第32話「小さな来訪者」
夜会から三日後、研究所に珍しい来客があった。
母親に手を引かれた、五歳くらいの男の子だった。
丸い目で研究所の入り口をじっと見て、それから——フェンを見て、固まった。
「……おおきい」
「そうだ」
フェンが当然のように答えた。男の子がさらに固まった。
◆
母親が申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません、急に。この子が、ずっと咳が続いていて——ギルドの薬を試したのですが、あまり効かなくて」
「いいえ、大丈夫です。少し診させてください」
私は男の子の前にしゃがんだ。
「名前を教えてくれますか」
「……レオ」
「レオくん。私はエリーゼといいます。少し、のどを見せてもらえますか」
男の子がちらりとフェンを見た。フェンが「見ていてやる」と言った。何を見ているのかは謎だったが、男の子は少し安心したように口を開いた。
◆
のどの奥が少し赤かった。熱はそれほどでもない。咳の出方を聞くと、朝と夜がひどいという。
加護があると、体の状態がうっすらとわかる。炎症というより、乾燥と疲れが重なっているような感覚だった。
「強い薬は必要ないと思います。のどを潤して、体を休めるものを出しますね」
「それだけで治りますか」
「しばらくかかりますが、楽になるはずです」
私は棚から乾燥した薬草を取り出して、小さな袋に詰め始めた。マローの花と、エルダーフラワー。ハチミツを少し加えると飲みやすくなる、と母親に伝えた。
◆
その間、レオくんはずっとフェンを見ていた。
フェンも、レオくんを見ていた。
「……さわっていいですか」
男の子が小さな声で言った。
フェンがしばらく黙った。
「……まあ、いい」
レオくんが恐る恐る手を伸ばして、フェンの毛に触れた。それから目をまんまるにした。
「ふわふわだ」
「当然だ」
「すごい、ふわふわ」
「知っている」
私は薬を詰めながら、笑いをこらえた。フェンが子どもに対してこんなに素直に応じるのを、初めて見た気がした。
◆
薬の代金を、母親が差し出した。
「お気持ちだけで」と言おうとしたら、母親が首を振った。
「いいえ。ちゃんと受け取ってください。あなたに診ていただけて、本当に良かった。ギルドでは薬を出すだけで、話もろくに聞いてもらえなかったので」
私は少しの間、その言葉を受け取った。
「……そうでしたか」
「はい。……こういう場所が、あってよかったと思います」
素直な言葉だった。
私はありがとうございますと言って、代金を受け取った。
◆
母子が帰ったあと、フェンが縁側に戻って伸びた。
「……子どもは正直だな」
「そうですね」
「ふわふわ、と言った」
「言っていましたね」
「……間違ってはいない」
私は少し笑った。
「フェン、子どもが好きなのですか」
「好きとは言っていない」
「でも、触らせてあげていましたよね」
フェンが少しの間、黙った。
「……騒がしくなかった」
「それはつまり」
「それだけだ」
◆
夕方、殿下から短い手紙が届いた。
「先日の夜会の件、王城でも話題になっているようです。——良い意味で。あなたの評判は、俺が思っていたより広まるのが早い」
私は少しだけ、手紙を持ったまま立ち止まった。
良い意味で、と殿下は書いた。
七年前の私には、想像もできなかった言葉だった。
フェンが「また顔が緩んでいる」と言った。
「……わかっています」
「わかっているならいい」
庭のラベンダーが、夕日の中でゆっくりと揺れていた。
(第33話へ続く)




