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第31話「帰り道」

 夜会が終わったのは、夜半を少し過ぎた頃だった。


 王城の門を出ると、夜風が心地よく頬を撫でた。昼間の春の暖かさとは違う、少し冷えた空気。それが、長い夜の緊張をゆっくりとほぐしてくれる気がした。


「お疲れ様でした」


 殿下が静かに言った。


「殿下こそ」


「俺はあまり疲れていません」


「嘘です」


 殿下が少し目を丸くした。


「……なぜわかるのですか」


「目の下が少し疲れて見えます。薬師の習慣で、人の顔を見てしまうので」


 殿下がしばらく黙った。それから「……気づいていませんでした」と言った。



 帰りの馬車も、行きと同じだった。


 殿下と私が向かい合って、フェンが私の隣に収まった。行きよりは少し狭く感じた——フェンが遠慮なく私の方に寄りかかっていたせいだ。


「フェン、重い」


「疲れた」


「そうですか」


「お前も疲れているだろう」


「……少し」


 フェンが何も言わずに、頭を私の肩に乗せてきた。重かった。でも、温かかった。


 殿下が向かいで、それを静かに見ていた。



「今夜は、どうでしたか」


 しばらくして、殿下が言った。


「正直に言えば」


「はい」


「思っていたより、楽しかったです」


 殿下が少しだけ、目を細めた。


「それは良かった」


「マーゴット様と再会できたのも、よかったと思います。あの方は昔から、言葉が直接的で」


「何か言われましたか」


「今の方がよほどいい顔をしていると」


 殿下が少しの間、黙った。


「……俺も、そう思います」


「殿下も?」


「あなたが畑にいるとき、研究所で薬を渡しているとき——その顔が、今夜も続いていました」


 私は何と答えればいいか、少し迷った。


「……それは、この一年で変わったことだと思います」


「何が変わったのですか」


 馬車が石畳の上をゆっくりと進む音がした。フェンの体温が、肩から伝わってきた。


「自分の居場所が、あると思えるようになりました」



 殿下がしばらく、窓の外を見た。


 夜の街に、ぽつぽつと灯りが続いていた。


「エリーゼさん」


「はい」


「今夜、あなたを誘って良かったと思っています」


「私も、お受けして良かったと思っています」


「またいつか——夜会でなくても、どこかへ連れていけますか」


 静かな問いだった。


 私はしばらく考えた。どこかへ、と殿下は言った。夜会でなくても、と言った。それはもう、公務の話ではなかった。


「……はい。喜んで」


 殿下が静かに微笑んだ。


 フェンが肩の上で、低く鼻息をついた。


「……うるさい」


「何も言っていません」


「鼻息がうるさい」


 私は少し笑った。殿下も、笑いをこらえていた。



 ヴァルハイン家の前で馬車が止まったとき、殿下が先に降りて、手を差し出した。


 当たり前のように、自然に。


 私はその手を取って、馬車を降りた。


「今夜は、ありがとうございました」


「こちらこそ」


 殿下の手が、少しだけ長く、私の手を握っていた。


 気づかないふりをしようかと思った。でも——できなかった。


「……殿下」


「はい」


「また、声をかけてください」


 殿下が「必ず」と言った。


 フェンが私の隣で、ため息をついた。でも今夜は、そのため息がいつもより柔らかかった。


(第32話へ続く)

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