第144話「白いドレス」
結婚式まで、あと三日。
その日、研究所に大きな箱が届いた。
王都の仕立て屋から。——ウェディングドレスだった。
◆
「届きましたよ! エリーゼ様!」とナーシャが箱を抱えて駆け込んできた。
「まあ……」と私は思わず息をのんだ。
箱を開けると、中から現れたのは——真っ白な絹のドレス。
光を受けて、淡く銀色に輝いていた。
◆
「さあ、試着しましょう!」とマーサさんが腕まくりをした。
「私たち、お手伝いします!」とミラさんもにっこり笑った。
女性陣に囲まれて、私は別室へ連れていかれた。
◆
ドレスに袖を通す。
布の滑らかさが、肌に心地よく馴染んでいく。
マーサさんが背中の紐を丁寧に結んでくれた。ナーシャが裾を整える。ミラさんが髪を結い上げてくれた。
「……できました」とマーサさんが声を震わせた。
◆
姿見の前に立つ。
そこに映っていたのは——見知らぬ花嫁だった。
白いドレスに包まれた私。かつて離縁状を受け取った、あの朝の私とは——もう別人のように見えた。
「綺麗……」とナーシャがつぶやいた。「エリーゼ様、すっごく綺麗です」
◆
その時、ふと胸の奥が熱くなった。
七年尽くして、捨てられたあの日。私はもう、誰にも愛されないと思っていた。
涙の出ない女だと——そう思っていた。
なのに今、私はこんなにも温かい人たちに囲まれて、白いドレスを着ている。
◆
「フェンにも見せに行きましょう!」とナーシャが言った。
「……そうですね」と私は頷いた。
ドレスの裾をそっと持ち上げて、私は縁側へ向かった。
◆
縁側で、フェンがこちらを見た。
その金色の瞳が、ドレス姿の私を捉えて——大きく見開かれた。
「……フェン」と私ははにかんで言った。「どうでしょうか」
◆
フェンはしばらく、何も言わなかった。
ただじっと、私の姿を見つめていた。
やがて、その喉から低い声が漏れた。
「……ああ」とフェンは言った。「綺麗だ。——本当に綺麗だ、エリーゼ」
◆
その名前。
いつもは「お前」と呼ぶフェンが——「エリーゼ」と呼んだ。
その、たった一度の呼びかけに、私は胸がいっぱいになった。
◆
「お前を初めて見た時はな」とフェンは静かに語り出した。「泣くこともできないほど、傷ついた女だった」
「……はい」と私は頷いた。
「それが今は」とフェンは目を細めた。「こんなにも美しく笑っている。——俺は嬉しい。お前を拾って、本当によかった」
◆
「フェン……」と私の声が震えた。
「泣くな」とフェンはふっと笑った。「せっかくのドレスが台無しになるぞ」
「……はい」と私は涙をこらえて笑った。
でも、その目尻には小さな雫が、確かに光っていた。
◆
その時、門の方で物音がした。
振り返ると——カイルが立っていた。
仕事の合間に来たのだろう。彼はドレス姿の私を見て——その場に固まった。
◆
「カイル」と私は慌てた。「あの、これはまだ試着で……」
カイルは答えなかった。
ただまっすぐに、私を見つめていた。その頬が、ほんのりと赤く染まっていく。
◆
「……すまない」と、ようやくカイルが口を開いた。「見惚れていた」
その短い一言に、今度は私の頬が熱くなった。
「式の前に見るのは、縁起が悪いかもしれませんよ」と私は小さく言った。
「いや」とカイルは首を振った。「見られてよかった。——三日も待てる気がしない」
◆
その、まっすぐな言葉に、私は思わず俯いた。
カイルがゆっくりと近づいてきた。そして、私の手をそっと取った。
「エリーゼ」と彼は言った。「君と出会えて、俺は世界で一番幸運な男だ」
◆
「……カイル」と私は彼を見上げた。
「三日後」とカイルは微笑んだ。「君を迎えに来る。——この命をかけて、君を幸せにする」
その言葉に、私はもう何も言えなかった。
ただ、彼の手を強く握り返した。
◆
その夜。
ドレスを丁寧に箱にしまいながら、私は姿見をもう一度見た。
そこに映る女は、もう独りではなかった。
愛してくれる人がいて、守ってくれる聖獣がいて、家族がいる。
◆
結婚式まで、あと三日。
窓の外では、秋の風が薬草園を優しく撫でていた。
——どうか、その日が晴れますように。
そして、その日をフェンが笑って見届けてくれますように。
私は白いドレスの箱に、そっと手を置いて静かに祈った。
(第145話へ続く)




