第53話「初雪」
朝、目を覚ましたら、庭が白くなっていた。
今年の初雪だった。
音もなく降り積もっていたらしく、ラベンダーの葉も石畳も、薬草棚の屋根も、全部うっすらと白に覆われていた。
「……きれいですね」
縁側に出ると、フェンがすでにそこにいた。白い毛が雪と溶け込んで、どこからどこまでがフェンなのかわからなくなりそうだった。
「寒くないですか」
「俺に聞くな」
そうだった。聖獣に寒さは関係ない。
◆
昼前に殿下から手紙が来た。
「今日は雪ですね。伺っていいですか」
私はすぐに返した。「どうぞ。足元に気をつけてください」
しばらくして返事が来た。「あなたに言われると思っていませんでした」
私は少し笑った。
◆
殿下は昼過ぎに来た。外套の肩に雪が積もっていた。
「降っていますか、まだ」
「少しだけ。でも歩いてきたのですか」
「馬で来ましたが、最後は歩きました。雪の道が、なんとなく」
「好きですか、雪」
「……嫌いではないですが、あなたが心配かと思って、少し急ぎました」
私は言葉を受け取った。それからゆっくりと「ありがとうございます」と言った。
◆
三人で縁側に座って、雪の庭を眺めた。
お茶を淹れると、湯気が白く立ち上った。殿下がそれを両手で包むように持った。
「……冬の研究所は、また雰囲気が違いますね」
「そうですか」
「静かで、でも温かい。不思議な場所です」
「夏は薬草の香りが強くて、秋は乾燥した香りで、冬は……」
「どんな香りですか」
私はしばらく考えた。
「蜜蝋と、ハーブと、薪の煙。それが混ざったような」
殿下が目を閉じて、少し鼻先を上げた。
「……そうですね。この香りは、ここにしかない」
◆
フェンが庭に降りて、雪の上を歩いた。大きな足跡が、白い庭にくっきりと残った。
「フェン、楽しんでいますか」
「別に」
でも、もう一周した。
殿下が小声で「楽しんでいますね」と言った。
「言わないでください。フェンに聞こえます」
「聞こえている」とフェンが言った。
殿下が静かに笑った。私も笑った。
◆
夕方になって雪が止んだ。空が晴れて、西の空がうすいオレンジに染まった。
殿下が「そろそろ戻ります」と言って立ち上がった。
「今日は来てくれてよかったです」
「そうですか」
「雪の日に一人だと、少し静かすぎるので」
殿下がこちらを向いた。
「……次に雪が降ったときも、来ていいですか」
「毎回聞きますね」
「毎回、聞きたいので」
◆
私は少し考えた。
「……聞かなくても、来てください」
殿下がしばらく黙った。それから、ゆっくりと微笑んだ。
珍しかった。殿下が——はっきりと、笑った。
「はい」
雪の残る庭を、殿下の足跡とフェンの足跡が並んで続いていた。
それが——なんだか、好きだと思った。
(第54話へ続く)




