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第145話「王城からの便り」

 結婚式まで、あと二日。


 その朝、研究所に一人の使者が訪れた。


 王城の紋章を纏った馬車。——差出人は第一王子、アルヴィン様だった。



「アルヴィン様から……?」と私は思わず身を硬くした。


 かつて穏やかな笑みの裏に、冷たい圧力を忍ばせていたあの方。


 カイルの兄君。——王位を継ぐ御方。



 使者はうやうやしく一通の書状を差し出した。


「アルヴィン殿下より。——エリーゼ様に直接、と」


 私は震える指で、その封を切った。



 カイルが隣で静かに見守っていた。


「……兄上が何を」とカイルの声が低くなった。「妙なことを書いていたら、俺が話をつける」


「大丈夫です」と私は首を振った。「読んでみます」



 書状を開く。


 そこには流麗な筆致で、思いがけない言葉が綴られていた。


『エリーゼ嬢へ。


 まずは婚儀の報、心より祝福申し上げる』



 私は思わず目を瞬かせた。


 続きを読む。


『弟は変わった。——あなたと出会ってから。


 かつてのあれは、感情を殺し義務に生きる男だった。


 それが今は、人らしく笑うようになった』



『正直に言おう』と、書状は続いていた。


『私はあなたを警戒していた。弟に近づく者を、——王家の都合でしか見ていなかった』


『だが間違っていた。あなたは弟に、私がついぞ与えられなかったものを与えた』



 私は胸が締めつけられた。


 あの氷のようなアルヴィン様が、——こんな言葉を綴るとは。


 その一文字一文字に、押し殺された彼自身の孤独が滲んでいる気がした。



『婚儀には参列できぬ』と、書状は記していた。『王城を離れられぬ身ゆえ、許されよ』


『代わりにささやかな品を贈る。弟とあなたの門出に』


『どうか弟を、——あの不器用な男を、末永く支えてやってほしい』



 書状の最後には、こう結ばれていた。


『兄として初めて、心から願う。


 二人が幸せであることを。


 ——アルヴィン』



 私は書状をそっと胸に当てた。


「……カイル」と私は彼を見上げた。「お義兄様から、祝福のお手紙です」


「……兄上が?」とカイルが目を見開いた。


 私は書状を彼に手渡した。



 カイルはそれを読み進めるうちに、——その瞳が揺れた。


 いつも感情を抑えている彼の目元が、ほんの少し赤くなった。


「……そうか」とカイルは掠れた声で言った。「兄上が、こんなことを」



「あの人は」とカイルは静かに語り出した。「幼い頃から笑わなかった。王位を継ぐ重圧の中で、——感情を捨てた人だった」


「その兄上が」と彼は書状を握りしめた。「俺の幸せを願ってくれている。——初めてだ、兄弟らしい言葉をもらったのは」



 使者が大きな木箱を運び込んだ。


 アルヴィン様からの贈り物。


 開けると——中には見事な銀の燭台が一対。そして上質な蜜蝋の蝋燭がたくさん。



「燭台……」と私はつぶやいた。


「婚礼の灯りだ」とカイルが言った。「二人の門出を照らす。——古い王家の習わしだ」


 冷たいと思っていた兄が、弟の幸せを照らそうとしている。


 その無言の優しさに、私は胸が熱くなった。



 その時、縁側のフェンが鼻を鳴らした。


「……ふん」とフェンは言った。「あの澄ました王子も、少しは血が通っていたか」


「フェン」と私は微笑んだ。


「まあいい」とフェンは目を細めた。「祝ってくれる者が多いのは、——悪いことじゃない」



 その夜。


 私たちは早速、その銀の燭台を灯してみた。


 温かな蝋燭の光が、研究所の居間を柔らかく包んだ。


 その灯りの中で、カイルと私はしばらく無言で座っていた。



「エリーゼ」と、やがてカイルが口を開いた。「俺はずっと、家族に恵まれない男だと思っていた」


「でも違った」と彼は私を見た。「兄がいて、——君がいて。フェンや、みんながいる」


「君が俺に、家族をくれたんだ」



 その言葉に、私は静かに首を振った。


「いいえ」と私は言った。「私も同じです。——あなたがくれたのです、もう一度誰かを愛する勇気を」


 銀の燭台の灯りが、二人の影をそっと寄り添わせていた。



 結婚式まで、あと二日。


 窓の外では、秋の星が静かに瞬いていた。


 かつて私を傷つけた世界は、今こんなにも優しく私を包んでいる。


 ——アルヴィン様。あなたにも、どうかいつか心から笑える日が訪れますように。


 私は燭台の灯りを見つめながら、遠い王城の孤独な御方の幸せを、そっと祈った。


(第146話へ続く)

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