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第144話「白いドレス」

 結婚式まで、あと三日。


 その日、研究所に大きな箱が届いた。


 王都の仕立て屋から。——ウェディングドレスだった。



「届きましたよ! エリーゼ様!」とナーシャが箱を抱えて駆け込んできた。


「まあ……」と私は思わず息をのんだ。


 箱を開けると、中から現れたのは——真っ白な絹のドレス。


 光を受けて、淡く銀色に輝いていた。



「さあ、試着しましょう!」とマーサさんが腕まくりをした。


「私たち、お手伝いします!」とミラさんもにっこり笑った。


 女性陣に囲まれて、私は別室へ連れていかれた。



 ドレスに袖を通す。


 布の滑らかさが、肌に心地よく馴染んでいく。


 マーサさんが背中の紐を丁寧に結んでくれた。ナーシャが裾を整える。ミラさんが髪を結い上げてくれた。


「……できました」とマーサさんが声を震わせた。



 姿見の前に立つ。


 そこに映っていたのは——見知らぬ花嫁だった。


 白いドレスに包まれた私。かつて離縁状を受け取った、あの朝の私とは——もう別人のように見えた。


「綺麗……」とナーシャがつぶやいた。「エリーゼ様、すっごく綺麗です」



 その時、ふと胸の奥が熱くなった。


 七年尽くして、捨てられたあの日。私はもう、誰にも愛されないと思っていた。


 涙の出ない女だと——そう思っていた。


 なのに今、私はこんなにも温かい人たちに囲まれて、白いドレスを着ている。



「フェンにも見せに行きましょう!」とナーシャが言った。


「……そうですね」と私は頷いた。


 ドレスの裾をそっと持ち上げて、私は縁側へ向かった。



 縁側で、フェンがこちらを見た。


 その金色の瞳が、ドレス姿の私を捉えて——大きく見開かれた。


「……フェン」と私ははにかんで言った。「どうでしょうか」



 フェンはしばらく、何も言わなかった。


 ただじっと、私の姿を見つめていた。


 やがて、その喉から低い声が漏れた。


「……ああ」とフェンは言った。「綺麗だ。——本当に綺麗だ、エリーゼ」



 その名前。


 いつもは「お前」と呼ぶフェンが——「エリーゼ」と呼んだ。


 その、たった一度の呼びかけに、私は胸がいっぱいになった。



「お前を初めて見た時はな」とフェンは静かに語り出した。「泣くこともできないほど、傷ついた女だった」


「……はい」と私は頷いた。


「それが今は」とフェンは目を細めた。「こんなにも美しく笑っている。——俺は嬉しい。お前を拾って、本当によかった」



「フェン……」と私の声が震えた。


「泣くな」とフェンはふっと笑った。「せっかくのドレスが台無しになるぞ」


「……はい」と私は涙をこらえて笑った。


 でも、その目尻には小さな雫が、確かに光っていた。



 その時、門の方で物音がした。


 振り返ると——カイルが立っていた。


 仕事の合間に来たのだろう。彼はドレス姿の私を見て——その場に固まった。



「カイル」と私は慌てた。「あの、これはまだ試着で……」


 カイルは答えなかった。


 ただまっすぐに、私を見つめていた。その頬が、ほんのりと赤く染まっていく。



「……すまない」と、ようやくカイルが口を開いた。「見惚れていた」


 その短い一言に、今度は私の頬が熱くなった。


「式の前に見るのは、縁起が悪いかもしれませんよ」と私は小さく言った。


「いや」とカイルは首を振った。「見られてよかった。——三日も待てる気がしない」



 その、まっすぐな言葉に、私は思わず俯いた。


 カイルがゆっくりと近づいてきた。そして、私の手をそっと取った。


「エリーゼ」と彼は言った。「君と出会えて、俺は世界で一番幸運な男だ」



「……カイル」と私は彼を見上げた。


「三日後」とカイルは微笑んだ。「君を迎えに来る。——この命をかけて、君を幸せにする」


 その言葉に、私はもう何も言えなかった。


 ただ、彼の手を強く握り返した。



 その夜。


 ドレスを丁寧に箱にしまいながら、私は姿見をもう一度見た。


 そこに映る女は、もう独りではなかった。


 愛してくれる人がいて、守ってくれる聖獣がいて、家族がいる。



 結婚式まで、あと三日。


 窓の外では、秋の風が薬草園を優しく撫でていた。


 ——どうか、その日が晴れますように。


 そして、その日をフェンが笑って見届けてくれますように。


 私は白いドレスの箱に、そっと手を置いて静かに祈った。


(第145話へ続く)

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