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ラベンダーの咲く頃

 春が深まった。


 研究所の薬草園で、ラベンダーが咲き始めた。


 紫の小さな花が風に揺れて、甘い香りを漂わせていた。


 ナーシャがそれを摘みながら、嬉しそうに言った。


「先生! ラベンダー、今年はよく咲きましたね!」


「ええ。——いい年になりそうです」



 約束を思い出した。


 ラベンダーが咲いたらお持ちください、とアルヴィン殿下にお願いしていた。アンナさんに供えるためだった。


 私はアルヴィン殿下に手紙を書いた。


 ——ラベンダーが咲きました。


 それだけの短い手紙だった。



 数日後、アルヴィン殿下とカイルが揃って研究所に来た。


 兄弟が並んで門をくぐる。


 その光景を見て、私は胸が温かくなった。


 少し前まで、考えられなかった光景だった。



「ラベンダーをいただきに来ました」とアルヴィン殿下が言った。


 その隣で、カイルが少し照れたように立っていた。


「兄上と一緒に」とカイルが言った。「アンナの墓に行こうと思っています。——二人で」


 私は頷いた。


「では、たくさんお持ちください」



 ナーシャと一緒に、ラベンダーを束ねた。


 紫の花束がいくつもできた。


 アルヴィン殿下がその一つを手に取って、香りを嗅いだ。


「……アンナの香りだ」と彼は小さく言った。「アンナはいつも、この香りがしていた」



「ラベンダーには」と私は言った。「心を落ち着かせる効能があります。きっとアンナさんもそれを知っていて、そばに置いていたのでしょうね」


「そうかもしれません」とアルヴィン殿下は言った。「アンナは——いつもわたしの心を落ち着かせてくれた。ラベンダーのように」



 カイルが兄の隣で、ラベンダーを見ていた。


「……俺も覚えています」とカイルがぽつりと言った。「アンナのラベンダーの香り。——兄上に抱っこされているとき、いつもこの香りがしていました」


 アルヴィン殿下が弟を見た。


「お前を抱っこしたことがあったか」


「ありますよ」とカイルは言った。「忘れたんですか。——よく泣いている俺を抱っこして、あやしてくれた」



「……すまない。覚えていない」とアルヴィン殿下が言った。


「いいんです」とカイルは笑った。「俺が覚えていますから。——一つずつ思い出していけば、いいんです」


 兄弟が顔を見合わせて笑った。


 その笑顔が、よく似ていた。



 二人がラベンダーの花束を持って、墓地へ向かおうとした。


 その時、カイルが振り返った。


「エリーゼ。——あなたも来ませんか。アンナの墓に」


「私も、ですか」


「ええ」とカイルは言った。「あなたがいなければ、この日は来なかった。——アンナにも紹介したいのです。兄を救ってくれた人だと」



 私は少し迷った。


 これは兄弟の時間だ。私が入っていいものか。


 でも——アルヴィン殿下も頷いた。


「ぜひ」と彼は言った。「アンナに、あなたを会わせたい」



 私はフェンを見た。


 フェンがゆっくりと立ち上がった。


「……俺も行く」とフェンは言った。「ラベンダーの咲くいい日だ。墓参りにはちょうどいい」


「フェン。無理は——」


「無理ではない」とフェンは言った。「今日は調子がいい。——それに、こういう日は外に出たくなる」



 四人で(フェンを入れて四人で)、墓地へ向かった。


 春の丘は花でいっぱいだった。


 アンナさんの墓に着くと、アルヴィン殿下がラベンダーの花束を供えた。


 そして、墓石に語りかけた。



「……アンナ。連れてきたよ。カイルと——それから、エリーゼ妃を」


 アルヴィン殿下の声は穏やかだった。


「カイルとは仲直りした。少しずつだけど。——あなたがいつも言っていたね。『兄弟は仲良く』って。ようやくその言葉を守れそうだよ」



 カイルも墓石の前に膝をついた。


「アンナ。久しぶり。——兄上が戻ってきました。あなたが知っている、優しい兄上が」


 二人の兄弟が並んで、墓石に手を合わせた。


 その光景を、私は少し離れて見ていた。



 フェンが隣で、ぽつりと言った。


「……いい光景だ」


「ええ」


「お前が作った光景だ」とフェンは言った。


「私ではありません」と私は言った。「アンナさんが繋いだのです。——ラベンダーの香りが、二人の記憶を呼び覚ました」



 フェンが墓石を見た。


「……アンナという女は」とフェンは言った。「いい女だったのだろうな。死してなお、こうして人を繋ぐ」


「ええ」と私は言った。「きっと、素敵な人だったのでしょう」


 風が、ラベンダーの香りを運んできた。


 その香りは——どこか優しく、温かかった。



 墓参りを終えて、二人の兄弟が立ち上がった。


 アルヴィン殿下が私の前に来た。


「エリーゼ妃」と彼は言った。「あなたに改めて、お礼を言わせてください」


「いえ、私は——」


「あなたは」とアルヴィン殿下は遮って言った。「わたしに、二つのものを取り戻してくれた。——弟と、自分自身を」



「これからは」と彼は続けた。「あなたを義妹として、大切にします。そして——あなたの研究所も守ります。王立になどしません。あなたが自由に続けられるように」


「……ありがとうございます」と私は言った。


「いえ。——感謝するのは、わたしの方です」



 春の丘に、四人(と一頭)が立っていた。


 ラベンダーの香りに、包まれて。


 兄弟が和解し、敵だった人が家族になった。


 誰も傷つけずに——みんなが幸せになる道を歩いていた。


 それは、私がずっと信じてきた道だった。


 ざまぁでも、復讐でもなく。——救いの道。


 春の風が、紫の花を優しく揺らしていた。


(第118話へ続く)

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