表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

22/34

第22話「二人の時間」

 殿下が来たのは、午後の早い時間だった。


「また来てしまいました」


「いつでもと書きました」


「……文字通りに取ってよかったのか、少し迷いました」


 殿下が、珍しく少しだけばつが悪そうな顔をした。この人がそんな顔をするのは珍しかった。私は「どうぞ」と縁側に案内した。


 フェンは縁側の端でだらりと伏せていた。殿下が来るのを見て、耳だけ向けた。それから——立ち上がって、庭の方へのっそりと歩いていった。


「……フェン?」


「薬草の様子を見てくる」


「自分から見に行くのですか」


「たまにはそういうこともある」


 フェンがそのまま庭の奥へ消えた。


 殿下が小さく息をついた。「気を遣っていただいたのでしょうか」と言った。私は「さあ」と答えた。フェンの考えていることは、いつもよくわからなかった。



 二人で縁側に並んで座った。


 フェンがいないのは、ずいぶん久しぶりのことだった。殿下と二人きりになるのも、初めてかもしれなかった。


 不思議と、落ち着いた。怖くはなかった。ただ、少しだけ、静かな緊張があった。


「……今日は研究所の話ではないのですか」


 私が聞くと、殿下が「今日は違います」と答えた。


「では何の話ですか」


「あなたの話です」


「私の話、とは」


 殿下が少し考えてから、言った。


「七年間のことを、もっと聞きたいと思っています。侯爵家での暮らしのことではなく——あなた自身のことを」



 私はしばらく、考えた。


 七年間のことを話す機会は、あまりなかった。フェンには少し話した。母には当たり障りのないことを話した。でも、自分の内側にあったことを、誰かに話したことは——なかった気がした。


「……何が聞きたいですか」


「好きなものを教えてください」


「好きなもの」


「はい。薬草以外で」


 私は少し面食らった。薬草以外の好きなもの。すぐに出てこなかった。七年間、好きなものを聞かれたことがなかった気がした。


「……朝が好きです」


「朝、ですか」


「誰も起きていない、早い時間の静けさが好きです。光が柔らかくて、一日の中で一番、自分が自分でいられる気がするので」


 殿下が静かに聞いていた。


「それから……薬草の香りが、好きです。ラベンダーとカモミールが特に」


「理由は」


「落ち着くから、というのもありますが……その香りがするとき、自分が役に立っていると感じられるので」


 言いながら、少し恥ずかしくなった。そんなことを言うつもりではなかった。


「……おかしいですか」


「おかしくありません」


 殿下が静かに答えた。


「役に立っていると感じたいというのは、自然なことです。あなたは長い間、誰かのためにそれをしてきた」


「……はい」


「今は、自分のためにもそう感じられるといいですね」


 私はしばらく、その言葉を聞いていた。


 自分のために。


 研究所で土を掘り起こしたとき、薬草に触れたとき、確かにそう感じていた。殿下はそれを、ちゃんと知っていた。



「殿下は」


 私が言うと、殿下が「はい」と答えた。


「好きなものはありますか」


 殿下が少し驚いたような顔をした。聞き返されるとは思っていなかったのかもしれない。


「……俺ですか」


「聞いてばかりでは不公平です」


 殿下が少しの間、考えた。


「静かな場所が好きです。人が多いところより、一人か二人でいられる場所の方が落ち着く」


「それは意外です」


「殿下らしくない、ということですか」


「王城は賑やかそうですから」


「賑やかなところにいるからこそ、静けさが好きなのかもしれません」


 殿下が少しだけ笑った。


「……それに」


「はい」


「最近は、ここに来るのが好きです」


 静かな声だった。まっすぐだった。


 私の顔が、少し熱くなった気がした。



 しばらくして、フェンが庭から戻ってきた。


 のっそりと縁側に上がってきて、私と殿下の間に当然のように割り込んで座った。いつもの動作だった。


「……薬草の様子はどうでしたか」


「問題ない」


「では最初から来なくてもよかったのでは」


「……うるさい」


 殿下が小さく笑った。今日二度目だった。


 フェンが殿下をちらりと見て、すぐに前を向いた。


「帰らないのか」


「もう少しお邪魔します」


「そうか」


 フェンがため息をついた。でも追い払おうとはしなかった。


 三人で、また夕暮れの庭を眺めた。


 こういう時間が——当たり前になっていくことを、私は今日初めて、怖いと思わなかった。


(第23話へ続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ