また会う日まで
ルカがすっかり元気になって。
そして——別れの日が来た。
ミラとルカが村へ帰る日。
空は晴れていた。旅立ちにはいい天気だった。でも、私の胸は少しだけ曇っていた。
◆
私は旅の支度を手伝った。
道中で使える熱冷ましの薬。傷薬。それに、保存の利く食料をいくつか。
「こんなにいただいて……」とミラが恐縮した。
「遠慮しないでください」と私は言った。「また何かあっても、すぐには来られないでしょう。——備えは大切です」
◆
ナーシャが布包みをルカに手渡した。
「これ、道中のおやつ」とナーシャが言った。「おばあちゃんたちが作ってくれたの」
「ありがとう、ナーシャせんせい!」とルカがにっこり笑った。
「せんせいじゃ、ないってば」とナーシャが照れて笑った。
◆
支度が整った。
でも——ルカは、なかなか動こうとしなかった。
縁側のフェンのそばを離れない。
もふもふの白い毛にぎゅっとしがみついていた。
◆
「ルカ、そろそろ……」とミラが言った。
「……やだ」と、ルカが小さく言った。「フェンと、おわかれ、やだ」
その目に、みるみる涙が溜まっていく。
ルカはフェンの首に顔を埋めた。
◆
「……おい」とフェンが困ったように言った。「泣くな、ガキ」
「だって……だって、もう、もふもふ、できなくなる……」
「……」
フェンは、しばらく黙っていた。
そして——ルカの頭を、そっと自分の鼻先でつついた。
◆
「いいか、ルカ」とフェンは静かに言った。「お別れは永遠じゃない」
「えいえん?」
「ずっと、じゃないってことだ」とフェンは言った。「また会える。——お前が元気でいれば、いつでも会いに来られる」
◆
「ほんと?」とルカが顔を上げた。
「ああ」とフェンは言った。「だから——達者で暮らせ。飯をよく食って。よく寝て。風邪を引くな」
「うん!」とルカが涙を拭った。「フェンも、げんき、でいてね!」
◆
その言葉に——フェンが一瞬、言葉を詰まらせた。
「フェンも、ずっと、ずっと、げんきで。また、もふもふ、させてね!」
「……ああ」とフェンは、ゆっくりと言った。「約束する」
その約束がフェンに、どれほど重いものか。ルカは知らない。
◆
ルカは最後に、何かを思い出したように駆け出した。
そして——薬草園から小さな花を摘んで戻ってきた。
白い小さな花を、たどたどしく編んで作った輪っか。
「フェンに、あげる!」
◆
ルカは、そのいびつな花の冠を、フェンの頭にそっと乗せた。
「フェンの、おうかん! せいじゅうさまの、おうかん!」
フェンは、頭に花の冠を乗せたまま、じっとしていた。
その姿は——少しおかしくて。でも、なぜか胸が熱くなった。
◆
「……似合わん」とフェンはぼそりと言った。
「にあう! すっごく、にあう!」とルカが笑った。
「そうか」とフェンは言った。「——なら、もらっておく」
その声はぶっきらぼうで。でも、嬉しさを隠しきれていなかった。
◆
いよいよ出発の時。
ミラが深く頭を下げた。
「本当にありがとうございました」とミラは言った。「この、ご恩は一生忘れません」
「お元気で」と私は言った。「ルカくんと笑って暮らしてくださいね」
◆
「あの」とミラがためらいがちに言った。「村に帰ったら……あなたのことをみんなに話します。困っている人がいたら、ここを頼るように、と」
「ええ」と私は微笑んだ。「そうしてください。——困っている人は、いつでも歓迎します」
◆
ミラがルカの手を引きながら、ふと言った。
「私……ずっと思っていたんです」と、彼女は言った。「夫を亡くして。女手一つで、この子を。——もう、だめかもしれない、と」
「……」
「でも」とミラはルカを見て言った。「この子が生きて笑ってくれる。それだけで——私はまだ頑張れる。そう思えました」
◆
その言葉に、私は深く頷いた。
「その気持ちがある限り」と私は言った。「あなたは大丈夫です」
「……はい」
「辛い時は」と私は言った。「無理に強がらなくていいんです。誰かを頼ってもいい。——あなたがルカくんを守ったように。今度は誰かが、あなたを支えてくれます」
◆
ミラの目に、また涙が滲んだ。
「あなたに出会えて……本当によかった」とミラは言った。
「私も、です」と私は言った。「あなたとルカくんに会えて。——私の薬が、誰かの笑顔になれること。それが私の何よりの喜びです」
◆
母子は歩き出した。
何度も何度も振り返りながら。
「フェーン! また、くるねー!」とルカが大きく手を振った。
フェンは花の冠を乗せたまま、その背中を見送っていた。
◆
やがて、二人の姿は道の向こうに消えていった。
研究所に、いつもの静けさが戻ってくる。
でも、その静けさは——少し寂しかった。
「……行っちゃいましたね」とナーシャがぽつりと言った。
その目が少し潤んでいた。ナーシャも、すっかりルカに情が移っていたのだ。
◆
「ナーシャ」と私は言った。「寂しいですか」
「……ちょっとだけ」とナーシャは鼻をすすった。「でも、私、嬉しいんです。あの子が元気になって帰れたこと」
「そうですね」と私は、ナーシャの頭を撫でた。「あなたも、よく頑張りました」
◆
「ええ」と私は言った。「でも、きっとまた会えます」
その夜。
フェンは、ルカがくれた花の冠を、窓辺の貝殻の隣に、そっと置いた。
海の貝殻と。子供の花の冠。
二つの小さな宝物が、月の光に照らされていた。
◆
「フェン」と私は言った。「いい宝物が増えましたね」
「ああ」とフェンは静かに言った。「——生きていると、こういうものが増えていく。困ったものだ」
「困った?」
「ああ」とフェンはふっと笑った。「未練が増える。——もっと長く生きたくなる」
◆
その言葉に、私は胸が締めつけられた。
でも、それは——きっと悪いことではない。
生きたいと思えること。未練が増えること。
それは、フェンがこの世界を、私たちを愛している、何よりの証なのだから。
窓辺の二つの宝物が、静かに輝いていた。
(第128話へ続く)




