第13話「王城にて」
王城は、思っていたより静かだった。
正確には、私たちが通される廊下が静かだった。案内の騎士が先導し、私とフェンがその後ろを歩く。すれ違う者が、一様に足を止めて振り返った。
理由は、わかっていた。
フェンのせいだった。
白銀の髪を持つ長身の男性が、無表情で廊下を歩いている。それだけで、十分すぎるほど目を引いた。侍女が二人、小声で何かを囁き合いながら通り過ぎていった。若い騎士が、つい立ち止まってフェンを見つめた。廊下の先の扉から顔を出した者が、慌てて引っ込んだ。
「……見られています」
私が小声で言うと、フェンが短く答えた。
「知っている」
「慣れていますか」
「慣れない。不快だ」
「……そうですね」
私はそっとフェンの腕の横に自分の手を寄せた。約束通り、離れないように。フェンが一瞬こちらを見て、何も言わなかった。ただ、歩く速度がわずかに落ちた。私に合わせるように。
◆
謁見の間に入ると、カイル殿下が先に待っていた。
殿下がフェンを見て、一瞬だけ目を丸くした。
「……フェンリル。来てくれましたか」
「約束ではない。来てやっただけだ」
「それでも、ありがたいことです」
殿下の視線がちらりと私に向いた。
「エリーゼさん、お疲れ様です。道中は問題ありませんでしたか」
「はい。ご配慮ありがとうございます」
フェンが殿下と私の間に、さっと一歩踏み出した。肩が私の視界をさえぎるくらい、はっきりとした動作だった。
「……邪魔をするな」
殿下が苦笑した。
「邪魔をするつもりはありませんよ。ご挨拶をしていただけです」
「立ち位置が近い」
「謁見の間でここ以外に立つ場所がないのですが」
「もう少し離れろ」
殿下が困った顔で私を見た。私は「フェン」と静かに言った。
「殿下は私たちを案内してくださっているのです」
「……わかっている」
「わかっているなら」
フェンが不満そうに半歩下がった。小さな半歩だったが、殿下は「ありがとうございます」と丁寧に礼を言った。フェンは何も答えなかった。
◆
国王陛下は、想像より穏やかな方だった。
五十代前後の、落ち着いた雰囲気の男性だった。王冠はつけているが、形式ばった様子はなく、どことなくカイル殿下と似た静かな空気を持っていた。
「来てくれて嬉しい。ヴァルハイン伯爵令嬢——今はフェンリルの伴侶か」
「はい、陛下。エリーゼ・ヴァルハインと申します」
「顔を上げよ。聖獣の伴侶に畏まられるのは、こちらが落ち着かない」
陛下が穏やかに笑った。視線がフェンへ移る。
「フェンリル。久しぶりに人の姿を見た。相変わらず不機嫌そうだな」
「……陛下こそ、相変わらず気安い」
「聖獣に敬語を使われても落ち着かん。昔からそうだろう」
フェンが鼻から小さく息を抜いた。返事の代わりのようだった。
陛下と以前から面識があるらしい。そのことに、私は少し驚いた。聖獣と王家には、私が知らない歴史があるのかもしれなかった。
「薬草の研究所を作りたいと聞いた」
陛下が私に視線を戻して、言った。
「カイルから報告を受けています。近隣の病人を助けているとも」
「まだ家の庭だけで、たいしたことは——」
「たいしたことはある。薬師というのは数が少ない。民のために動ける者はもっと少ない」
陛下が少し身を乗り出すようにして、静かに言った。
「王家として、できる支援をしたい。遠慮はいらない。聖獣が選んだ人間だ。それだけで、信用に値する」
私はしばらく、言葉が出なかった。
七年間、誰かに「信用する」と言われたとき、それは必ず何かの条件がついていた。侯爵夫人としての振る舞いが、家格が、役に立つかどうかが。
でも今陛下が言ったのは——ただそれだけのことだった。
「……ありがとうございます」
声が、少しかすれた。
陛下が優しく笑った。横でフェンが「当然だ」と小さく呟いた。私のことを言ったのか、自分のことを言ったのか、どちらかわからなかった。
◆
帰り道、王城の廊下をまた歩いた。
行きよりも視線が増えていた。どこかで噂が広まったのかもしれない。侍女たちが遠巻きに見ている。騎士が一人、通り際に目を止めて、気まずそうに前を向いた。
フェンが私の隣に、ぴったりと寄り添って歩いていた。
自然な動作だった。誰かを遠ざけるためでも、見せつけるためでもなく、ただそこに並んでいた。ただ、その存在感はかなりのものだった。遠巻きだった視線が、ほんの少し遠くなった気がした。
「……フェン」
「何だ」
「さっきより近いですよ」
「約束した。離れるな、と言った」
「それは私が離れないようにという意味でしたよね」
「両方だ」
私は少し考えて、それから何も言わないことにした。
白銀の髪が、廊下の灯りに揺れていた。
◆
ヴァルハイン家に戻ると、フェンは縁側に出るなり、盛大にため息をついた。
白銀の光が一瞬あたりを包んで——見慣れた大きな狼の姿が、どかりと縁側に倒れ込んだ。
「……疲れましたか」
「人型は嫌いだと言った」
「言いましたね」
「二度はしない。しばらく」
「今日はありがとうございました。助かりました」
フェンがむすっとしたまま、大きな頭を私の膝に乗せた。いつもの重さだった。いつもの温かさだった。
私はゆっくりと、白銀の毛並みに指を通した。
「約束通り、梳かします」
「……さっさとしろ」
「はいはい」
フェンが目を細めた。
今日一日ぶんの緊張が、その温かさの中で少しずつ溶けていくようだった。空が橙色から藍色に変わっていく中、縁側に二人分の静けさがあった。
(第14話へ続く)




