表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
107/182

宴の後で

 宴から研究所に帰った。


 まだ日のあるうちに、と急いで馬車を走らせた。フェンとの約束があったから。


 玄関を開けると、フェンが縁側で待っていた。


 ちゃんと起きていた。


「……帰ったか」


「ただいま、フェン」


「無事のようだな」


「無事です。約束通り、帰ってきました」



 私はフェンの隣に座って、宴のことを話した。


 アルヴィン殿下の巧妙な紹介の仕方。「町の薬師」という言葉を繰り返し刷り込んでいったこと。そして——それを自分の誇りとして掲げ返したこと。


 フェンは黙って聞いていた。


 最後まで聞いてから、ふっと息を吐いた。



「……よく、やった」


「フェンの言葉のおかげです」


「俺の?」


「一人で抱え込む癖がある。あの言葉を思い出しました。だから——カイルを見ました。一人で立ち向かおうとせずに」


 フェンが目を細めた。


「……成長したな、お前は」



「フェン」と私は言った。「アルヴィン殿下のこと、どう思いますか」


 フェンはしばらく考えていた。


「……あの男は、空っぽだ」


「空っぽ?」


「人を駒として見る。だが——駒として見ているうちは、自分も駒でしかない」とフェンは言った。「あの男は、たぶん自分の心をどこかに置き忘れている。だから、空っぽだ」



「置き忘れた心」


「どこかにあるはずだ」とフェンは言った。「子供の頃、カイルの面倒を見ていた、あの優しさ。それは消えたのではなく——どこかにしまい込んだだけ、かもしれん」


 私はカイルの言葉を思い出した。


 今でも、あの頃の兄が戻ってこないかと思っています。



「フェン。私は——アルヴィン殿下のしまい込んだ心を、見つけられるでしょうか」


「さあな」とフェンは言った。「だが、お前ならやるだろう。お前は、そういう女だ」


「買いかぶりです」


「買いかぶりではない」とフェンは言った。「お前は、凍った自分の心すら溶かした女だ。他人の心なら——もっと容易かろう」



 その夜、カイルが研究所に来た。


 宴が終わってから、わざわざ馬を飛ばして来たらしかった。


「……エリーゼ。無事に、帰れましたか」


「帰れました。フェンと約束していたので」


 カイルがフェンを見て、頭を下げた。


「フェンリル。——留守を、ありがとうございました」


「礼には及ばん」とフェンは言った。「だが、王子。一つ、聞きたい」



「なんでしょう」


「お前は、兄をどうしたい」とフェンは言った。「警戒しているのは、わかる。だが——本当は、どうしたいのだ」


 カイルはしばらく黙った。


 縁側に座って、夜の庭を見ていた。



「……取り戻したいです」と、カイルはぽつりと言った。


「取り戻す?」


「昔の兄を。優しかった、あの頃の兄を」とカイルは言った。「でも——もう無理かもしれないと、ずっと諦めていました。あの人は変わってしまった、と」


 その声には、長い間抱えてきた諦めの色があった。



「カイル」と私は言った。


「はい」


「諦めるのは、まだ早いです」


 カイルが私を見た。


「フェンが言いました。アルヴィン殿下は、心をどこかにしまい込んだだけかもしれない。消えたのではなく、しまい込んだだけなら、見つけられるかもしれません」



「……見つける?」


「ええ」と私は言った。「私たちで見つけましょう。アルヴィン殿下が、しまい込んだ本当の心を」


 カイルはしばらく私を見ていた。


 それから、ふっと表情を緩めた。


「……あなたは、本当に諦めない人ですね」


「諦め方を忘れたのかもしれません」と私は言った。「七年間、諦めてばかりだったので。——もう、諦めるのはこりごりです」



 フェンが、縁側で小さく笑った。


「いい夫婦だ」


「フェン」


「敵を、二人がかりで救おうとしている。——こんな夫婦は、見たことがない」


 カイルが、少し照れたように笑った。


 私も笑った。



 春の夜風が、庭のラベンダーの芽を揺らしていた。


 まだ小さな芽が、月の光の中で静かに立っていた。


 アルヴィン殿下との戦いは、これからだ。


 でも——私たちが目指すのは、勝つことではない。


 救うことだった。


 それは、きっと簡単な道ではない。


 でも——歩む価値のある道だった。


 私はカイルの隣で、フェンの温もりを感じながら、その道の最初の一歩を心に刻んだ。


(第108話へ続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ