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第27話「収穫の朝」

 クレインの件が落ち着いた翌朝、私は研究所ではなく、畑に出た。


 ラベンダーが収穫の時期を迎えていた。茎の下の方から、紫の小さな花穂が一斉に開いている。摘み頃は花が半分ほど開いたとき——加護があると、そういうことも手に取るようにわかった。


 フェンが当然のようについてきた。


「収穫は一人でもできます」


「知っている」


「では」


「俺がいたい」


 それで終わりだった。



 フェンは収穫を手伝わない。ただ、畝の端に伏せて、私が摘んでいくのを眺めていた。


 時々「そっちは早い」「あっちは少し待て」と言った。聖獣の鼻は、私の目より正確だった。


「フェンがいると、収穫の失敗がなくなりますね」


「当然だ」


「謙遜というものを知りませんか」


「知っている。必要ないだけだ」


 私は少し笑って、次の株へ移った。


 朝の光がやわらかく、ラベンダーの香りが一面に広がっていた。静かで、穏やかで——昨日の緊張が、少しずつほぐれていく気がした。



 しばらくして、フェンがぽつりと言った。


「……将来のことを考えているか」


「将来、とは」


「研究所のことだ。これからどう広げていくつもりだ」


 私は手を動かしながら、考えた。


「まず品種を増やしたいです。今は解熱と鎮痛が中心ですが、消化器系の薬草や、傷の治りを助けるものも育てたい」


「それは畑の話だ」


「人の話ですか」


「そうだ」


 私は少し立ち止まった。


「……弟子を取ることを考えています。薬草の知識を持つ人を育てれば、私がいなくてもこの場所は続けられる」


「俺がいれば続けられる」


「フェンがいつまでもいてくれるとは限らないので」


 フェンが少しの間、黙った。


「……俺はいる」


「百年単位でそう言えますか」


「言える」


 私は摘んだラベンダーの束を抱えて、フェンを見た。


「……本当に」


「本当だ。お前の魂の色が変わらない限り、俺はここにいる」



 その言葉が、胸の奥に静かに落ちた。


 百年。フェンにとっては珍しくない時間かもしれない。でも、私にとってはとてつもなく長い時間だった。


「……フェンは、以前の伴侶の方が逝ったあと、百年間一人でいたのでしたね」


「そうだ」


「寂しくなかったか、と前に聞きました」


「ただ静かだったと答えた」


「今は」


 フェンが少しの間、黙った。


「……静かではない」


 それだけだった。


 私は少しだけ、フェンの毛に頬を近づけた。いつもの温かさが、すぐそこにあった。


「私もです。あなたがいてくれるようになってから、静かではなくなりました」


「うるさくなったということか」


「賑やかになった、という意味です」


「同じだ」


「違います」


 フェンが鼻先をぐいと私の頬に押しつけてきた。温かかった。少し濡れていた。


「……まあ、どちらでもいい」



 収穫が終わった頃、殿下から短い手紙が届いた。


 「昨日はお疲れ様でした。今日は静かに過ごせていますか」


 私は少し考えてから、返した。


 「はい。フェンと畑にいます。ラベンダーがよく育っていました」


 返事はすぐに来た。


 「それは良かった。……そのうち、俺も見に来ていいですか」


 私は少しだけ口元が緩むのを感じながら、「いつでも」と書いた。


 フェンが隣でため息をついた。


「……また顔が緩んでいる」


「そうですか」


「そうだ」


「……わかっています」


 ラベンダーの香りの中で、私は少しだけ幸せだと思った。こんなふうに思える日が来るとは、あの離縁状の朝には想像もしていなかった。


(第28話へ続く)

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