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第20話「続きの言葉」

 カイル殿下が「話があります」と手紙を寄越したのは、工事の始まりから五日後だった。


 場所は王城ではなく、「ヴァルハイン家の縁側でいいですか」と書いてあった。几帳面な小さい字で、最後に「都合が悪ければ別の日にします」と添えてあった。


 私は「いつでも」と返した。



 殿下は約束の刻限より少し早く来た。


 いつもの落ち着いた表情だったが、どこかいつもと違った。目が、少しだけ緊張しているように見えた。あの迷いのある声を思い出した。


「今日はフェンリルは」


「縁側にいます」


「……そうですか」


 殿下が少し苦笑した。


 三人で縁側に並んだ。フェンが私と殿下の間に座らないのは、珍しかった。少し離れたところで伏せて、目を細めて空を見ていた。


「……フェン、今日は割り込まないのですか」


「うるさい」


 割り込まないとも言わなかった。ただ、動かなかった。



 しばらく、誰も口を開かなかった。


 庭の薬草が風に揺れる音がした。遠くで鳥が鳴いた。工事現場の方から、かすかに槌の音が聞こえた。


 殿下が、ゆっくりと息を吸った。


「以前、『続きはまた今度』と言いました」


「覚えています」


「その続きを、今日言いに来ました」


 私は静かに、殿下を見た。


 殿下がまっすぐに私を見返した。切れ長の目が、いつもより少しだけ柔らかかった。


「……あなたと初めて話したとき、不思議だと思いました」


「不思議、とは」


「感情を抑えているのに、言葉に熱があった。誰かのためになりたいという気持ちが、滲み出ていた」


 私はしばらく、何も言えなかった。


「研究所の話を聞いたとき、俺が動きたいと思ったのは——計画が有益だからではありません」


「では」


「あなたが、そうしたいと思っているから」


 殿下が、少しだけ視線を落とした。


「俺には、人の夢を本気で聞ける人間が少ない。立場がそうさせないのかもしれない。ただ、あなたの話を聞くとき、俺は——ただ聞いていたい、と思った」



「あなたには特に」


 殿下が、静かに続けた。


「言わないよりは言った方がいいと思っています——その続きです」


 私は黙って聞いていた。


「俺は、あなたのことが好きです」


 静かな声だった。


 押しつけるでもなく、急かすでもなく、ただ迷いなく、言った。


 私はしばらく、何も言えなかった。


 胸が揺れていた。七年間、誰かに好意を向けられたことが、なかったわけではない。でも、こんなふうに——自分の言葉で、自分のために言われたのは。


「……急かすつもりはありません」


 殿下が続けた。


「あなたにはいろいろなことがあった。時間が必要なら、いくらでも待ちます。ただ、言わないままでいることが、俺にはできなくなりました」


 私はゆっくりと、深呼吸した。



「殿下」


「はい」


「……一つだけ、聞いていいですか」


「どうぞ」


「私は、七年間、人のために尽くすことしか知らなかった人間です。自分の幸せというものが、今もまだよくわかっていない」


 殿下が静かに聞いていた。


「それでも、いいのですか」


 殿下が少しの間、黙った。


「それでも」


「はい」


「……そういうあなたを、知っています。だから、好きなのです」


 私の目が、熱くなった。


 泣かなかった。でも、ぎりぎりのところで堪えた。


「……私も」


 声が、少しかすれた。


「殿下のことが——好ましいと思っています。それが恋なのかどうか、まだわかりません。でも、いなくなってほしいとは思いません。もっと話したいと思っています」


 殿下がそれを聞いて、少しだけ、笑った。


 今まで見た中で、一番はっきりとした笑顔だった。


「……それで十分です」



 フェンが、離れた場所からため息をついた。盛大な、大きなため息だった。


「……フェン」


 私が呼ぶと、フェンがのっそりと立ち上がって、私の隣に来た。殿下の方ではなく、私の膝に頭を乗せた。いつもの重さ。いつもの温かさ。


「……よかったのですか」


 私が小声で聞くと、フェンが目を細めた。


「俺がいる」


 それだけだった。


 殿下がフェンを見て、静かに言った。


「……フェンリル。今日は、ありがとうございます」


 フェンが少しの間黙って、それから「感謝するな、うっとうしい」と言った。


 でも耳は、伏せていなかった。


(第21話へ続く)

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