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夜会はじまる

 夜会の日が来た。


 マーサさんが丹精込めて仕立てたドレス。


 淡い空色の生地に銀の刺繍。華美ではないが凛とした気品のある装いだった。


 鏡の前に立つ私は——もう、あの頃のうつむいた令嬢ではなかった。



「お綺麗です、お嬢様」とマーサさんが目を潤ませた。「どこに出しても恥ずかしくない。——いいえ。誰よりも美しい」


「マーサさんのおかげです」と私は微笑んだ。


「ご武運を」とマーサさんは深く頭を下げた。



 縁側でフェンが私を見ていた。


「……ほう」とフェンは目を細めた。「馬子にも衣装、と言いたいところだが。——よく似合っている」


「ありがとう、フェン」と私は笑った。


「行ってこい」とフェンは言った。「貴族どもに——お前の本物の強さを見せてやれ」



「先生、頑張ってください!」とナーシャが手を振った。


 私は皆に見送られ、馬車に乗り込んだ。


 胸元には——下町の人々からもらったお守りを忍ばせていた。


 民の思い。家族の支え。それが私の何よりの鎧だった。



 王城の大広間。


 無数のシャンデリアが煌めき、着飾った貴族たちがひしめいていた。


 優雅な音楽。きらびやかなドレス。——まさに別世界だった。


 私が入場すると——一斉に視線が集まった。



 ざわめき。ひそひそと交わされる囁き。


「あれが噂の……」「離縁された女が、よくも……」「下町の薬師ですって」


 好奇と侮蔑の入り混じった視線。


 でも——私は背筋を伸ばし、まっすぐ前を見て歩いた。マーサさんに教わった通りに。



 人混みの中から——カイルが近づいてきた。


 その目が私を見て——大きく見開かれた。


「……エリーゼ」とカイルは言葉を失ったようにつぶやいた。「綺麗だ。——本当に綺麗だ」


「ありがとうございます」と私は頬を染めた。



 カイルが私に腕を差し出した。


 私がその腕を取ると——周囲のざわめきが一段と大きくなった。


 第二王子が自らエスコートする相手。それが私だという事実に。


 アルヴィン殿下も近づいてきて、にこやかに言った。


「よく来た、エリーゼ妃。——堂々としていなさい。あなたには、その資格がある」



 やがて優雅な音楽が流れ始めた。


 カイルが私に手を差し出した。


「踊っていただけますか」と、彼は言った。


「私でよければ」と私はその手を取った。



 ホールの中央へ。


 カイルのリードに合わせて、私はステップを踏んだ。マーサさんと何度も練習したダンス。


 最初は緊張していた私も、カイルの温かい手に導かれ、次第に身体が軽くなっていった。


 くるり、くるりと舞う。空色のドレスの裾が優雅に翻った。



 気づけば——周囲の貴族たちが私たちを見つめていた。


 その視線から侮蔑の色が薄れ、代わりに見惚れるようなものが混じっていた。


「……まあ、お上手」「あの方が下町の薬師?」「とても、そうは見えませんわ」


 囁きの質が変わり始めていた。



 踊り終えると——一人の年配の貴婦人が近づいてきた。


「お見事なダンスでしたわ」と、貴婦人は品よく微笑んだ。「わたくし、モンタギュー伯爵夫人。——あなたのお噂は、かねがね。下町を救われたとか。立派なことですわ」


「ありがとうございます」と私は丁寧に礼をした。


 すべての貴族が敵ではない。——その小さな手応えに、私は少し勇気を得た。



 その時——人々が左右に分かれた。


 ハーグレイヴ侯爵と、あの令嬢がこちらへやってくる。


 令嬢は豪奢な真紅のドレスをまとい、扇で口元を隠して微笑んでいた。



「あら、エリーゼ様」と、令嬢が艶やかに言った。「まあ、ずいぶんとご立派な装いで。——どちらでお借りになったのかしら? まさか、ご自分のものではないでしょう?」


 あからさまな嘲りだった。周囲の貴族たちがくすくすと笑う。



 でも——私は動じなかった。


「ええ、借り物です」と私は穏やかに微笑んだ。


「私を大切に想ってくれる人が、心を込めて仕立ててくれました。——お金で買ったドレスより、よほど価値があると思いませんか?」


 令嬢の笑みが——ぴくりと、こわばった。



 その凛とした返答に、周囲の空気がわずかに変わった。


 くすくす笑いが止み、代わりに感心したような囁きが漏れた。


「……生意気な」と、令嬢が小さく舌打ちをした。


 カイルが私だけに聞こえるように、そっと囁いた。


「お見事です」と。


 その小さな援護が、私の心をふっと軽くした。隣に味方がいる。それだけで、どんな視線も怖くなかった。



「ふん」と、ハーグレイヴ侯爵が前に出た。「口は達者なようだ。だが——夜会はまだ始まったばかり。言葉の遊びで王家に入れると思うなよ」


 その目に——隠しきれない悪意が光っていた。


 この男は——何か企んでいる。私は直感した。



 その時、広間に高らかなラッパの音が響いた。


 国王陛下のご入場だった。


 貴族たちが一斉に頭を垂れる。


 玉座に座した王の鋭い視線が——まっすぐ私を捉えた。



「さあ」と、王がよく通る声で言った。「今宵は無礼講だ。——だが、わしは一つ見極めたいと思っている。この国に新しく迎えるにふさわしい者がいるのか、どうか」


 その言葉に——広間中の視線が私に集まった。



 ——さあ。本当の夜会が、今始まる。


 私はぐっとこぶしを握り、覚悟を決めた。


 胸元のお守りが、私を励ますように温かかった。


 貴族たちの視線も、ハーグレイヴの悪意も——すべて受けて立つ。


 私はもう逃げない。うつむかない。


 あの朝、涙も出なかった私が、今こうして王の目の前に胸を張って立っている。


 ——七年の果てに辿り着いた、この場所で。私は私の価値を証明してみせる。


 私はまっすぐ顔を上げた。


(第139話へ続く)

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