フェンと約束
夜会から一夜が明けて。
研究所は——お祭り騒ぎだった。
私が王家に認められたという知らせは、あっという間に広まっていた。
◆
患者のおばあさんたちが、次々とやってきた。
「おめでとうございます!」「妃殿下になられるんだね!」
みんな自分のことのように喜んでくれた。
「妃殿下なんて、やめてください」と私は笑った。「私はこれからも、ただの薬師のエリーゼです」
「いいや、薬師様は薬師様だ」と、おばあさんが皺くちゃの顔で笑った。「でも、幸せになるのは誰よりもあんたがふさわしいよ」
その言葉に、私はそっと頭を下げた。
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下町からも祝いの品が届いた。
手作りの花輪。心のこもった手紙。——あの銅貨をくれた人たちだ。
「薬師様の晴れ姿を一目見たい」と、手紙には書かれていた。
その温かさに、私は胸がいっぱいになった。
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「さあ、お嬢様」とマーサさんがはりきって言った。「結婚式の準備を始めましょう。やることは山ほどございますよ」
「私も手伝います!」とナーシャが声を上げた。「先生の結婚式! 絶対、素敵なものにしましょう!」
二人の張り切りように、私は笑ってしまった。
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その日から、研究所は結婚式の話で持ちきりになった。
ナーシャは「お花は薬草園のラベンダーがいい」と提案し、マーサさんは「料理は私が腕によりをかけます」と意気込んだ。
「ケーキは大きいのがいいです!」とナーシャが言えば。
「お行儀よくなさい」とマーサさんが優しくたしなめる。
その、にぎやかなやり取りを、私は幸せな気持ちで聞いていた。
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かつて——独りだったあの家で、私はこんな未来を想像すらできなかった。
離縁状を受け取ったあの朝、私の世界は色を失っていた。
でも今は——こんなにも彩りに満ちている。みんなの笑顔が、声が、私を温かく包んでいる。
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賑やかな皆の輪をそっと抜けて、私は縁側のフェンのもとへ向かった。
フェンは毛布の上で静かに日向ぼっこをしていた。
「フェン」と私はその傍に座った。
「なんだ」とフェンは目を開けた。
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「フェン」と私は言った。「お願いがあります」
「言ってみろ」
「私の結婚式に——出てくれますか」
その言葉に、フェンが一瞬黙った。
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「……俺は聖獣だぞ」とフェンは言った。「人間の結婚式に獣が出るのは——おかしいだろう」
「おかしくありません」と私は言った。「あなたは私の家族です。——あなたがいてくれなければ、私の結婚式は完成しません」
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フェンはしばらく空を見上げていた。
その横顔に——複雑な感情がよぎった。
彼の身体がもう長くないことを、私もフェンも知っていた。結婚式まで、その命が保つかどうか——それは誰にもわからなかった。
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「……わかった」と、フェンは静かに言った。「出てやる。——お前の晴れ姿を、この目で見届けてやる」
「フェン……」
「だから」とフェンは言った。「それまで、俺は——死なん。約束する」
その言葉の重さに、私は目頭が熱くなった。
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フェンはいつも、そうだった。
ナーシャの成長を見届けるために。海を見るために。ルカと、また会うために。——一つ、また一つと、生きる理由を自分で作ってきた。
そして今度は——私の結婚式。
それがまた一つ、フェンの命を繋ぎとめる理由になった。
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私はフェンの温かい毛並みに顔を寄せた。
「絶対に見てもらいます」と私は言った。「だからフェンも、絶対に約束を守ってくださいね」
「ああ」とフェンは言った。「——男に二言はない」
「聖獣、なのに?」
「うるさい」
二人で笑った。秋の柔らかな日差しの中で。
◆
その夜。
カイルが研究所に来た。
私たちは縁側に並んで月を見ながら、結婚式の話をした。
「どんな式にしたいですか」とカイルが聞いた。
「——派手なものはいりません」と私は言った。「大切な人たちに囲まれて、みんなが笑っている。そんな温かい式がいいです」
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「あなたらしい」とカイルが微笑んだ。「では、そうしましょう。——フェンリルも、ナーシャも、マーサも、下町のみんなも。あなたが大切に想う、すべての人を招いて」
「ええ」と私は頷いた。「それが私の夢の結婚式です」
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ふと、私はカイルに打ち明けた。
「実は——フェンに結婚式に出てほしいと頼んだのです」
「……そうですか」とカイルは静かに言った。
「フェンは約束してくれました」と私は言った。「『その日まで死なん』と。——でも私、少し怖いんです。フェンの身体は、もう……」
声が震えた。
◆
カイルがそっと私の肩を抱いた。
「大丈夫です」と、彼は言った。「フェンリルは約束を破るような聖獣ではない。——それに、あなたの晴れ姿を見ずに逝くものか。あいつは誰よりも、あなたを大切に想っている」
「カイル……」
「だから」とカイルは言った。「俺たちで最高の結婚式にしましょう。——フェンリルが『見届けてよかった』と、心から思えるような」
その言葉に、私は涙を拭い、深く頷いた。
◆
月明かりの下で、私たちはこれからの幸せを語り合った。
◆
結婚式まで——あと少し。
幸せな準備の日々が始まる。
でも私は、心のどこかで、フェンの約束を祈るように握りしめていた。
——どうか、その日まで。どうか元気でいてください。
◆
その夜、眠る前に、私はもう一度縁側を覗いた。
フェンは毛布の上で静かに寝息を立てていた。
月の光が、その白い毛並みを淡く照らしている。
その穏やかな寝顔を見ながら——私は心に誓った。
残された一日一日を、フェンと過ごすすべての時間を——宝物のように大切にしよう、と。
窓辺の貝殻と花の冠が、秋の月に優しく輝いていた。
(第142話へ続く)




