第22話「二人の時間」
殿下が来たのは、午後の早い時間だった。
「また来てしまいました」
「いつでもと書きました」
「……文字通りに取ってよかったのか、少し迷いました」
殿下が、珍しく少しだけばつが悪そうな顔をした。この人がそんな顔をするのは珍しかった。私は「どうぞ」と縁側に案内した。
フェンは縁側の端でだらりと伏せていた。殿下が来るのを見て、耳だけ向けた。それから——立ち上がって、庭の方へのっそりと歩いていった。
「……フェン?」
「薬草の様子を見てくる」
「自分から見に行くのですか」
「たまにはそういうこともある」
フェンがそのまま庭の奥へ消えた。
殿下が小さく息をついた。「気を遣っていただいたのでしょうか」と言った。私は「さあ」と答えた。フェンの考えていることは、いつもよくわからなかった。
◆
二人で縁側に並んで座った。
フェンがいないのは、ずいぶん久しぶりのことだった。殿下と二人きりになるのも、初めてかもしれなかった。
不思議と、落ち着いた。怖くはなかった。ただ、少しだけ、静かな緊張があった。
「……今日は研究所の話ではないのですか」
私が聞くと、殿下が「今日は違います」と答えた。
「では何の話ですか」
「あなたの話です」
「私の話、とは」
殿下が少し考えてから、言った。
「七年間のことを、もっと聞きたいと思っています。侯爵家での暮らしのことではなく——あなた自身のことを」
◆
私はしばらく、考えた。
七年間のことを話す機会は、あまりなかった。フェンには少し話した。母には当たり障りのないことを話した。でも、自分の内側にあったことを、誰かに話したことは——なかった気がした。
「……何が聞きたいですか」
「好きなものを教えてください」
「好きなもの」
「はい。薬草以外で」
私は少し面食らった。薬草以外の好きなもの。すぐに出てこなかった。七年間、好きなものを聞かれたことがなかった気がした。
「……朝が好きです」
「朝、ですか」
「誰も起きていない、早い時間の静けさが好きです。光が柔らかくて、一日の中で一番、自分が自分でいられる気がするので」
殿下が静かに聞いていた。
「それから……薬草の香りが、好きです。ラベンダーとカモミールが特に」
「理由は」
「落ち着くから、というのもありますが……その香りがするとき、自分が役に立っていると感じられるので」
言いながら、少し恥ずかしくなった。そんなことを言うつもりではなかった。
「……おかしいですか」
「おかしくありません」
殿下が静かに答えた。
「役に立っていると感じたいというのは、自然なことです。あなたは長い間、誰かのためにそれをしてきた」
「……はい」
「今は、自分のためにもそう感じられるといいですね」
私はしばらく、その言葉を聞いていた。
自分のために。
研究所で土を掘り起こしたとき、薬草に触れたとき、確かにそう感じていた。殿下はそれを、ちゃんと知っていた。
◆
「殿下は」
私が言うと、殿下が「はい」と答えた。
「好きなものはありますか」
殿下が少し驚いたような顔をした。聞き返されるとは思っていなかったのかもしれない。
「……俺ですか」
「聞いてばかりでは不公平です」
殿下が少しの間、考えた。
「静かな場所が好きです。人が多いところより、一人か二人でいられる場所の方が落ち着く」
「それは意外です」
「殿下らしくない、ということですか」
「王城は賑やかそうですから」
「賑やかなところにいるからこそ、静けさが好きなのかもしれません」
殿下が少しだけ笑った。
「……それに」
「はい」
「最近は、ここに来るのが好きです」
静かな声だった。まっすぐだった。
私の顔が、少し熱くなった気がした。
◆
しばらくして、フェンが庭から戻ってきた。
のっそりと縁側に上がってきて、私と殿下の間に当然のように割り込んで座った。いつもの動作だった。
「……薬草の様子はどうでしたか」
「問題ない」
「では最初から来なくてもよかったのでは」
「……うるさい」
殿下が小さく笑った。今日二度目だった。
フェンが殿下をちらりと見て、すぐに前を向いた。
「帰らないのか」
「もう少しお邪魔します」
「そうか」
フェンがため息をついた。でも追い払おうとはしなかった。
三人で、また夕暮れの庭を眺めた。
こういう時間が——当たり前になっていくことを、私は今日初めて、怖いと思わなかった。
(第23話へ続く)




