表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
141/182

フェンと約束

 夜会から一夜が明けて。


 研究所は——お祭り騒ぎだった。


 私が王家に認められたという知らせは、あっという間に広まっていた。



 患者のおばあさんたちが、次々とやってきた。


「おめでとうございます!」「妃殿下になられるんだね!」


 みんな自分のことのように喜んでくれた。


「妃殿下なんて、やめてください」と私は笑った。「私はこれからも、ただの薬師のエリーゼです」


「いいや、薬師様は薬師様だ」と、おばあさんが皺くちゃの顔で笑った。「でも、幸せになるのは誰よりもあんたがふさわしいよ」


 その言葉に、私はそっと頭を下げた。



 下町からも祝いの品が届いた。


 手作りの花輪。心のこもった手紙。——あの銅貨をくれた人たちだ。


「薬師様の晴れ姿を一目見たい」と、手紙には書かれていた。


 その温かさに、私は胸がいっぱいになった。



「さあ、お嬢様」とマーサさんがはりきって言った。「結婚式の準備を始めましょう。やることは山ほどございますよ」


「私も手伝います!」とナーシャが声を上げた。「先生の結婚式! 絶対、素敵なものにしましょう!」


 二人の張り切りように、私は笑ってしまった。



 その日から、研究所は結婚式の話で持ちきりになった。


 ナーシャは「お花は薬草園のラベンダーがいい」と提案し、マーサさんは「料理は私が腕によりをかけます」と意気込んだ。


「ケーキは大きいのがいいです!」とナーシャが言えば。


「お行儀よくなさい」とマーサさんが優しくたしなめる。


 その、にぎやかなやり取りを、私は幸せな気持ちで聞いていた。



 かつて——独りだったあの家で、私はこんな未来を想像すらできなかった。


 離縁状を受け取ったあの朝、私の世界は色を失っていた。


 でも今は——こんなにも彩りに満ちている。みんなの笑顔が、声が、私を温かく包んでいる。



 賑やかな皆の輪をそっと抜けて、私は縁側のフェンのもとへ向かった。


 フェンは毛布の上で静かに日向ぼっこをしていた。


「フェン」と私はその傍に座った。


「なんだ」とフェンは目を開けた。



「フェン」と私は言った。「お願いがあります」


「言ってみろ」


「私の結婚式に——出てくれますか」


 その言葉に、フェンが一瞬黙った。



「……俺は聖獣だぞ」とフェンは言った。「人間の結婚式に獣が出るのは——おかしいだろう」


「おかしくありません」と私は言った。「あなたは私の家族です。——あなたがいてくれなければ、私の結婚式は完成しません」



 フェンはしばらく空を見上げていた。


 その横顔に——複雑な感情がよぎった。


 彼の身体がもう長くないことを、私もフェンも知っていた。結婚式まで、その命が保つかどうか——それは誰にもわからなかった。



「……わかった」と、フェンは静かに言った。「出てやる。——お前の晴れ姿を、この目で見届けてやる」


「フェン……」


「だから」とフェンは言った。「それまで、俺は——死なん。約束する」


 その言葉の重さに、私は目頭が熱くなった。



 フェンはいつも、そうだった。


 ナーシャの成長を見届けるために。海を見るために。ルカと、また会うために。——一つ、また一つと、生きる理由を自分で作ってきた。


 そして今度は——私の結婚式。


 それがまた一つ、フェンの命を繋ぎとめる理由になった。



 私はフェンの温かい毛並みに顔を寄せた。


「絶対に見てもらいます」と私は言った。「だからフェンも、絶対に約束を守ってくださいね」


「ああ」とフェンは言った。「——男に二言はない」


「聖獣、なのに?」


「うるさい」


 二人で笑った。秋の柔らかな日差しの中で。



 その夜。


 カイルが研究所に来た。


 私たちは縁側に並んで月を見ながら、結婚式の話をした。


「どんな式にしたいですか」とカイルが聞いた。


「——派手なものはいりません」と私は言った。「大切な人たちに囲まれて、みんなが笑っている。そんな温かい式がいいです」



「あなたらしい」とカイルが微笑んだ。「では、そうしましょう。——フェンリルも、ナーシャも、マーサも、下町のみんなも。あなたが大切に想う、すべての人を招いて」


「ええ」と私は頷いた。「それが私の夢の結婚式です」



 ふと、私はカイルに打ち明けた。


「実は——フェンに結婚式に出てほしいと頼んだのです」


「……そうですか」とカイルは静かに言った。


「フェンは約束してくれました」と私は言った。「『その日まで死なん』と。——でも私、少し怖いんです。フェンの身体は、もう……」


 声が震えた。



 カイルがそっと私の肩を抱いた。


「大丈夫です」と、彼は言った。「フェンリルは約束を破るような聖獣ではない。——それに、あなたの晴れ姿を見ずに逝くものか。あいつは誰よりも、あなたを大切に想っている」


「カイル……」


「だから」とカイルは言った。「俺たちで最高の結婚式にしましょう。——フェンリルが『見届けてよかった』と、心から思えるような」


 その言葉に、私は涙を拭い、深く頷いた。



 月明かりの下で、私たちはこれからの幸せを語り合った。



 結婚式まで——あと少し。


 幸せな準備の日々が始まる。


 でも私は、心のどこかで、フェンの約束を祈るように握りしめていた。


 ——どうか、その日まで。どうか元気でいてください。



 その夜、眠る前に、私はもう一度縁側を覗いた。


 フェンは毛布の上で静かに寝息を立てていた。


 月の光が、その白い毛並みを淡く照らしている。


 その穏やかな寝顔を見ながら——私は心に誓った。


 残された一日一日を、フェンと過ごすすべての時間を——宝物のように大切にしよう、と。


 窓辺の貝殻と花の冠が、秋の月に優しく輝いていた。


(第142話へ続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ