花を広げた。
エルダーフラワーの甘い香りが部屋いっぱいに広がった。
「……いい香りですね」と殿下が言った。
「今夜から乾燥させます。二週間ほどで使えるようになります」
「その間、来たら香りを楽しめますか」
「どうぞ」
殿下が「では来ます」と言った。
フェンが「どうせ来る」と言った。
ナーシャが「えへへ」と笑った。
初夏の午後が、花の香りの中でゆっくりと流れていった。
(第69話へ続く)




