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第53話「初雪」

 朝、目を覚ましたら、庭が白くなっていた。


 今年の初雪だった。


 音もなく降り積もっていたらしく、ラベンダーの葉も石畳も、薬草棚の屋根も、全部うっすらと白に覆われていた。


「……きれいですね」


 縁側に出ると、フェンがすでにそこにいた。白い毛が雪と溶け込んで、どこからどこまでがフェンなのかわからなくなりそうだった。


「寒くないですか」


「俺に聞くな」


 そうだった。聖獣に寒さは関係ない。



 昼前に殿下から手紙が来た。


 「今日は雪ですね。伺っていいですか」


 私はすぐに返した。「どうぞ。足元に気をつけてください」


 しばらくして返事が来た。「あなたに言われると思っていませんでした」


 私は少し笑った。



 殿下は昼過ぎに来た。外套の肩に雪が積もっていた。


「降っていますか、まだ」


「少しだけ。でも歩いてきたのですか」


「馬で来ましたが、最後は歩きました。雪の道が、なんとなく」


「好きですか、雪」


「……嫌いではないですが、あなたが心配かと思って、少し急ぎました」


 私は言葉を受け取った。それからゆっくりと「ありがとうございます」と言った。



 三人で縁側に座って、雪の庭を眺めた。


 お茶を淹れると、湯気が白く立ち上った。殿下がそれを両手で包むように持った。


「……冬の研究所は、また雰囲気が違いますね」


「そうですか」


「静かで、でも温かい。不思議な場所です」


「夏は薬草の香りが強くて、秋は乾燥した香りで、冬は……」


「どんな香りですか」


 私はしばらく考えた。


「蜜蝋と、ハーブと、薪の煙。それが混ざったような」


 殿下が目を閉じて、少し鼻先を上げた。


「……そうですね。この香りは、ここにしかない」



 フェンが庭に降りて、雪の上を歩いた。大きな足跡が、白い庭にくっきりと残った。


「フェン、楽しんでいますか」


「別に」


 でも、もう一周した。


 殿下が小声で「楽しんでいますね」と言った。


「言わないでください。フェンに聞こえます」


「聞こえている」とフェンが言った。


 殿下が静かに笑った。私も笑った。



 夕方になって雪が止んだ。空が晴れて、西の空がうすいオレンジに染まった。


 殿下が「そろそろ戻ります」と言って立ち上がった。


「今日は来てくれてよかったです」


「そうですか」


「雪の日に一人だと、少し静かすぎるので」


 殿下がこちらを向いた。


「……次に雪が降ったときも、来ていいですか」


「毎回聞きますね」


「毎回、聞きたいので」



 私は少し考えた。


「……聞かなくても、来てください」


 殿下がしばらく黙った。それから、ゆっくりと微笑んだ。


 珍しかった。殿下が——はっきりと、笑った。


「はい」


 雪の残る庭を、殿下の足跡とフェンの足跡が並んで続いていた。


 それが——なんだか、好きだと思った。


(第54話へ続く)

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