第20話「続きの言葉」
カイル殿下が「話があります」と手紙を寄越したのは、工事の始まりから五日後だった。
場所は王城ではなく、「ヴァルハイン家の縁側でいいですか」と書いてあった。几帳面な小さい字で、最後に「都合が悪ければ別の日にします」と添えてあった。
私は「いつでも」と返した。
◆
殿下は約束の刻限より少し早く来た。
いつもの落ち着いた表情だったが、どこかいつもと違った。目が、少しだけ緊張しているように見えた。あの迷いのある声を思い出した。
「今日はフェンリルは」
「縁側にいます」
「……そうですか」
殿下が少し苦笑した。
三人で縁側に並んだ。フェンが私と殿下の間に座らないのは、珍しかった。少し離れたところで伏せて、目を細めて空を見ていた。
「……フェン、今日は割り込まないのですか」
「うるさい」
割り込まないとも言わなかった。ただ、動かなかった。
◆
しばらく、誰も口を開かなかった。
庭の薬草が風に揺れる音がした。遠くで鳥が鳴いた。工事現場の方から、かすかに槌の音が聞こえた。
殿下が、ゆっくりと息を吸った。
「以前、『続きはまた今度』と言いました」
「覚えています」
「その続きを、今日言いに来ました」
私は静かに、殿下を見た。
殿下がまっすぐに私を見返した。切れ長の目が、いつもより少しだけ柔らかかった。
「……あなたと初めて話したとき、不思議だと思いました」
「不思議、とは」
「感情を抑えているのに、言葉に熱があった。誰かのためになりたいという気持ちが、滲み出ていた」
私はしばらく、何も言えなかった。
「研究所の話を聞いたとき、俺が動きたいと思ったのは——計画が有益だからではありません」
「では」
「あなたが、そうしたいと思っているから」
殿下が、少しだけ視線を落とした。
「俺には、人の夢を本気で聞ける人間が少ない。立場がそうさせないのかもしれない。ただ、あなたの話を聞くとき、俺は——ただ聞いていたい、と思った」
◆
「あなたには特に」
殿下が、静かに続けた。
「言わないよりは言った方がいいと思っています——その続きです」
私は黙って聞いていた。
「俺は、あなたのことが好きです」
静かな声だった。
押しつけるでもなく、急かすでもなく、ただ迷いなく、言った。
私はしばらく、何も言えなかった。
胸が揺れていた。七年間、誰かに好意を向けられたことが、なかったわけではない。でも、こんなふうに——自分の言葉で、自分のために言われたのは。
「……急かすつもりはありません」
殿下が続けた。
「あなたにはいろいろなことがあった。時間が必要なら、いくらでも待ちます。ただ、言わないままでいることが、俺にはできなくなりました」
私はゆっくりと、深呼吸した。
◆
「殿下」
「はい」
「……一つだけ、聞いていいですか」
「どうぞ」
「私は、七年間、人のために尽くすことしか知らなかった人間です。自分の幸せというものが、今もまだよくわかっていない」
殿下が静かに聞いていた。
「それでも、いいのですか」
殿下が少しの間、黙った。
「それでも」
「はい」
「……そういうあなたを、知っています。だから、好きなのです」
私の目が、熱くなった。
泣かなかった。でも、ぎりぎりのところで堪えた。
「……私も」
声が、少しかすれた。
「殿下のことが——好ましいと思っています。それが恋なのかどうか、まだわかりません。でも、いなくなってほしいとは思いません。もっと話したいと思っています」
殿下がそれを聞いて、少しだけ、笑った。
今まで見た中で、一番はっきりとした笑顔だった。
「……それで十分です」
◆
フェンが、離れた場所からため息をついた。盛大な、大きなため息だった。
「……フェン」
私が呼ぶと、フェンがのっそりと立ち上がって、私の隣に来た。殿下の方ではなく、私の膝に頭を乗せた。いつもの重さ。いつもの温かさ。
「……よかったのですか」
私が小声で聞くと、フェンが目を細めた。
「俺がいる」
それだけだった。
殿下がフェンを見て、静かに言った。
「……フェンリル。今日は、ありがとうございます」
フェンが少しの間黙って、それから「感謝するな、うっとうしい」と言った。
でも耳は、伏せていなかった。
(第21話へ続く)




