第61話「変わること、変わらないこと」
殿下との話の翌日、研究所はいつも通りだった。
ナーシャが来て薬草を仕分けて、患者が二人来て、記録をつけた。フェンが縁側で伸びていた。何も変わっていなかった。
何も変わっていないのに——少し、違う気がした。
◆
「……フェン」
「なんだ」
「何かが変わった気がするのですが、何も変わっていません」
フェンが少し、間を置いた。
「変わったのは、お前の中だ」
「私の中が」
「先が見えると、今がちがって見える。それだけだ」
私はその言葉を、しばらく考えた。
確かに——今日の研究所の光が、いつもより少し温かく感じた。
◆
ナーシャが仕事をしながら、ちらちらとこちらを見ていた。
「……何ですか、ナーシャ」
「いえ、エリーゼ様が今日、なんか、その」
「なんですか」
「顔が、違います」
「どう違いますか」
「……なんか、すごく、穏やかです」
私は少し考えた。
「……そうかもしれません」
「何かあったんですか!」
「仕事を続けてください」
「はーい」
◆
昼過ぎに殿下が来た。
ナーシャが固まった。殿下が「こんにちは」と言った。ナーシャが「こ、こんにちは……」と言った。
殿下が縁側に座って、私が薬草の仕分けを続けた。ナーシャがそっと私の袖を引いた。
「……エリーゼ様、もしかして昨日、殿下と何か」
「仕事」
「はっ、はいっ」
殿下が庭を見ながら、小さく口元を緩めた。
◆
夕方、ナーシャが帰ったあと、三人で縁側に座った。
「……昨日のことを、ナーシャに伝えましたか」と殿下が聞いた。
「言っていません」
「そうですか。気づいていそうでしたが」
「ナーシャは勘が鋭いので」
殿下がしばらく、庭を見た。
「……いつか、伝わりますね」
「そうですね。でもそれは——いいことだと思っています」
◆
「変わりますか、この場所は」と私は言った。
殿下がこちらを向いた。
「変わる部分と、変わらない部分があると思います」
「変わらないのは」
「俺がここに来ること。あなたが薬草の仕事をすること。フェンリルが縁側にいること」
フェンが「当然だ」と言った。
「変わるのは」と私が続けた。
「……あなたが、俺の傍にいる理由が、もう少しちゃんとした形になること」
◆
私はその言葉を、静かに受け取った。
ちゃんとした形。
以前は——誰かの妻として、誰かの家のために生きていた。今度は、自分で選んで、自分の言葉で答えた上での、ちゃんとした形だった。
「……同じようで、全然違いますね」
「何がですか」
「前の結婚と、これから。形は似ていても」
殿下がゆっくりと頷いた。
「俺も、そう思います。——だから、ちゃんとしたいのです」
◆
夕暮れが庭をオレンジに染めた。ラベンダーの葉が、風にそっと揺れた。
フェンが「飽きないな、この庭は」と言った。
「好きですか、ここが」
「……まあ」
「フェンが気に入ってくれていると、嬉しいです」
「うるさい」
殿下が「俺も、好きです。この場所が」と言った。
私も、好きだった。ここが——今の自分の、確かな場所だった。
(第62話へ続く)




