第12話「人型の男」
「人型……?」
私が聞き返すと、殿下がうなずいた。
「聖獣が王城に入る場合、動物の姿では……その、いくつか不都合がありまして」
「フェンが狼の姿では入れない建物があるということですか」
「廊下の幅は問題ありませんが、謁見の間が……」
殿下が少し言葉を選んだ。
「陛下の前に巨大な白銀の狼が座るのは、警護の者がかなり緊張するのです」
それはそうだろうと思った。
フェンが大仰にため息をついた。
「……俺は害を加えるつもりはない」
「わかっています。ただ、形式として」
「形式のために変身しろということか」
「お願いできますか」
フェンが私を見た。
「エリーゼ、お前はどう思う」
「……私に聞くのですか」
「お前が行くのだから、お前が決めろ」
私は少し考えた。
フェンが人型を取れること自体、今日初めて聞いた話だった。聖獣が人の姿になる——どこかのおとぎ話の中にある設定だと思っていた。現実に目の前にいるフェンがそれをできるとは、考えたこともなかった。
「フェンは、人型が嫌いなのですか」
「嫌いだ」
即答だった。
「どうしてですか」
「……うるさい」
「聞いてもいいですか」
「……今はいい」
フェンが横を向いた。大きな体がそっぽを向くと、それだけで空気が変わった。
◆
結局、その場では結論が出なかった。
殿下が帰り際に「召喚状が届くまでに、ご検討ください」と言い残して去った。
私はフェンの隣に座って、しばらく黙っていた。夕暮れが縁側に差し込んで、白銀の毛並みを橙色に染めていた。
「……人型になったことは、あるのですか」
「ある」
「どんな姿ですか」
フェンが横を向いた。
「見てからわかるだろう」
「ということは、なってくれるのですか」
「……言ってない」
「でも今、見てからわかるだろうとおっしゃいました」
「……揚げ足を取るな」
フェンが私を見た。琥珀色の瞳が、いつもより少しだけ不機嫌そうだった。
「俺は、今の姿の方が好きだ。お前も今の俺の方が好きだろう」
「……どうしてそう思うのですか」
「毎日毛並みを梳いているだろう」
それは確かにそうだった。今日も夕方に梳いたばかりだった。
「人型になると、毛並みを梳けませんね」
「そうだろう」
「……それは残念です」
フェンが少しだけ、耳を伏せた。それ以上何も言わなかった。
私も何も言わずに、白銀の毛並みに指をそっと当てた。さらさらと滑らかな感触が、いつも通りだった。
◆
召喚状は、三日後に届いた。
王家の紋章が入った重厚な封筒を、父が緊張した顔で持ってきた。
「エリーゼ。王城から来た」
「はい」
「……本当に、謁見するのか」
「フェンの伴侶ですから」
父がため息をついた。もうこういうことに慣れてきたのか、以前より早く諦めた。母が「素敵ね」と後ろで目を輝かせているのが聞こえた。
私は手紙を開いた。丁寧な文面で、七日後の午前中に王城へ来るようにとあった。カイル殿下からと思われる追記があり、「フェンリルのことはご相談の通り、よろしくお願いします」と書かれていた。小さく「無理を言って申し訳ありません」とも。
「……フェン」
縁側で伏せていたフェンが耳を動かした。
「来てください」
フェンが緩慢な動きで立ち上がって、私の隣に来た。手紙を見せると、しばらく黙って読んでいた。
「……七日後か」
「はい」
「エリーゼは行くのか」
「行きます。フェンはどうしますか」
フェンがまた黙った。長い沈黙だった。私は急かさなかった。急かしてもフェンは動かないし、フェンが答えを出す前に私が言葉を挟むのは、どうも違う気がしていた。
「……一つ、条件がある」
「聞かせてください」
「人型でいる間、お前が隣にいること。離れるな」
「……わかりました」
「それと」
「はい」
「帰ったらすぐ、毛並みを梳け」
私は思わず、小さく笑った。
「約束します」
フェンが鼻息をついた。不満そうなのか、安心したのか、それとも別の何かなのか、判断がつかなかった。でも、返事をしてくれた。それで十分だった。
◆
七日後の朝。
私は初めて、フェンの人型を見た。
フェンが変身するとき、白銀の光が一瞬あたりを包んだ。目を細めて、光が収まるのを待つ。
そこに、見知らぬ男性が立っていた。
背が高かった。父よりも、カイル殿下よりも、はっきりと高い。白銀の髪が肩まで流れて、光の加減で少し金色に透けていた。琥珀色の瞳が私を見下ろしている。端整な顔立ちだったが、眉間にはっきりと不機嫌な皺が寄っている。
服は、白と銀の配色の簡素な騎士服のようなものを纏っていた。どことなく聖獣らしい色合いだった。
「……フェン?」
「俺だ」
声は同じだった。低くて、ぶっきらぼうで、確かにフェンだった。
「……背が高いですね」
「文句あるか」
「ありません。ただ、驚きました」
フェンが私を見て、短く息をついた。
「……そんなに見るな」
「すみません。でも——」
私は少しだけ、その顔を見上げた。
「同じですね」
「何がだ」
「目が。フェンの目と、同じ色です」
フェンがそっぽを向いた。白銀の髪が、さらりと揺れた。
耳がないと少し寂しいな、と思ったが、それは黙っておいた。
(第13話へ続く)




