第63話「ナーシャに伝える」
ナーシャに伝えたのは、春のよく晴れた日だった。
仕事の合間に、私から切り出した。
「ナーシャ、少し話があります」
ナーシャが手を止めて、こちらを向いた。真剣な顔をしていた。
「……はい」
「殿下と、正式にお付き合いすることになりました」
◆
しばらく、沈黙があった。
ナーシャの表情が、固まったまま動かなかった。
「……ナーシャ?」
「…………」
「聞こえていましたか」
「…………き、きこえていました」
ナーシャがゆっくりと深呼吸した。
「……えっと、その、正式に、というのは」
「いずれ、王子妃になる予定です」
◆
ナーシャが立ち上がった。
「えっ」
「えっ、ではなく」
「えっ、えっ、えーっ!?」
「ナーシャ、落ち着いて」
「落ち着けません! 王子妃って、カイル殿下の!?」
「他に殿下はいません」
「すごいっ! すごいですエリーゼ様!!」
◆
フェンが縁側から「やかましい」と言った。
ナーシャが「フェンリル様、聞きましたか! エリーゼ様が王子妃に!」と言った。
「知っている」
「知ってたんですか!?」
「最初から気づいていた」
「わたしも気づいてました! 気づいてましたけど! まさかそこまでとは!」
フェンが「声が大きい」と言った。ナーシャが「すみません」と言って、それでもまだ興奮していた。
◆
お茶を飲みながら、ナーシャがひそひそと聞いた。
「……いつ、そういうことになったんですか」
「少し前に、殿下から話がありました」
「そのとき、エリーゼ様はどんな気持ちでしたか」
私は少し考えた。
「嬉しかったです。でも、驚きはあまりありませんでした」
「なんで驚かないんですか!」
「……殿下のことを、信じていたので」
ナーシャがしばらく、その言葉を受け取った。
「……エリーゼ様、変わりましたね」
「そうですか」
「研究所に来た頃は、もっと——静かというか、遠かった気がします」
◆
「遠かった?」
「なんか、こう……誰も入れないようなところにいる感じがして。でも今は、ちゃんとここにいる感じがします」
私はその言葉を、しばらく受け取った。
ここにいる感じ。
「……ナーシャ、ありがとうございます」
「え、なんで急に」
「そう言ってくれたので」
◆
ナーシャが少し赤くなった。
「わたし、エリーゼ様の弟子でよかったです。これからも弟子のままでいさせてください」
「当然です。私の大事な弟子ですから」
「王子妃になっても?」
「なっても」
ナーシャが「えへへ」と笑った。
フェンが「うるさい」と言った。でもその声は、穏やかだった。
◆
その日の夕方、殿下が来た。
ナーシャがまた固まった。殿下が「こんにちは」と言った。
「こ……こんにちは、殿下。その、あの……エリーゼ様を、よろしくお願いします!」
ナーシャが深く頭を下げた。
殿下が少し驚いた顔をして、それから静かに答えた。
「……はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
春の風が、研究所の庭を気持ちよく吹き抜けた。
(第64話へ続く)




