第56話「手のひら」
冬の薬草仕事は、手が冷える。
水を使う作業が多いし、乾燥した空気の中で細かい作業を続けると、指先がかじかんでくる。七年間ずっとそうだったから、慣れていた。気にしたことがなかった。
◆
ある日、殿下が来て、いつものように縁側に並んで座った。
お茶を渡そうとしたとき、殿下が私の手をちらりと見た。
「……手が赤いですね」
「冬はこうなります」
「冷たいですか」
「少し」
殿下が何も言わずに、自分の手を伸ばした。私の手を、両手でそっと包んだ。
◆
温かかった。
驚いて、少し身を引こうとした。でも殿下が「少し待ってください」と言ったので、そのままにした。
「……温まります」
「そうですか」
「手袋はありますか」
「あります。でも仕事中は邪魔で」
「そうですか」
殿下がしばらく、黙って私の手を包んでいた。
◆
フェンが縁側から「うるさい」と言った。
「何も言っていませんよ」
「お前の心臓がうるさい」
私は何も言えなかった。殿下が小さく笑った。
「フェンリルには、全部聞こえているんですね」
「……そのようです」
「それは——少し、困りますね」
「今さらです」とフェンが言った。
◆
殿下がゆっくりと手を離した。指先が少し、温かくなっていた。
「……ありがとうございます」
「次から手袋をしてください」
「仕事中は」
「仕事の前と後だけでも」
私はしばらく考えた。
「……わかりました」
「約束ですか」
「約束です」
殿下が「よかった」と言った。それだけだったが、ひどく真剣な声だった。
◆
その日の夕方、殿下が帰ったあと、フェンが言った。
「……あいつは、お前のことをよく見ている」
「そうですね」
「手が赤いことに、俺も気づいていた」
「フェンも心配していたのですか」
フェンが少し、黙った。
「……していた。だが言わなかった」
「なぜですか」
「お前が気にしていなかったから」
◆
私はその言葉を、しばらく受け取った。
「……殿下は、私が気にしていないことも、気にしてくれるんですね」
「そういう人間だ」
「フェンもそうです」
「俺は違う」
「同じです」
フェンが「うるさい」と言った。
でも——その日の夜、眠る前に、手のひらがまだ少し温かい気がした。
(第57話へ続く)




