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第32話「小さな来訪者」

 夜会から三日後、研究所に珍しい来客があった。


 母親に手を引かれた、五歳くらいの男の子だった。


 丸い目で研究所の入り口をじっと見て、それから——フェンを見て、固まった。


「……おおきい」


「そうだ」


 フェンが当然のように答えた。男の子がさらに固まった。



 母親が申し訳なさそうに頭を下げた。


「すみません、急に。この子が、ずっと咳が続いていて——ギルドの薬を試したのですが、あまり効かなくて」


「いいえ、大丈夫です。少し診させてください」


 私は男の子の前にしゃがんだ。


「名前を教えてくれますか」


「……レオ」


「レオくん。私はエリーゼといいます。少し、のどを見せてもらえますか」


 男の子がちらりとフェンを見た。フェンが「見ていてやる」と言った。何を見ているのかは謎だったが、男の子は少し安心したように口を開いた。



 のどの奥が少し赤かった。熱はそれほどでもない。咳の出方を聞くと、朝と夜がひどいという。


 加護があると、体の状態がうっすらとわかる。炎症というより、乾燥と疲れが重なっているような感覚だった。


「強い薬は必要ないと思います。のどを潤して、体を休めるものを出しますね」


「それだけで治りますか」


「しばらくかかりますが、楽になるはずです」


 私は棚から乾燥した薬草を取り出して、小さな袋に詰め始めた。マローの花と、エルダーフラワー。ハチミツを少し加えると飲みやすくなる、と母親に伝えた。



 その間、レオくんはずっとフェンを見ていた。


 フェンも、レオくんを見ていた。


「……さわっていいですか」


 男の子が小さな声で言った。


 フェンがしばらく黙った。


「……まあ、いい」


 レオくんが恐る恐る手を伸ばして、フェンの毛に触れた。それから目をまんまるにした。


「ふわふわだ」


「当然だ」


「すごい、ふわふわ」


「知っている」


 私は薬を詰めながら、笑いをこらえた。フェンが子どもに対してこんなに素直に応じるのを、初めて見た気がした。



 薬の代金を、母親が差し出した。


「お気持ちだけで」と言おうとしたら、母親が首を振った。


「いいえ。ちゃんと受け取ってください。あなたに診ていただけて、本当に良かった。ギルドでは薬を出すだけで、話もろくに聞いてもらえなかったので」


 私は少しの間、その言葉を受け取った。


「……そうでしたか」


「はい。……こういう場所が、あってよかったと思います」


 素直な言葉だった。


 私はありがとうございますと言って、代金を受け取った。



 母子が帰ったあと、フェンが縁側に戻って伸びた。


「……子どもは正直だな」


「そうですね」


「ふわふわ、と言った」


「言っていましたね」


「……間違ってはいない」


 私は少し笑った。


「フェン、子どもが好きなのですか」


「好きとは言っていない」


「でも、触らせてあげていましたよね」


 フェンが少しの間、黙った。


「……騒がしくなかった」


「それはつまり」


「それだけだ」



 夕方、殿下から短い手紙が届いた。


 「先日の夜会の件、王城でも話題になっているようです。——良い意味で。あなたの評判は、俺が思っていたより広まるのが早い」


 私は少しだけ、手紙を持ったまま立ち止まった。


 良い意味で、と殿下は書いた。


 七年前の私には、想像もできなかった言葉だった。


 フェンが「また顔が緩んでいる」と言った。


「……わかっています」


「わかっているならいい」


 庭のラベンダーが、夕日の中でゆっくりと揺れていた。


(第33話へ続く)

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