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第54話「年の瀬」

 年の瀬が近くなると、町の空気が少し変わる。


 市場に行くと、保存食や乾燥果実を買い込む人が増えて、どこか慌ただしい。研究所にも、年末に向けて薬を多めに買っていく患者が来た。風邪薬、腹薬、冷えに効くもの。


 ナーシャが「年末って忙しいんですね」と言った。


「来年の分を備えておく人が多いので」


「エリーゼ様は、年末年始は何かしますか」


 私はしばらく考えた。


「……去年までは、夫の家でいろいろ準備をしていました。今年は——初めて、自分のための年末です」



 ナーシャが少し、黙った。


「……どんな気持ちですか」


「不思議な気持ちです。何をしていいかわからなくて、でも——悪くない」


「そうですよね」とナーシャが言った。「自分のために、好きなことをしていいんですよね」


 私は頷いた。


 そうだ。今年は、自分のために年を越せる。



 その日の夕方、殿下が来た。


 手に小さな包みを持っていた。


「年末の贈り物です。少し早いですが」


 受け取ると、柔らかい布に包まれていた。開けると、小さな陶器の薬壺が三つ、並んでいた。蓋に細かい草花の模様が彫ってあった。


「……きれいですね」


「王城の陶工に頼みました。薬草を入れるものと聞いて、こういう模様にしてもらいました」


「……使うのがもったいないくらいです」


「使ってください。そのために作ったので」



 縁側でお茶を飲みながら、殿下が静かに言った。


「……今年は、どんな年でしたか」


 私はしばらく考えた。


「長い年でした。いろんなことがありすぎて」


「悪い年でしたか」


「いいえ」と私はすぐに答えた。「——人生で、一番いい年だったと思います」


 殿下がこちらを見た。


「そうですか」


「はい。フェンに会って、仕事を始めて、殿下に出会って」



 フェンが縁側で「俺が一番先だ」と言った。


「そうですね、フェンが一番先です」


「当然だ」


 殿下が「俺は三番目ですか」と言った。


「順番の問題ではないですが……」


「一番大事なのは」


「全員、大事です」


 フェンが「うまくまとめた」と言った。


 殿下が「そうですね」と言った。少し、残念そうだったかもしれない。



「……でも」と私は続けた。


「はい」


「殿下がいなかったら、今年は全然違う年になっていた、とは思います」


 殿下がしばらく、黙った。


「……俺も、そうです。あなたがいなかったら」


「いなかったら?」


「今年が、こんなに——穏やかではなかった」



 空が暗くなってきた。星が一つ、二つと出始めた。


 殿下が「来年も、よろしくお願いします」と言った。


 私は少し驚いた。そんなふうに言われたのが、久しぶりだった。


「……こちらこそ」


「来年もここに来ていいですか」


「来てください。毎年」


 殿下が静かに「はい」と言った。


 フェンが「うるさい」と言った。


 でも今夜は、誰も笑いを堪えなかった。


(第55話へ続く)

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