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第63話「ナーシャに伝える」

 ナーシャに伝えたのは、春のよく晴れた日だった。


 仕事の合間に、私から切り出した。


「ナーシャ、少し話があります」


 ナーシャが手を止めて、こちらを向いた。真剣な顔をしていた。


「……はい」


「殿下と、正式にお付き合いすることになりました」



 しばらく、沈黙があった。


 ナーシャの表情が、固まったまま動かなかった。


「……ナーシャ?」


「…………」


「聞こえていましたか」


「…………き、きこえていました」


 ナーシャがゆっくりと深呼吸した。


「……えっと、その、正式に、というのは」


「いずれ、王子妃になる予定です」



 ナーシャが立ち上がった。


「えっ」


「えっ、ではなく」


「えっ、えっ、えーっ!?」


「ナーシャ、落ち着いて」


「落ち着けません! 王子妃って、カイル殿下の!?」


「他に殿下はいません」


「すごいっ! すごいですエリーゼ様!!」



 フェンが縁側から「やかましい」と言った。


 ナーシャが「フェンリル様、聞きましたか! エリーゼ様が王子妃に!」と言った。


「知っている」


「知ってたんですか!?」


「最初から気づいていた」


「わたしも気づいてました! 気づいてましたけど! まさかそこまでとは!」


 フェンが「声が大きい」と言った。ナーシャが「すみません」と言って、それでもまだ興奮していた。



 お茶を飲みながら、ナーシャがひそひそと聞いた。


「……いつ、そういうことになったんですか」


「少し前に、殿下から話がありました」


「そのとき、エリーゼ様はどんな気持ちでしたか」


 私は少し考えた。


「嬉しかったです。でも、驚きはあまりありませんでした」


「なんで驚かないんですか!」


「……殿下のことを、信じていたので」


 ナーシャがしばらく、その言葉を受け取った。


「……エリーゼ様、変わりましたね」


「そうですか」


「研究所に来た頃は、もっと——静かというか、遠かった気がします」



「遠かった?」


「なんか、こう……誰も入れないようなところにいる感じがして。でも今は、ちゃんとここにいる感じがします」


 私はその言葉を、しばらく受け取った。


 ここにいる感じ。


「……ナーシャ、ありがとうございます」


「え、なんで急に」


「そう言ってくれたので」



 ナーシャが少し赤くなった。


「わたし、エリーゼ様の弟子でよかったです。これからも弟子のままでいさせてください」


「当然です。私の大事な弟子ですから」


「王子妃になっても?」


「なっても」


 ナーシャが「えへへ」と笑った。


 フェンが「うるさい」と言った。でもその声は、穏やかだった。



 その日の夕方、殿下が来た。


 ナーシャがまた固まった。殿下が「こんにちは」と言った。


「こ……こんにちは、殿下。その、あの……エリーゼ様を、よろしくお願いします!」


 ナーシャが深く頭を下げた。


 殿下が少し驚いた顔をして、それから静かに答えた。


「……はい。こちらこそ、よろしくお願いします」


 春の風が、研究所の庭を気持ちよく吹き抜けた。


(第64話へ続く)


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