第30話「夜会にて」
王城の大広間は、思っていたより明るかった。
無数のろうそくが天井から吊り下がり、床に敷き詰められた白い石が光を跳ね返している。人々の衣装が、その光の中で揺れていた。
私は入り口で一度だけ、深く息を吸った。
◆
「緊張していますか」
殿下が隣で、低く言った。
「……少しだけ」
「そうは見えません」
「見えないようにしているだけです」
殿下が静かに微笑んだ。
フェンが私の左に並んで、大広間を見渡した。人々がざわめいた——主にフェンの存在に。当然だった。王城の夜会に聖獣が現れたのは、おそらく初めてのことだろう。
「視線が多い」
「フェンが来たからです」
「半分はお前にも向いている」
私はそれには答えなかった。
◆
しばらくして、女性が一人近づいてきた。
「エリーゼ様?」
聞き覚えのある声だった。
「……マーゴット様」
マーゴット・レインズ——七年前、何度か夜会でご一緒したことのある伯爵令嬢。今は誰かの奥方になっているはずだった。
「まあ、お久しぶり。聖獣の伴侶というのはあなたのことだったの! 噂には聞いていたけれど」
「はい。おかげさまで、今はよくやっています」
マーゴット様は私をじっと見て、それからにっこり笑った。
「よかった。……あの頃のあなたは少し顔色が悪かったから」
直接的な言い方だった。でも、悪意はなかった。
「今の方がよほどいい顔をしていますよ」
「……ありがとうございます」
◆
その後も、二、三人の方が声をかけてくれた。
七年前を知っている人たちだった。伯爵家の奥方として夜会に出ていた頃の私を知っている人たち。その中には、あの頃の私が少し羨ましいと思っていた人もいたかもしれない。
でも今夜は——何も怖くなかった。
私は誰かの妻として、この場にいるわけではなかった。離縁された身として縮こまっているわけでもなかった。
薬師として、聖獣の伴侶として、私自身として——立っていた。
◆
少し静かな場所へ移動したとき、殿下が隣に来た。
「どうですか」
「……思っていたより、大丈夫でした」
「それは良かった」
「殿下が隣にいてくれたからだと思います」
殿下が少しだけ目を細めた。
「俺がいなくても、あなたは大丈夫だったと思います」
「そうでしょうか」
「今夜のあなたを見ていればわかります」
何と答えればいいか、少し迷った。
「……でも、いてくれる方が、よかったです」
殿下が静かに「それは俺も同じです」と言った。
◆
夜が深くなる頃、フェンが私の隣で低く唸った。
「……疲れたか」
「少し」
「帰るか」
「もう少しだけ」
フェンが鼻先を私の肩に押しつけた。そっと、静かに。
「……わかった」
大広間の灯りが、ゆっくりと揺れていた。
七年前、私はこういう場所でいつも少しだけ、自分の居場所がないような気がしていた。隣に誰かがいても——誰も、本当の意味では私を見ていなかった気がした。
でも今夜は。
右に殿下。左にフェン。
どちらも、ちゃんと私を見ていた。
それだけで——十分だった。
(第31話へ続く)




