兄、研究所へ
ある日、アルヴィン殿下から思いがけない申し出があった。
——あなたの研究所を見てみたい。
あれだけ「町の小さな診療所」と呼んでいた人が。自分から見たいと言ってきた。
私は少し驚いた。でも——嬉しかった。
「もちろんです」と、私は返事を書いた。「いつでもお越しください」
◆
数日後、アルヴィン殿下が研究所にやって来た。
お忍びの簡素な身なりだった。供も最小限。王太子の威厳はどこにもなかった。
ただ一人の訪問者として、彼は門をくぐった。
「……これが、あなたの研究所ですか」
「はい。小さいですが」と私は言った。
◆
「小さくはありません」と、アルヴィン殿下は言った。
以前と同じ言葉。でも——意味はまったく逆だった。
以前は「もったいない」という見下しの言葉。
今は——本物の敬意の言葉だった。
◆
ちょうどナーシャが患者を診ているところだった。
子供の切り傷の手当て。手際よく消毒して、薬を塗って、包帯を巻いていく。
アルヴィン殿下は、その様子を静かに見ていた。
「あの子は」と、彼は聞いた。「あなたの弟子ですか」
「はい。ナーシャ、と言います」
◆
手当てが終わると、ナーシャがこちらに気づいた。
「先生! いらっしゃ——」
そして、アルヴィン殿下を見て固まった。
「……え。あの。もしかして」
「第一王子の、アルヴィン殿下です」と私は言った。
ナーシャの顔がみるみる青ざめた。
◆
「お、王太子殿下!? ど、どうしよう、私、こんな格好で——」
ナーシャが慌てて髪を整えようとした。
でも、アルヴィン殿下は穏やかに笑った。
「そのままで結構です」と、彼は言った。「今のあなたの手当て——見事でした」
「え……」
◆
「迷いのない手つきだった。子供を怖がらせないように声をかけながら。——いい薬師になる」
ナーシャがぽかんと口を開けた。
それから真っ赤になって頭を下げた。
「あ、ありがとうございます……!」
◆
アルヴィン殿下が研究所の中をゆっくりと見て回った。
薬棚。薬草園。患者の記録。
一つ一つを丁寧に見ていった。その目には——もう値踏みの色はなかった。ただ純粋な興味と感心があった。
◆
「……すごいですね」と、彼はぽつりと言った。
「何がですか」
「ここには命がある」とアルヴィン殿下は言った。「王城にはないものだ。王城には権力と駆け引きと仮面しかない。——でも、ここには生きた命がある」
◆
彼が薬草園のラベンダーの芽を見た。
「これは?」
「ラベンダーです。もう少しすると花が咲きます」
「花の名前を……」と、アルヴィン殿下がつぶやいた。
その目が遠くを見た。
「昔、わたしもカイルに、花の名前を教えていました」
◆
「庭師の方から聞きました」と私は言った。
「ええ。——もう、ずいぶん忘れてしまいましたが」と彼は言った。「この、ラベンダーだけは覚えています。アンナが好きだった花なので」
「アンナさんが」
「ええ。——アンナの墓に、いつもラベンダーを供えていました」
◆
私ははっとした。
そういえば——アンナさんの墓に最初に供えられていた花。あれはラベンダーだった。
「では、今度」と私は言った。「ここのラベンダーが咲いたら、お持ちください。アンナさんに」
アルヴィン殿下が私を見た。
その目が潤んだ。
◆
「……いいのですか」
「もちろんです」と私は言った。「ここの薬草は、誰かのためにあります。アンナさんのためなら、喜んで」
「……ありがとう」と、アルヴィン殿下は小さく言った。
◆
その時、縁側で寝ていたフェンがゆっくりと目を開けた。
アルヴィン殿下がフェンに気づいた。
「……聖獣殿。先日は失礼を」
フェンがしばらく、アルヴィン殿下を見ていた。
それから、ふん、と鼻を鳴らした。
◆
「……顔が変わったな」とフェンは言った。
「顔が?」
「前に会ったときは、空っぽの目をしていた」とフェンは言った。「だが、今は——人の目をしている。中身が戻ったようだ」
アルヴィン殿下がフェンの前に片膝をついた。
◆
「聖獣殿」と、彼は言った。「あなたの言葉を覚えています。『甘い果実には種がある。お前の種は何だ』と」
「覚えていたか」
「ええ。——あの時は答えられませんでした。でも、今ならわかります」
アルヴィン殿下が静かに言った。
「わたしの種は——失う怖さ、でした。もう誰も失いたくなくて。だから誰も愛さないようにしていた。——それが、わたしの種でした」
◆
フェンが目を細めた。
「……よく気づいた」
「エリーゼ妃のおかげです」
「いや」とフェンは言った。「気づいたのは、お前自身だ。エリーゼは、ただ鏡を差し出しただけ。——映ったものを見たのは、お前だ」
◆
春の日差しが研究所の庭を照らしていた。
アルヴィン殿下が立ち上がって、庭を見渡した。
その顔は——穏やかだった。作り物ではない、本物の穏やかさ。
「……いい場所ですね」と、彼は言った。「また来てもいいですか」
「いつでも」と私は言った。「ここは誰にでも開かれています」
◆
アルヴィン殿下が頷いた。
そして帰り際、ナーシャに、もう一度声をかけた。
「ナーシャさん。——いい薬師になってください。この国には、あなたのような人が必要です」
「は、はい! 頑張ります!」
◆
アルヴィン殿下が帰っていった。
その背中は——以前の完璧で空っぽな王太子の背中とは違っていた。
少し軽くなった、人間の背中だった。
ナーシャがぽつりと言った。
「……あの方、優しい人ですね」
「ええ」と私は言った。「最近、優しさを思い出したのです」
春の風がラベンダーの芽を揺らしていた。
(第117話へ続く)




