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第45話「雨の日」

 秋の雨が一日中降り続けた。


 ナーシャは朝から「今日は来られません、すみません」と伝言を寄越してきた。殿下からも「今日は王城を離れられません」と手紙が来た。


 結局、一日中フェンと二人きりだった。



 研究所の仕事は雨の日でもある。乾燥中の薬草の状態を確認して、湿気で傷んでいないか確かめる。記録をつける。次の配合の準備をする。


 フェンが縁側の内側——廊下のような場所に伏せて、雨を眺めていた。


「……雨は好きですか」


「嫌いではない」


「静かですね」


「そうだ」


 私も隣に座って、雨を見た。庭のラベンダーが雨に揺れていた。もう花の時期は終わっていたが、緑の葉が雨に濡れて光っていた。



 しばらくして、フェンがぽつりと言った。


「……以前の伴侶のことを、聞くか」


 私は少し驚いた。フェンが自分からその話を持ち出したのは、初めてだった。


「聞いてもいいですか」


「いいから言っている」


「……どんな方でしたか」


 フェンがしばらく、雨を見ていた。


「老いた女性だった。薬師ではなかったが、山で薬草を育てていた。俺に気づいたのは、彼女が四十を過ぎた頃だった」


「気づいた、というのは」


「聖獣の存在に、だ。森の奥に俺がいることを、彼女は感じ取った。恐れずに近づいてきた」



「……どんな人でしたか」


「よく笑う人だった。俺が何を言っても、笑って流した。うるさいと言っても、笑った。俺がいなくても、一人でよく笑っていた」


「エリーゼ様と違いますね」と私が言った。


「お前は笑いを堪える」


「そうですか」


「笑う顔は見たことがある。でも声に出して笑うのは少ない」


 私は少し考えた。確かに、そうかもしれなかった。


「……あの七年間で、笑い方を忘れたのかもしれません」


「今、取り戻している」


「そうでしょうか」


「そうだ」



「彼女が逝ったとき、百年間一人だったと言っていましたね」


「そうだ」


「寂しくなかったのですか、本当に」


 フェンがしばらく、黙った。


「……最初は何も感じなかった。何百年も生きると、喪失の感覚が変わる。水が流れるように、ただ時間が過ぎた」


「それが変わったのはいつですか」


「お前と会ってからだ」


 私は何も言えなかった。


「静かだったところに、音が戻ってきた。それが——久しぶりだった」



 雨の音が続いていた。


 私はフェンの毛に、そっと頬を近づけた。温かかった。雨の湿気の中でも、フェンはいつも温かかった。


「……フェン」


「なんだ」


「私と出会ってよかったですか」


 フェンが少しの間、黙った。


「よかった」


 それだけだった。でも——それだけで、十分だった。



 夕方、雨が少し弱まった頃、殿下から短い手紙が来た。


 「今日は会えなくてすみません。明日、行っていいですか」


 私は「はい」と返した。


 フェンが「また来るのか」と言った。


「嫌ですか」


「……嫌ではない」


 雨が、庭の石畳を静かに叩いていた。


(第46話へ続く)

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