第15話「もう終わったことです」
ウィレム様がヴァルハイン家を訪ねてきたのは、土地の視察から三日後のことだった。
門番から知らせを受けたとき、私はちょうど薬草の調合をしていた。しばらく手を止めて、それから「応接間へ通してください」と答えた。
フェンが私の隣でぴくりと耳を動かした。
「……会うのか」
「はい」
「なぜ」
「逃げる理由がないので」
フェンが静かに立ち上がった。
「俺も行く」
「来ますか」
「当然だ」
◆
応接間に入ると、ウィレム様が立っていた。
七年間、隣にいた人だった。でも今は、どこか遠い人のように見えた。
以前より少しやつれた気がした。服装はきちんとしていたが、目の下に疲労の色があった。
「……エリーゼ」
「ウィレム様」
私は静かに席についた。フェンが私の隣に、どかりと腰を下ろした。ウィレム様がフェンを見て、少しだけ目を丸くした。それでも何も言わずに、向かいの椅子に座った。
しばらく、沈黙があった。
ウィレム様が口を開いた。
「……謝りに来た」
「はい」
「ミレーヌのことは——俺が間違っていた。お前を傷つけた。それは事実だ」
私は静かに聞いていた。
「七年間、お前は誠実だった。俺はそれを、正当に扱わなかった。……申し訳なかった」
ウィレム様が頭を下げた。
私はしばらく、その頭を見ていた。
◆
怒りが来るかと思った。
来なかった。
悲しみが来るかと思った。
それも、来なかった。
ただ——何かが、静かに終わった気がした。
「……顔を上げてください」
私が言うと、ウィレム様がゆっくりと頭を上げた。
「もう終わったことです」
「エリーゼ——」
「怒っていないわけではありませんでした。傷つかなかったわけでもありません。でも今は、どちらでもなくなりました」
本当のことだった。あの朝から今日まで、いろいろなことがあった。フェンに出会い、薬草の加護が目覚め、研究所の夢を持った。殿下に出会い、「一緒に考えましょう」と言ってもらった。
七年間空白だったところが、少しずつ埋まっていた。
「謝罪は受け取りました。ですが、私にはもうウィレム様に関わる理由がありません」
「……そうか」
「ウィレム様にも、これからのことがあると思います。どうかお健やかに」
ウィレム様が何かを言いかけて、やめた。
長い沈黙のあと、「……そうだな」と小さく言った。
◆
ウィレム様が帰り際に、ふと立ち止まった。
「一つだけ、聞いていいか」
「どうぞ」
「……幸せか」
不意打ちだった。
私は少し考えた。
幸せか。今の自分は幸せか。
フェンが私の隣にいた。重くて、温かくて、いつも「お前」と呼ぶ聖獣が。薬草園があった。研究所の夢があった。殿下の几帳面な字の手紙があった。
「……なっていこうとしています」
私は正直に答えた。
「七年前より、ずっと」
ウィレム様がそれを聞いて、何も言わなかった。ただ、少しだけ表情が緩んだ気がした。安堵なのか、後悔なのか、判断がつかなかった。
「……よかった」
それだけ言って、ウィレム様は去った。
◆
応接間に、静けさが戻った。
フェンが私を見た。
「……泣かないのか」
「泣きません」
「泣いてもいい」
「泣く理由がありません。終わったことですから」
フェンが鼻先を私の手のひらに押し当ててきた。温かくて、少し湿っていた。
「……お前は強い」
「強くはないと思いますが」
「強い。七年前から、ずっと」
私はしばらく、フェンの白銀の毛に指を埋めた。
涙は出なかった。でも胸の奥に、何か温かいものがあった。
七年間。誰かのために尽くした七年間が、今日でようやく——本当の意味で、終わった気がした。
これからは自分のために。
その言葉が、初めてひとつも重くなかった。
◆
夕方、縁側でフェンの毛並みを梳いていると、母が「カイル殿下からお手紙が届きましたよ」と持ってきた。
封を開けると、短い文面だった。
「研究所の計画書の草稿ができました。都合のいいときにお越しいただけますか」
最後に、一言だけ付け足してあった。
「……今日、大変なことがあったと聞きました。お疲れ様でした」
どこから聞いたのだろうと思った。王家の情報網は、私が思うより広いらしかった。
私は少しだけ、その文字を見つめた。
「……フェン」
「何だ」
「殿下は、心配してくださっているのですね」
「……そうだな」
「どう思いますか」
フェンが少しの間、黙った。
「……うるさい」
耳がまた、少しだけ伏せられた。
(第16話へ続く)




