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第15話「もう終わったことです」

 ウィレム様がヴァルハイン家を訪ねてきたのは、土地の視察から三日後のことだった。


 門番から知らせを受けたとき、私はちょうど薬草の調合をしていた。しばらく手を止めて、それから「応接間へ通してください」と答えた。


 フェンが私の隣でぴくりと耳を動かした。


「……会うのか」


「はい」


「なぜ」


「逃げる理由がないので」


 フェンが静かに立ち上がった。


「俺も行く」


「来ますか」


「当然だ」



 応接間に入ると、ウィレム様が立っていた。


 七年間、隣にいた人だった。でも今は、どこか遠い人のように見えた。


 以前より少しやつれた気がした。服装はきちんとしていたが、目の下に疲労の色があった。


「……エリーゼ」


「ウィレム様」


 私は静かに席についた。フェンが私の隣に、どかりと腰を下ろした。ウィレム様がフェンを見て、少しだけ目を丸くした。それでも何も言わずに、向かいの椅子に座った。


 しばらく、沈黙があった。


 ウィレム様が口を開いた。


「……謝りに来た」


「はい」


「ミレーヌのことは——俺が間違っていた。お前を傷つけた。それは事実だ」


 私は静かに聞いていた。


「七年間、お前は誠実だった。俺はそれを、正当に扱わなかった。……申し訳なかった」


 ウィレム様が頭を下げた。


 私はしばらく、その頭を見ていた。



 怒りが来るかと思った。


 来なかった。


 悲しみが来るかと思った。


 それも、来なかった。


 ただ——何かが、静かに終わった気がした。


「……顔を上げてください」


 私が言うと、ウィレム様がゆっくりと頭を上げた。


「もう終わったことです」


「エリーゼ——」


「怒っていないわけではありませんでした。傷つかなかったわけでもありません。でも今は、どちらでもなくなりました」


 本当のことだった。あの朝から今日まで、いろいろなことがあった。フェンに出会い、薬草の加護が目覚め、研究所の夢を持った。殿下に出会い、「一緒に考えましょう」と言ってもらった。


 七年間空白だったところが、少しずつ埋まっていた。


「謝罪は受け取りました。ですが、私にはもうウィレム様に関わる理由がありません」


「……そうか」


「ウィレム様にも、これからのことがあると思います。どうかお健やかに」


 ウィレム様が何かを言いかけて、やめた。


 長い沈黙のあと、「……そうだな」と小さく言った。



 ウィレム様が帰り際に、ふと立ち止まった。


「一つだけ、聞いていいか」


「どうぞ」


「……幸せか」


 不意打ちだった。


 私は少し考えた。


 幸せか。今の自分は幸せか。


 フェンが私の隣にいた。重くて、温かくて、いつも「お前」と呼ぶ聖獣が。薬草園があった。研究所の夢があった。殿下の几帳面な字の手紙があった。


「……なっていこうとしています」


 私は正直に答えた。


「七年前より、ずっと」


 ウィレム様がそれを聞いて、何も言わなかった。ただ、少しだけ表情が緩んだ気がした。安堵なのか、後悔なのか、判断がつかなかった。


「……よかった」


 それだけ言って、ウィレム様は去った。



 応接間に、静けさが戻った。


 フェンが私を見た。


「……泣かないのか」


「泣きません」


「泣いてもいい」


「泣く理由がありません。終わったことですから」


 フェンが鼻先を私の手のひらに押し当ててきた。温かくて、少し湿っていた。


「……お前は強い」


「強くはないと思いますが」


「強い。七年前から、ずっと」


 私はしばらく、フェンの白銀の毛に指を埋めた。


 涙は出なかった。でも胸の奥に、何か温かいものがあった。


 七年間。誰かのために尽くした七年間が、今日でようやく——本当の意味で、終わった気がした。


 これからは自分のために。


 その言葉が、初めてひとつも重くなかった。



 夕方、縁側でフェンの毛並みを梳いていると、母が「カイル殿下からお手紙が届きましたよ」と持ってきた。


 封を開けると、短い文面だった。


 「研究所の計画書の草稿ができました。都合のいいときにお越しいただけますか」


 最後に、一言だけ付け足してあった。


 「……今日、大変なことがあったと聞きました。お疲れ様でした」


 どこから聞いたのだろうと思った。王家の情報網は、私が思うより広いらしかった。


 私は少しだけ、その文字を見つめた。


「……フェン」


「何だ」


「殿下は、心配してくださっているのですね」


「……そうだな」


「どう思いますか」


 フェンが少しの間、黙った。


「……うるさい」


 耳がまた、少しだけ伏せられた。


(第16話へ続く)

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