表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/34

第17話「土を耕す日」

 研究所の土地に初めて鍬を入れた日、フェンはずっと私の隣に座っていた。


 作業するのは私と、手伝いに来てくれた父の知人の農夫二人だ。フェンは働かない。ただ、どかりと草の上に伏せて、銀色の目でじっと見ていた。


「フェン、邪魔ではないですか」


「邪魔ではない」


「農夫の方が驚いていますよ」


「慣れる」


 農夫の一人が恐る恐るフェンに近づいて、「こちらが噂の聖獣様で……?」と言った。フェンが「そうだ」と答えると、その人は深々と頭を下げてそそくさと戻っていった。


 私は小さく息をついた。



 土を掘り起こすのは、思ったより重労働だった。


 鍬を振るうたびに、土の声が聞こえる気がした。加護のせいだろう。この区画は水はけがいい。この辺りは少し粘土質だから、砂を混ぜた方がいい。こっちは日当たりが強いから、乾燥に強い薬草が向いている——


「……何を考えている」


 フェンが声をかけてきた。


「土のことを考えています。この辺りはラベンダーが向きそうです。あちらはセージ。端の日陰になるところにはミントを」


「全部言葉で言うな。手を動かせ」


「動かしています」


 フェンがふんと鼻を鳴らした。それでも目は、私の手元をずっと追っていた。



 昼になると、母が弁当を持って来てくれた。


 農夫たちと草の上に座って食べた。フェンも隣に来て、母が用意してくれた分を静かに食べた。昨日の残りの煮物と、握り飯だった。


「美味いか」


「普通だ」


「毎回そう言いますね」


「毎回普通だ」


「……でも毎回きれいに食べますね」


 フェンが少し視線をそらした。


「腹が減っていた」


「そうですか」


 農夫の一人が遠巻きに見ながら、もう一人に「聖獣って普通に飯食うんだな」と囁いていた。私はそれを聞こえないふりをした。



 午後、カイル殿下が馬で来た。


 視察、と言っていたが、着いてすぐ上着を脱いで「手伝います」と言った。


「殿下がそんな、わざわざ——」


「俺が提案した土地です。様子を見たい」


 殿下が鍬を一本取って、農夫たちの列に加わった。農夫たちが明らかに動揺していたが、殿下は気にせず黙々と作業した。手つきが妙に慣れていた。


「……殿下は、こういった作業をされたことが」


「昔、少し。農村の視察で」


「視察で鍬を?」


「話を聞くより、やった方が早いので」


 またさらりと言われた。この人は、いつもこういう言い方をする。


 フェンが殿下をじっと見て、それから私を見た。


「……あの男、意外と使える」


 私が返事に困っていると、殿下が聞こえていたのか、少しだけ口元を緩めた。



 夕方、三人で土地の端に立って、掘り起こした区画を眺めた。


 まだ何も植わっていない。ただの茶色い土だった。でも今日一日で、形が変わった。ここに来月には最初の苗を植えられる。


「……思ったより広いですね」


 私が言うと、殿下が隣で頷いた。


「最初の区画だけで、かなりの量が栽培できます」


「春になれば、もう少し種類も増やせそうです」


「どんな薬草から始めますか」


「まず解熱と鎮痛に使えるものを。需要が一番高いので」


 殿下が小さな手帳に何かを書き留めた。またあの几帳面な字で。


 フェンが私と殿下の間に入って、どかりと座った。


「俺もいる」


「わかっています、フェン」


「わかっているならいい」


 殿下が苦笑した。もうフェンの割り込みには慣れてきたらしい。



 帰り道、フェンが私の隣を歩きながら、ぽつりと言った。


「楽しそうだった」


「……え?」


「今日。お前が楽しそうだった」


 私は少し考えた。


 楽しかったか。重労働だったし、日に焼けたし、土まみれになった。でも——確かに、何も考えずに体を動かしていた。土の声を聞きながら。フェンが隣にいて。殿下が黙って手伝ってくれて。


「……楽しかったかもしれません」


「そうか」


「フェンは楽しかったですか」


 少しの間があった。


「……まあ」


「まあ?」


「うるさい」


 フェンが少しだけ歩く速度を上げた。耳の先が、夕陽の中でわずかに赤く見えた。


 私はその後ろを追いかけながら、思わず笑った。


 何も特別なことのない一日だった。でも、こういう一日が——積み重なっていくのだろうと、初めて思えた気がした。


(第18話へ続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ