宴の後で
宴から研究所に帰った。
まだ日のあるうちに、と急いで馬車を走らせた。フェンとの約束があったから。
玄関を開けると、フェンが縁側で待っていた。
ちゃんと起きていた。
「……帰ったか」
「ただいま、フェン」
「無事のようだな」
「無事です。約束通り、帰ってきました」
◆
私はフェンの隣に座って、宴のことを話した。
アルヴィン殿下の巧妙な紹介の仕方。「町の薬師」という言葉を繰り返し刷り込んでいったこと。そして——それを自分の誇りとして掲げ返したこと。
フェンは黙って聞いていた。
最後まで聞いてから、ふっと息を吐いた。
◆
「……よく、やった」
「フェンの言葉のおかげです」
「俺の?」
「一人で抱え込む癖がある。あの言葉を思い出しました。だから——カイルを見ました。一人で立ち向かおうとせずに」
フェンが目を細めた。
「……成長したな、お前は」
◆
「フェン」と私は言った。「アルヴィン殿下のこと、どう思いますか」
フェンはしばらく考えていた。
「……あの男は、空っぽだ」
「空っぽ?」
「人を駒として見る。だが——駒として見ているうちは、自分も駒でしかない」とフェンは言った。「あの男は、たぶん自分の心をどこかに置き忘れている。だから、空っぽだ」
◆
「置き忘れた心」
「どこかにあるはずだ」とフェンは言った。「子供の頃、カイルの面倒を見ていた、あの優しさ。それは消えたのではなく——どこかにしまい込んだだけ、かもしれん」
私はカイルの言葉を思い出した。
今でも、あの頃の兄が戻ってこないかと思っています。
◆
「フェン。私は——アルヴィン殿下のしまい込んだ心を、見つけられるでしょうか」
「さあな」とフェンは言った。「だが、お前ならやるだろう。お前は、そういう女だ」
「買いかぶりです」
「買いかぶりではない」とフェンは言った。「お前は、凍った自分の心すら溶かした女だ。他人の心なら——もっと容易かろう」
◆
その夜、カイルが研究所に来た。
宴が終わってから、わざわざ馬を飛ばして来たらしかった。
「……エリーゼ。無事に、帰れましたか」
「帰れました。フェンと約束していたので」
カイルがフェンを見て、頭を下げた。
「フェンリル。——留守を、ありがとうございました」
「礼には及ばん」とフェンは言った。「だが、王子。一つ、聞きたい」
◆
「なんでしょう」
「お前は、兄をどうしたい」とフェンは言った。「警戒しているのは、わかる。だが——本当は、どうしたいのだ」
カイルはしばらく黙った。
縁側に座って、夜の庭を見ていた。
◆
「……取り戻したいです」と、カイルはぽつりと言った。
「取り戻す?」
「昔の兄を。優しかった、あの頃の兄を」とカイルは言った。「でも——もう無理かもしれないと、ずっと諦めていました。あの人は変わってしまった、と」
その声には、長い間抱えてきた諦めの色があった。
◆
「カイル」と私は言った。
「はい」
「諦めるのは、まだ早いです」
カイルが私を見た。
「フェンが言いました。アルヴィン殿下は、心をどこかにしまい込んだだけかもしれない。消えたのではなく、しまい込んだだけなら、見つけられるかもしれません」
◆
「……見つける?」
「ええ」と私は言った。「私たちで見つけましょう。アルヴィン殿下が、しまい込んだ本当の心を」
カイルはしばらく私を見ていた。
それから、ふっと表情を緩めた。
「……あなたは、本当に諦めない人ですね」
「諦め方を忘れたのかもしれません」と私は言った。「七年間、諦めてばかりだったので。——もう、諦めるのはこりごりです」
◆
フェンが、縁側で小さく笑った。
「いい夫婦だ」
「フェン」
「敵を、二人がかりで救おうとしている。——こんな夫婦は、見たことがない」
カイルが、少し照れたように笑った。
私も笑った。
◆
春の夜風が、庭のラベンダーの芽を揺らしていた。
まだ小さな芽が、月の光の中で静かに立っていた。
アルヴィン殿下との戦いは、これからだ。
でも——私たちが目指すのは、勝つことではない。
救うことだった。
それは、きっと簡単な道ではない。
でも——歩む価値のある道だった。
私はカイルの隣で、フェンの温もりを感じながら、その道の最初の一歩を心に刻んだ。
(第108話へ続く)




