第27話「収穫の朝」
クレインの件が落ち着いた翌朝、私は研究所ではなく、畑に出た。
ラベンダーが収穫の時期を迎えていた。茎の下の方から、紫の小さな花穂が一斉に開いている。摘み頃は花が半分ほど開いたとき——加護があると、そういうことも手に取るようにわかった。
フェンが当然のようについてきた。
「収穫は一人でもできます」
「知っている」
「では」
「俺がいたい」
それで終わりだった。
◆
フェンは収穫を手伝わない。ただ、畝の端に伏せて、私が摘んでいくのを眺めていた。
時々「そっちは早い」「あっちは少し待て」と言った。聖獣の鼻は、私の目より正確だった。
「フェンがいると、収穫の失敗がなくなりますね」
「当然だ」
「謙遜というものを知りませんか」
「知っている。必要ないだけだ」
私は少し笑って、次の株へ移った。
朝の光がやわらかく、ラベンダーの香りが一面に広がっていた。静かで、穏やかで——昨日の緊張が、少しずつほぐれていく気がした。
◆
しばらくして、フェンがぽつりと言った。
「……将来のことを考えているか」
「将来、とは」
「研究所のことだ。これからどう広げていくつもりだ」
私は手を動かしながら、考えた。
「まず品種を増やしたいです。今は解熱と鎮痛が中心ですが、消化器系の薬草や、傷の治りを助けるものも育てたい」
「それは畑の話だ」
「人の話ですか」
「そうだ」
私は少し立ち止まった。
「……弟子を取ることを考えています。薬草の知識を持つ人を育てれば、私がいなくてもこの場所は続けられる」
「俺がいれば続けられる」
「フェンがいつまでもいてくれるとは限らないので」
フェンが少しの間、黙った。
「……俺はいる」
「百年単位でそう言えますか」
「言える」
私は摘んだラベンダーの束を抱えて、フェンを見た。
「……本当に」
「本当だ。お前の魂の色が変わらない限り、俺はここにいる」
◆
その言葉が、胸の奥に静かに落ちた。
百年。フェンにとっては珍しくない時間かもしれない。でも、私にとってはとてつもなく長い時間だった。
「……フェンは、以前の伴侶の方が逝ったあと、百年間一人でいたのでしたね」
「そうだ」
「寂しくなかったか、と前に聞きました」
「ただ静かだったと答えた」
「今は」
フェンが少しの間、黙った。
「……静かではない」
それだけだった。
私は少しだけ、フェンの毛に頬を近づけた。いつもの温かさが、すぐそこにあった。
「私もです。あなたがいてくれるようになってから、静かではなくなりました」
「うるさくなったということか」
「賑やかになった、という意味です」
「同じだ」
「違います」
フェンが鼻先をぐいと私の頬に押しつけてきた。温かかった。少し濡れていた。
「……まあ、どちらでもいい」
◆
収穫が終わった頃、殿下から短い手紙が届いた。
「昨日はお疲れ様でした。今日は静かに過ごせていますか」
私は少し考えてから、返した。
「はい。フェンと畑にいます。ラベンダーがよく育っていました」
返事はすぐに来た。
「それは良かった。……そのうち、俺も見に来ていいですか」
私は少しだけ口元が緩むのを感じながら、「いつでも」と書いた。
フェンが隣でため息をついた。
「……また顔が緩んでいる」
「そうですか」
「そうだ」
「……わかっています」
ラベンダーの香りの中で、私は少しだけ幸せだと思った。こんなふうに思える日が来るとは、あの離縁状の朝には想像もしていなかった。
(第28話へ続く)




