第31話「帰り道」
夜会が終わったのは、夜半を少し過ぎた頃だった。
王城の門を出ると、夜風が心地よく頬を撫でた。昼間の春の暖かさとは違う、少し冷えた空気。それが、長い夜の緊張をゆっくりとほぐしてくれる気がした。
「お疲れ様でした」
殿下が静かに言った。
「殿下こそ」
「俺はあまり疲れていません」
「嘘です」
殿下が少し目を丸くした。
「……なぜわかるのですか」
「目の下が少し疲れて見えます。薬師の習慣で、人の顔を見てしまうので」
殿下がしばらく黙った。それから「……気づいていませんでした」と言った。
◆
帰りの馬車も、行きと同じだった。
殿下と私が向かい合って、フェンが私の隣に収まった。行きよりは少し狭く感じた——フェンが遠慮なく私の方に寄りかかっていたせいだ。
「フェン、重い」
「疲れた」
「そうですか」
「お前も疲れているだろう」
「……少し」
フェンが何も言わずに、頭を私の肩に乗せてきた。重かった。でも、温かかった。
殿下が向かいで、それを静かに見ていた。
◆
「今夜は、どうでしたか」
しばらくして、殿下が言った。
「正直に言えば」
「はい」
「思っていたより、楽しかったです」
殿下が少しだけ、目を細めた。
「それは良かった」
「マーゴット様と再会できたのも、よかったと思います。あの方は昔から、言葉が直接的で」
「何か言われましたか」
「今の方がよほどいい顔をしていると」
殿下が少しの間、黙った。
「……俺も、そう思います」
「殿下も?」
「あなたが畑にいるとき、研究所で薬を渡しているとき——その顔が、今夜も続いていました」
私は何と答えればいいか、少し迷った。
「……それは、この一年で変わったことだと思います」
「何が変わったのですか」
馬車が石畳の上をゆっくりと進む音がした。フェンの体温が、肩から伝わってきた。
「自分の居場所が、あると思えるようになりました」
◆
殿下がしばらく、窓の外を見た。
夜の街に、ぽつぽつと灯りが続いていた。
「エリーゼさん」
「はい」
「今夜、あなたを誘って良かったと思っています」
「私も、お受けして良かったと思っています」
「またいつか——夜会でなくても、どこかへ連れていけますか」
静かな問いだった。
私はしばらく考えた。どこかへ、と殿下は言った。夜会でなくても、と言った。それはもう、公務の話ではなかった。
「……はい。喜んで」
殿下が静かに微笑んだ。
フェンが肩の上で、低く鼻息をついた。
「……うるさい」
「何も言っていません」
「鼻息がうるさい」
私は少し笑った。殿下も、笑いをこらえていた。
◆
ヴァルハイン家の前で馬車が止まったとき、殿下が先に降りて、手を差し出した。
当たり前のように、自然に。
私はその手を取って、馬車を降りた。
「今夜は、ありがとうございました」
「こちらこそ」
殿下の手が、少しだけ長く、私の手を握っていた。
気づかないふりをしようかと思った。でも——できなかった。
「……殿下」
「はい」
「また、声をかけてください」
殿下が「必ず」と言った。
フェンが私の隣で、ため息をついた。でも今夜は、そのため息がいつもより柔らかかった。
(第32話へ続く)




