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第12話「人型の男」

「人型……?」


 私が聞き返すと、殿下がうなずいた。


「聖獣が王城に入る場合、動物の姿では……その、いくつか不都合がありまして」


「フェンが狼の姿では入れない建物があるということですか」


「廊下の幅は問題ありませんが、謁見の間が……」


 殿下が少し言葉を選んだ。


「陛下の前に巨大な白銀の狼が座るのは、警護の者がかなり緊張するのです」


 それはそうだろうと思った。


 フェンが大仰にため息をついた。


「……俺は害を加えるつもりはない」


「わかっています。ただ、形式として」


「形式のために変身しろということか」


「お願いできますか」


 フェンが私を見た。


「エリーゼ、お前はどう思う」


「……私に聞くのですか」


「お前が行くのだから、お前が決めろ」


 私は少し考えた。


 フェンが人型を取れること自体、今日初めて聞いた話だった。聖獣が人の姿になる——どこかのおとぎ話の中にある設定だと思っていた。現実に目の前にいるフェンがそれをできるとは、考えたこともなかった。


「フェンは、人型が嫌いなのですか」


「嫌いだ」


 即答だった。


「どうしてですか」


「……うるさい」


「聞いてもいいですか」


「……今はいい」


 フェンが横を向いた。大きな体がそっぽを向くと、それだけで空気が変わった。



 結局、その場では結論が出なかった。


 殿下が帰り際に「召喚状が届くまでに、ご検討ください」と言い残して去った。


 私はフェンの隣に座って、しばらく黙っていた。夕暮れが縁側に差し込んで、白銀の毛並みを橙色に染めていた。


「……人型になったことは、あるのですか」


「ある」


「どんな姿ですか」


 フェンが横を向いた。


「見てからわかるだろう」


「ということは、なってくれるのですか」


「……言ってない」


「でも今、見てからわかるだろうとおっしゃいました」


「……揚げ足を取るな」


 フェンが私を見た。琥珀色の瞳が、いつもより少しだけ不機嫌そうだった。


「俺は、今の姿の方が好きだ。お前も今の俺の方が好きだろう」


「……どうしてそう思うのですか」


「毎日毛並みを梳いているだろう」


 それは確かにそうだった。今日も夕方に梳いたばかりだった。


「人型になると、毛並みを梳けませんね」


「そうだろう」


「……それは残念です」


 フェンが少しだけ、耳を伏せた。それ以上何も言わなかった。


 私も何も言わずに、白銀の毛並みに指をそっと当てた。さらさらと滑らかな感触が、いつも通りだった。



 召喚状は、三日後に届いた。


 王家の紋章が入った重厚な封筒を、父が緊張した顔で持ってきた。


「エリーゼ。王城から来た」


「はい」


「……本当に、謁見するのか」


「フェンの伴侶ですから」


 父がため息をついた。もうこういうことに慣れてきたのか、以前より早く諦めた。母が「素敵ね」と後ろで目を輝かせているのが聞こえた。


 私は手紙を開いた。丁寧な文面で、七日後の午前中に王城へ来るようにとあった。カイル殿下からと思われる追記があり、「フェンリルのことはご相談の通り、よろしくお願いします」と書かれていた。小さく「無理を言って申し訳ありません」とも。


「……フェン」


 縁側で伏せていたフェンが耳を動かした。


「来てください」


 フェンが緩慢な動きで立ち上がって、私の隣に来た。手紙を見せると、しばらく黙って読んでいた。


「……七日後か」


「はい」


「エリーゼは行くのか」


「行きます。フェンはどうしますか」


 フェンがまた黙った。長い沈黙だった。私は急かさなかった。急かしてもフェンは動かないし、フェンが答えを出す前に私が言葉を挟むのは、どうも違う気がしていた。


「……一つ、条件がある」


「聞かせてください」


「人型でいる間、お前が隣にいること。離れるな」


「……わかりました」


「それと」


「はい」


「帰ったらすぐ、毛並みを梳け」


 私は思わず、小さく笑った。


「約束します」


 フェンが鼻息をついた。不満そうなのか、安心したのか、それとも別の何かなのか、判断がつかなかった。でも、返事をしてくれた。それで十分だった。



 七日後の朝。


 私は初めて、フェンの人型を見た。


 フェンが変身するとき、白銀の光が一瞬あたりを包んだ。目を細めて、光が収まるのを待つ。


 そこに、見知らぬ男性が立っていた。


 背が高かった。父よりも、カイル殿下よりも、はっきりと高い。白銀の髪が肩まで流れて、光の加減で少し金色に透けていた。琥珀色の瞳が私を見下ろしている。端整な顔立ちだったが、眉間にはっきりと不機嫌な皺が寄っている。


 服は、白と銀の配色の簡素な騎士服のようなものを纏っていた。どことなく聖獣らしい色合いだった。


「……フェン?」


「俺だ」


 声は同じだった。低くて、ぶっきらぼうで、確かにフェンだった。


「……背が高いですね」


「文句あるか」


「ありません。ただ、驚きました」


 フェンが私を見て、短く息をついた。


「……そんなに見るな」


「すみません。でも——」


 私は少しだけ、その顔を見上げた。


「同じですね」


「何がだ」


「目が。フェンの目と、同じ色です」


 フェンがそっぽを向いた。白銀の髪が、さらりと揺れた。


 耳がないと少し寂しいな、と思ったが、それは黙っておいた。


(第13話へ続く)

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