表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
143/182

第143話「ルカふたたび」

 結婚式まで、あと数日。


 研究所は準備で大忙しだった。


 そんなある日の昼下がり。門の方から元気な声が響いた。



「せんせー!」


 その声に、私ははっと顔を上げた。


 門から駆けてくる小さな影。——ルカだった。


 その後ろから、ミラさんが笑顔で歩いてくる。



「ルカくん! ミラさん!」と私は駆け寄った。「来てくれたのですね!」


「招待状、ありがとうございました」とミラさんが頭を下げた。「お式のお手伝いでもできればと。——早めに伺いました」


 ルカはすっかり元気になって、少し背も伸びていた。



「ルカ! 久しぶり!」とナーシャも駆けてきた。


「ナーシャせんせい!」とルカが抱きついた。


 子供と見習い薬師。二人はすぐにまたはしゃぎ始めた。



 ミラさんが村の近況を話してくれた。


 あの後、ミラさんは私に教わった水の煮沸を村中に広めたという。おかげで村では流行り病がぱたりと止んだ、と。


「みんな、あなたに感謝しています」とミラさんは言った。「『山向こうの薬師様』と。——村の希望になっているんですよ」


 その言葉に、私は胸が温かくなった。


 一つの出会いが、こうして遠い村まで優しさを運んでいる。——フェンが与えてくれたこの道は、本当に間違っていなかった。



「ねえ、フェンは?」とルカがきょろきょろ辺りを見回した。「フェンに会いたい!」


「縁側にいますよ」と私は言った。


 ルカがぱっと駆け出した。



 縁側で、フェンが毛布の上に伏せていた。


「フェン!」とルカが飛びついた。「フェン、会いたかった!」


「……おう、ガキか」とフェンは目を開けた。「大きくなったな」



 ルカがフェンの毛並みに顔を埋め——ふと動きを止めた。


「……フェン」と、ルカが小さく言った。「なんか、まえより……ほそくなった?」


 その無邪気な問いに、私は胸がちくりと痛んだ。


 フェンの身体は、あの夏より確かに衰えていた。



「ああ」とフェンは静かに言った。「年を取ったからな。——だが心配いらん」


「びょうき?」とルカが不安そうに聞いた。


「病気じゃない」とフェンは言った。「ただ、少しゆっくりするようになっただけだ。——お前ともふもふするくらいはできる」



「ほんと?」とルカの顔がぱっと輝いた。


「ああ」とフェンは言った。「ほら、来い」


 ルカが嬉しそうにフェンのもふもふに抱きついた。


 フェンはもう振り払わず、ただ優しくその小さな身体を受け止めていた。


 その光景に、私は温かさと切なさを同時に感じた。



 ミラさんはマーサさんとすぐに打ち解けた。


「お料理ならお任せください」とミラさんが言った。「村で鍛えた腕です。——お式のごちそう、一緒に作らせてください」


「あら、心強い」とマーサさんが微笑んだ。「では、お言葉に甘えて」


 台所からは早速、二人の賑やかな笑い声が聞こえてきた。



 夕方、カイルが研究所に来た。


 ルカがカイルを見て——「あ! へんなかお の、おにいちゃん!」と指をさした。


「……まだ覚えていたのか」とカイルが苦笑いした。


「カイル、もうすぐせんせいと、けっこんするんでしょ?」とルカが聞いた。


「ああ」とカイルが頷いた。


「いいなあ」とルカがにっこり笑った。「せんせいの、およめさん。すっごくきれいだろうね!」


 その無邪気な言葉に、私は頬を染めた。カイルも少し照れたように笑った。



 研究所はますます賑やかになった。


 フェン。ナーシャ。マーサさん。ミラさんとルカ。


 そして、もうすぐカイルも家族に加わる。


 かつて独りだった私の周りに、こんなにもたくさんの家族が増えていた。



 翌日から、ルカも結婚式の準備を手伝った。


 ナーシャと二人で薬草園の花を摘み、花飾りを作る。マーサさんとミラさんは台所でごちそうの仕込み。


「せんせい! お花、いっぱいつんだよ!」とルカが両手いっぱいの野の花を見せた。


「ありがとう。——とっても綺麗です」と私は微笑んだ。


 みんなで力を合わせて、一つの結婚式を作り上げていく。


 その賑やかで温かい時間が、たまらなく愛おしかった。



 その夜。


 みんなが眠った後、私はそっと縁側に出た。


 フェンは毛布の上で静かに寝息を立てていた。ルカにもふもふされて疲れたのだろう。


 その寝顔を見ながら、私はルカの言葉を思い出していた。


 「ほそくなった」と。——子供は正直だ。



 ふと、フェンが薄く目を開けた。


「……まだ起きていたのか」とフェンは言った。


「フェン。起こしてしまいましたか」と私は言った。


「いや」とフェンは言った。「——あのガキに、また会えて。よかった。生きていると、こういう嬉しいことがある」


 フェンの視線が窓辺の花の冠に向いた。ルカがくれた、あの冠。


「だから、まだ逝けん」とフェンはふっと笑った。「お前の花嫁姿も。あのガキのこれからも。——見たいものが多すぎる」


 その言葉に、私は泣きそうになりながら笑った。



 私はフェンの傍に、そっと座った。


「フェン」と私は小さくつぶやいた。「あと少しだけ。あと少しだけ、頑張ってくださいね」


 フェンは眠ったまま。でも、その規則正しい寝息が——「わかっている」と言っているような気がした。


 秋の夜空に、星が静かに瞬いていた。



 結婚式まで、あと数日。


 幸せと祈りが、私の胸の中で静かに混ざり合っていた。


 ——どうか。その日まで。そして、その先も、できるだけ長く。


 あなたの見たいものを。一つでも多く、一緒に見られますように。


 私はフェンの温かい毛並みに、そっと手を置いて。夜が更けるまで、その傍にいた。


 窓辺の貝殻と花の冠が、秋の月に静かに照らされていた。


(第144話へ続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ