第26話「静かな裁定」
王城の一室に通されたとき、ハロルド・クレインはすでに着席していた。
五十代半ばの男性だった。肉付きのいい体格に、いかにも貫録のある風貌。ただ、私たちが入ってきた瞬間に——フェンを見た瞬間に——その顔に、わずかに動揺が走った。
フェンは何もしていない。ただ、私の隣に立っていた。それだけで十分だった。
◆
殿下が対面に座って、静かに口を開いた。
「ハロルド・クレイン副ギルドマスター。本日は王家の調査結果について、ご説明します」
「……ええ、もちろんです。ただ、私にはまったく——」
「最初に事実を確認します」
殿下が遮った。穏やかな声だったが、有無を言わせない重みがあった。
資料が広げられた。品質記録の数値。印章の管理記録。複数の製品にわたる偽造の痕跡。
クレインの顔が、少しずつ険しくなっていった。
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「この記録の書き換えに使われた印章は、副ギルドマスター室が管理するものです」
「そ、それは——部下が勝手に」
「部下の方の供述も取りました」
殿下が静かに言った。
「指示は副ギルドマスターから出ていたと、複数名が証言しています」
クレインが黙った。
少しの間があって、それから彼は私を見た。品定めするような目だった。何かを探っているような目だった。
「……あなたが、聖獣の伴侶とやらですか」
「はい」
「ご大層な肩書きを盾に、ギルドの業務を妨害された」
「妨害はしていません」
私は静かに答えた。
「薬が必要な方に、薬をお渡ししただけです」
「資格もなく薬を——」
「聖獣の加護を持つ薬師には、特例条項があります。王国薬師法第十七条、第三項。副ギルドマスターであれば、ご存じのはずです」
◆
クレインが黙った。
私は続けた。声は静かなままだった。怒鳴る必要はなかった。
「私の研究所では、解熱剤の主成分を処方規定量の通りに配合しています。フェンが香りで確認し、私が効能で確認する。二重に確認してから患者にお渡しします」
「……それが何だと」
「ギルドの登録薬品の一部は、主成分が規定量の半分以下でした。薬として機能しない濃度です」
クレインの顔が、少し変わった。
「それを知っていながら定価で販売し、差額を——どこへ使ったかは、今も調査中だそうですが」
「証拠はない」
「あります」
殿下が静かに言った。
「ギルドの会計帳簿と、副ギルドマスターの個人資産の動きを照合しました。相関が認められます」
◆
しばらく、沈黙が続いた。
クレインが私を見た。今度は品定めではなく、別の目だった。どこか、追い詰められた目だった。
「……お前のような女が、なぜ」
「なぜ、とは」
「離縁されて実家に戻った身の上で、なぜ王家の後ろ盾などという——」
「それはこの件と関係がありません」
私は静かに遮った。
「私の経歴は今日の議題ではない。ギルドが患者に偽の薬を売り、その利益を横領し、正当な活動を不当に妨害した——その事実が今日の議題です」
クレインが黙った。
殿下がゆっくりと口を開いた。
「ハロルド・クレイン副ギルドマスター。王家として、以下の処分を通知します。薬師ギルド副ギルドマスター職の即日解任。品質偽造に関わる全製品の販売停止。横領の疑いについては、引き続き調査を行います」
◆
部屋を出たとき、フェンが私の隣を歩いた。
「……よくやった」
「そうでしょうか」
「声が震えなかった」
「震えそうではありましたが」
「そうは見えなかった」
私は少し考えた。怖くなかったといえば嘘だった。でも——逃げたいとは思わなかった。あの部屋の中で、言うべきことを言えた。それで十分だと思った。
殿下が後ろから来て、私の隣に並んだ。
「お疲れ様でした」
「ありがとうございます。……殿下こそ」
「俺はいつも通りです」
「いつも通り、頼りになりました」
殿下が少しだけ、目を細めた。
フェンが私とは反対側の隣を、無言で歩いた。
左にフェン、右に殿下。
どちらも、今日ここにいてくれた。
それが——今日の一番の心強さだった。
(第27話へ続く)




