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第43話「夏の終わりに」

 アルヴィン殿下の話があってから数日後、カイル殿下が研究所に来た。


 今日は珍しく、何も手土産を持っていなかった。


「……何もないのですね」


「忘れました」


「珍しい」


「少し、急いで来たので」


 私はその言葉の意味を、少し考えた。急いで来た。


「……心配していたのですか」


「していました」


 殿下が静かに言った。隠す様子がなかった。



 その日はナーシャが早上がりで、研究所には私とフェンと殿下の三人だった。


 殿下が「何か手伝えることはありますか」と言ったので、薬草の仕分けを頼んだ。


 殿下は不慣れな手つきで、でも丁寧に薬草を分けていった。


「……これはカモミールですか」


「そうです。匂いを嗅いでみてください」


 殿下が一束を鼻に近づけた。それから少し目を細めた。


「……甘いですね」


「リンゴに似た香りがします。気持ちを落ち着かせる効果があります」


「あなたの研究所は、いつもこの匂いがしていますね」


「そうですか」


「来るたびに、少し楽になる気がします」



 夕方近くまで、並んで作業をした。


 殿下は口数が少なかったが、それが苦にならなかった。黙っていても、傍にいる人だった。


 フェンが縁側で伸びたまま、時々こちらを見た。


「……フェン、邪魔しないのですか」


 私が小声で言うと、フェンが「今日は邪魔しない」と言った。


「なぜですか」


「疲れているから、二人とも」


 確かに、アルヴィン殿下とのことで、少し消耗していたかもしれない。



 作業が終わって、縁側でお茶を飲んだ。


 夏の終わりの空が、うっすらとオレンジに染まり始めていた。


「……エリーゼさん」


「はい」


「兄に何か言われても、揺れませんでしたか」


「揺れませんでした」


「なぜですか」


 私はしばらく考えた。


「殿下が来てくれると思っていたから、かもしれません」


 殿下が、静かにこちらを向いた。


「……俺が来ると、わかっていたのですか」


「わかっていました。殿下は、必ずと言ったので」



 殿下がしばらく、何も言わなかった。


 それから、静かに言った。


「……俺は、あなたのそばにいたい。それは、変わりません」


「知っています」


「噂があっても、兄が何か言っても——それは変わらない」


「……はい」


「あなたも、同じですか」


 私はすぐに答えた。


「同じです」


 殿下が小さく息をついた。ほっとしたような音だった。



 フェンが縁側から「そろそろうるさくなりそうだな」と言った。


「今は静かですよ」


「これからだ」


 殿下が「フェンリルは先が読める」と言った。


「当然だ」


「……そうですね」


 殿下が珍しく、フェンに素直に同意した。フェンが少しだけ、鼻先を上に向けた。


 空が、深いオレンジから紫へと変わっていく。


 今日ここにあるものが——当たり前になっていくといい、と私は思った。


 この人が来ること。この声が聞こえること。この静けさが、続くこと。


(第44話へ続く)

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