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第21話「恋とはなんですか」

 翌朝、目が覚めたとき、最初に思ったのはそのことだった。


 ——恋とは、なんだろう。


 七年間、侯爵夫人として生きてきた。恋愛というものを、正面から考えたことがほとんどなかった。結婚は家同士の取り決めで、恋心とは別のものだった。少なくとも、私の七年間はそうだった。


 では今、胸にあるこの感覚は何なのか。


 殿下のことを考えると、落ち着く。話したいと思う。いなくなってほしくない。


 それは恋なのか。それとも、ただ信頼しているだけなのか。


 私には、判断がつかなかった。



 朝食の席で、フェンが私の隣に伏せた。


 いつも通りの光景だった。でも今日は、私がじっとフェンを見ていた。


「……何だ」


「聞いていいですか」


「何を」


「恋とは、なんですか」


 フェンが、動きを止めた。


 しばらく完全に静止してから、ゆっくりと顔をそらした。


「……知らん」


「知らないのですか」


「聖獣には関係ない」


「でも以前、伴侶がいたとおっしゃっていましたよね」


「……それとこれとは別だ」


「どう別なのですか」


「うるさい。飯を食え」


 フェンが盛大にそっぽを向いた。耳の先が、朝から赤くなっていた。



 食後、母に聞いてみることにした。


 母は台所で花の水替えをしていた。私が「少しよろしいですか」と声をかけると、「どうしたの?」と振り返った。


「……恋とは、なんでしょうか」


 母が、手を止めた。


 それからゆっくりと私を見て、「エリーゼ……」と言って、なぜか目に涙を浮かべた。


「母様?」


「ごめんなさい、嬉しくて」


「なぜ泣くのですか」


「あなたがそんな顔をして、そんなことを聞くなんて思わなかったから」


 私は少し困って、「そんな顔とはどんな顔ですか」と聞いた。母が「迷子みたいな顔よ」と言った。


 迷子。


 確かに、そうかもしれなかった。



「恋はね」


 母が花瓶を棚に戻しながら、静かに言った。


「その人のことを考えると、何でもないのに顔が緩む。そういうものだと思う」


「……顔が、緩む」


「心配するより先に、声が聞きたくなる。失敗を怒るより先に、無事かどうか気になる。そういうことが重なっていくの」


 私はしばらく、その言葉を考えた。


 殿下のことを考えたとき。顔が緩んだか。


 ……緩んでいたかもしれない。自分ではわからなかったが、几帳面な字の手紙を見たとき、少し口元が動いた気がした。土地に一緒に来てくれたとき、鍬を手に取った背中を見て、おかしいような温かいような気持ちになった。


「……そうかもしれません」


「誰かのこと?」


「……秘密です」


 母がふふっと笑った。


「いいわ。でもね、エリーゼ」


「はい」


「恋かどうかわからなくても、いいのよ。そういう気持ちは、時間をかけて確かめるものだから」



 昼、薬草の手入れをしていると、フェンが隣に来た。


 何も言わずに伏せて、しばらく黙っていた。


「……さっきの質問だが」


「はい」


「答えは出たか」


「まだです」


「そうか」


 また沈黙があった。


「フェン」


「何だ」


「フェンは、以前の伴侶の方のことが——好きでしたか」


 フェンが少しの間、黙った。


「……好きという言葉が合うかどうかわからない。ただ、側にいたかった。いなくなってから、長い間、側にいたかったと思った」


「それは恋ではないですか」


「……聖獣に恋という言葉が当てはまるかどうかは、知らない」


「でも、それはとても恋のように聞こえます」


 フェンが鼻先をそらした。


「……うるさい」


 いつもの言葉だった。でも今日は、少しだけ声が柔らかかった。



 夕方、殿下から短い手紙が届いた。


 「昨日は、ありがとうございました。また来てもいいですか」


 私は少し考えてから、「いつでも」と返した。


 筆を置いたあと、自分の口元を確認した。


 ……緩んでいた。


「……フェン」


 縁側で伏せていたフェンが耳だけ向けた。


「顔が緩む、というのがわかった気がします」


 フェンがため息をついた。


「そうか」


「やっぱり恋なのでしょうか」


「知らん」


「フェンなら何かわかると思ったのに」


「うるさい。早く飯にしろ」


 フェンが立ち上がって、さっさと中へ入っていった。


 私はその背中を見ながら、また少し笑った。


 恋かどうかは、まだわからない。でも今日、少しだけ前に進んだ気がした。


(第22話へ続く)

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