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第49話「前夜」

 陛下との謁見から三日が経った。


 研究所はいつも通りだった。ナーシャが薬草を仕分けて、私が記録をつけて、フェンが縁側で伸びている。何も変わっていなかった。


 ただ——殿下からの手紙が、毎日来るようになっていた。



 最初の日は「昨日は疲れませんでしたか」。


 次の日は「庭の菊が咲き始めています。見せたいと思っています」。


 三日目の昨日は「あなたが淹れてくれたお茶のことを、時々思い出します」。


 どれも短かった。でもどれも、読むたびに少し胸が温かくなった。


 ナーシャが「最近よく手紙が来ますね」と言った。


「そうですね」


「……もしかして殿下ですか」


「仕事の続きをしてください」


「はーい」



 そして今日の夕方、一通の手紙が届いた。


 「明日、伺ってもいいですか。少し、話があります」


 それだけだった。


 私はその手紙を、三度読んだ。


 少し、話がある。


 その言葉の意味を——わからないほど鈍くはなかった。



「フェン」


「読んだ」


「……明日、殿下が来ます」


「知っている」


「話があるそうです」


「知っている」


 フェンが目を細めて、縁側の外を見た。秋の夕暮れが、庭をゆっくりと染めていた。


「……怖いですか、と聞こうと思っていましたが」


「怖くない」


「そうですか」


「お前こそ、どうだ」



 私はしばらく考えた。


 怖いか。


「……怖くはありません。ただ——少し、緊張しています」


「それは怖いのとは違うか」


「違います。嬉しいから、緊張しているんだと思います」


 フェンがぽつりと言った。


「そうか」


 それだけだった。でも、その声がいつもより少し柔らかかった。



 夜、薬草の記録を書き終えてから、縁側に出た。


 星が出ていた。秋の空は高くて、星がくっきりと見えた。


 フェンが隣に来て、黙って座った。


「……フェン、あなたは百年以上、一人でしたね」


「そうだ」


「それでも——誰かと出会うことを、諦めなかったのですか」


 フェンが少し間を置いた。


「諦めていた」


「そうですか」


「ただ——お前に会って、諦めていたことに気づいた」



 私はその言葉を、星を見ながら受け取った。


「……私も、そうかもしれません。また誰かを信じることを、どこかで諦めていた気がします」


「今は」


「今は——信じています。殿下のことも、フェンのことも」


 フェンが頭を私の肩に押しつけた。重かった。温かかった。


「明日、ちゃんと聞け」


「はい」


「逃げるなよ」


「逃げません」



 しばらくして、フェンが言った。


「……お前が笑うようになった。それだけで、俺は十分だ」


「フェン」


「うるさい」


 でも、フェンはそのまま離れなかった。


 明日が来る。


 その言葉が、今の私には——少しも恐ろしくなかった。


(第50話へ続く)


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