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第19話「聖獣の伴侶」

 研究所の基礎工事が始まった日の夜、フェンが珍しく、自分から話しかけてきた。


 縁側に並んで座っていた。月が出ていて、庭の薬草が青白く光って見えた。フェンはしばらく黙っていたが、やがてぽつりと言った。


「俺には、以前にも伴侶がいた」


 私は少し驚いて、フェンを見た。


「……そうなのですか」


「ずっと昔だ。お前が生まれるより、はるかに前」


「どんな方でしたか」


 フェンがしばらく黙った。


「……よく笑う女だった。お前とは、全然違う」



「聖獣の伴侶というのは」フェンが続けた。「俺が選ぶのではない。魂の形が、合う者がいる。そういう者の前に、俺は現れる」


「……魂の形」


「似ているわけではない。欠けている部分が、嵌まる形をしている。そういうことだ」


 私はしばらく、その言葉を噛み締めた。


「以前の伴侶の方は」


「寿命で逝った。人の命は短い」


 淡々とした言い方だった。でも、その声に何かがあった。長い時間をかけて、静かになった何かが。


「……寂しくありませんでしたか」


 フェンが少しの間、答えなかった。


「寂しいという言葉が、当てはまるかどうかわからない。ただ——長い間、誰も選ばなかった」


「それはどのくらい」


「百年ほど」


 私は言葉を失った。


 百年。人間が生まれて死んで、また次の世代が育つ時間を、フェンはただ一人で——


「フェン」


「何だ」


「……辛くなかったですか」


 フェンがゆっくりと私を見た。銀色の目が、月明かりの中で静かに光っていた。


「辛いとも思わなかった。ただ、静かだった」



「お前が現れたとき」フェンが続けた。「色が変わった、と言っただろう」


「はい」


「魂の色のことだ。お前の色は、俺が見たことのない色をしていた」


「どんな色ですか」


 フェンが少し考えた。


「……白に近い。でも、白ではない。燃えているように見えるときと、水のように見えるときがある」


「それはどういう意味なのですか」


「わからない。ただ、見ていたいと思った」


 私はしばらく、何も言えなかった。


 見ていたい。フェンがそんなことを言うとは思わなかった。いつもぶっきらぼうで、命令ばかりで、「うるさい」しか言わないくせに。


「……フェン」


「何だ」


「あなたは、不思議な方ですね」


「聖獣だ。当然だ」


「そういう意味ではなくて」


 私は少しだけ、フェンの毛並みに手を置いた。温かかった。いつも通り。


「ぶっきらぼうなのに、誰より優しい。そういう意味です」


 フェンが鼻先をわずかにそらした。


「……気のせいだ」


「気のせいではありません」


「うるさい」



 しばらく、二人で月を見ていた。


 フェンが、また静かに口を開いた。


「エリーゼ」


「はい」


「伴侶は——一人だけとは限らない」


 私は少し、フェンを見た。どういう意味かわからなくて、聞き返そうとした。でもフェンが先に言った。


「俺は、お前の幸せを邪魔する気はない」


「……邪魔、とは」


「あの男のことだ」


 殿下のことを言っているのだと、わかった。


「フェンは……いいのですか」


 自分でも、何を聞いているのかよくわからなかった。でも、フェンは少しの間考えてから、静かに答えた。


「俺がいる。お前が誰と並んでも、俺はここにいる。それだけだ」


 月明かりの中で、フェンの白銀の毛がほんの少し揺れた。


 私はその言葉の意味を、すぐには整理できなかった。でも胸の奥に、何か大切なものが落ちてくる感じがした。


「……ありがとうございます」


「礼を言うな」


「言います」


 フェンが小さくため息をついて、それから私の肩にそっと頭を乗せた。いつもの重さだった。いつもの温かさだった。


 月が、庭の薬草の上を静かに照らしていた。


(第20話へ続く)

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