第21話「恋とはなんですか」
翌朝、目が覚めたとき、最初に思ったのはそのことだった。
——恋とは、なんだろう。
七年間、侯爵夫人として生きてきた。恋愛というものを、正面から考えたことがほとんどなかった。結婚は家同士の取り決めで、恋心とは別のものだった。少なくとも、私の七年間はそうだった。
では今、胸にあるこの感覚は何なのか。
殿下のことを考えると、落ち着く。話したいと思う。いなくなってほしくない。
それは恋なのか。それとも、ただ信頼しているだけなのか。
私には、判断がつかなかった。
◆
朝食の席で、フェンが私の隣に伏せた。
いつも通りの光景だった。でも今日は、私がじっとフェンを見ていた。
「……何だ」
「聞いていいですか」
「何を」
「恋とは、なんですか」
フェンが、動きを止めた。
しばらく完全に静止してから、ゆっくりと顔をそらした。
「……知らん」
「知らないのですか」
「聖獣には関係ない」
「でも以前、伴侶がいたとおっしゃっていましたよね」
「……それとこれとは別だ」
「どう別なのですか」
「うるさい。飯を食え」
フェンが盛大にそっぽを向いた。耳の先が、朝から赤くなっていた。
◆
食後、母に聞いてみることにした。
母は台所で花の水替えをしていた。私が「少しよろしいですか」と声をかけると、「どうしたの?」と振り返った。
「……恋とは、なんでしょうか」
母が、手を止めた。
それからゆっくりと私を見て、「エリーゼ……」と言って、なぜか目に涙を浮かべた。
「母様?」
「ごめんなさい、嬉しくて」
「なぜ泣くのですか」
「あなたがそんな顔をして、そんなことを聞くなんて思わなかったから」
私は少し困って、「そんな顔とはどんな顔ですか」と聞いた。母が「迷子みたいな顔よ」と言った。
迷子。
確かに、そうかもしれなかった。
◆
「恋はね」
母が花瓶を棚に戻しながら、静かに言った。
「その人のことを考えると、何でもないのに顔が緩む。そういうものだと思う」
「……顔が、緩む」
「心配するより先に、声が聞きたくなる。失敗を怒るより先に、無事かどうか気になる。そういうことが重なっていくの」
私はしばらく、その言葉を考えた。
殿下のことを考えたとき。顔が緩んだか。
……緩んでいたかもしれない。自分ではわからなかったが、几帳面な字の手紙を見たとき、少し口元が動いた気がした。土地に一緒に来てくれたとき、鍬を手に取った背中を見て、おかしいような温かいような気持ちになった。
「……そうかもしれません」
「誰かのこと?」
「……秘密です」
母がふふっと笑った。
「いいわ。でもね、エリーゼ」
「はい」
「恋かどうかわからなくても、いいのよ。そういう気持ちは、時間をかけて確かめるものだから」
◆
昼、薬草の手入れをしていると、フェンが隣に来た。
何も言わずに伏せて、しばらく黙っていた。
「……さっきの質問だが」
「はい」
「答えは出たか」
「まだです」
「そうか」
また沈黙があった。
「フェン」
「何だ」
「フェンは、以前の伴侶の方のことが——好きでしたか」
フェンが少しの間、黙った。
「……好きという言葉が合うかどうかわからない。ただ、側にいたかった。いなくなってから、長い間、側にいたかったと思った」
「それは恋ではないですか」
「……聖獣に恋という言葉が当てはまるかどうかは、知らない」
「でも、それはとても恋のように聞こえます」
フェンが鼻先をそらした。
「……うるさい」
いつもの言葉だった。でも今日は、少しだけ声が柔らかかった。
◆
夕方、殿下から短い手紙が届いた。
「昨日は、ありがとうございました。また来てもいいですか」
私は少し考えてから、「いつでも」と返した。
筆を置いたあと、自分の口元を確認した。
……緩んでいた。
「……フェン」
縁側で伏せていたフェンが耳だけ向けた。
「顔が緩む、というのがわかった気がします」
フェンがため息をついた。
「そうか」
「やっぱり恋なのでしょうか」
「知らん」
「フェンなら何かわかると思ったのに」
「うるさい。早く飯にしろ」
フェンが立ち上がって、さっさと中へ入っていった。
私はその背中を見ながら、また少し笑った。
恋かどうかは、まだわからない。でも今日、少しだけ前に進んだ気がした。
(第22話へ続く)




