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春の宴

 春の宴の日が来た。


 王城の庭は、見事だった。


 咲き始めた花々。整えられた芝生。楽団の、柔らかな調べ。着飾った貴族たちが、あちこちで談笑していた。


 私は、薄い若草色のドレスを着て、カイルの隣を歩いた。


 たくさんの視線が、私たちに注がれた。



 第二王子と、その妃。


 離縁を経て、薬師となり、第二王子に見初められた女。


 好奇の目も、品定めの目もあった。でも、私はもう、その視線に慣れていた。背筋を伸ばして、歩いた。


 カイルが、隣で小さく言った。


「……大丈夫ですか」


「大丈夫です」



 庭の中央で、アルヴィン殿下が私たちを迎えた。


「ようこそ、エリーゼ妃。カイル」


 相変わらずの、穏やかな微笑み。


「お招きいただき、ありがとうございます」と私は礼をした。


「楽しんでいってください。——今日は、あなたに紹介したい人が、たくさんいるのです」



 その言葉の通り、アルヴィン殿下は次々と、私を貴族たちに紹介した。


 有力な家門の当主。隣国の使者。財を成した商人。


 みな、私ににこやかに接した。


 でも——その紹介の仕方に、私は少しずつ、違和感を覚え始めた。



「こちらが、エリーゼ妃。——町で診療所を営んでおられた、薬師の方です」


 アルヴィン殿下は、必ずそう紹介した。


 薬師。診療所。


 間違いではない。でも、その言葉を繰り返し強調することで——何かが刷り込まれていく気がした。


 第二王子の妃は、もとは町の薬師。平民に近い出自の者。



 ある貴族の夫人が、扇の奥で囁いた。


「まあ、薬師の方が、王家に……珍しいこと」


 悪意のある声ではなかった。


 でも、その「珍しいこと」の中に、わずかな見下しがあった。


 アルヴィン殿下は、それを聞こえないふりをして、微笑んでいた。



 私は気づいた。


 アルヴィン殿下は——私を貶めようとしているのではない。


 もっと、巧妙だった。


 ただ、「薬師」「町の」という言葉を、繰り返し紹介する。それだけで、貴族たちの中に、「あの妃は、自分たちとは違う」という意識を、静かに植え付けていく。


 悪口は、一つも言わずに。



 カイルも、それに気づいていた。


 彼の横顔が、わずかに硬くなっていた。


「……兄上」と、カイルが低い声で言った。「エリーゼは、薬師であると同時に、私の妻です。その紹介を、お忘れなく」


「おや、これは失礼」とアルヴィン殿下は、にこやかに言った。「もちろん、わかっているとも。——ただ、彼女の経歴は、とても興味深いのでね。皆も、知りたいだろうと思って」



 言い返しようのない、答えだった。


 悪意を突きつけられたわけではない。むしろ、「興味深い」と褒められている。


 でも——その褒め言葉が、私を「見世物」にしていた。


 珍しい、町の薬師。王家に嫁いだ、変わり種。



 私は、しばらく考えた。


 ここで、感情的になってはいけない。それこそ、相手の思う壺だ。「やはり、平民は礼儀を知らない」と言われるだけ。


 では、どうするか。


 ——フェンの言葉を思い出した。


 お前は、一人で抱え込む癖がある。



 私は、隣のカイルを見た。


 そして、小さく頷いた。


 それから、私は口を開いた。


「アルヴィン殿下」


「はい、エリーゼ妃」


「私のことを、興味深いと言ってくださって、ありがとうございます」


 私は、まっすぐに彼を見て、続けた。



「確かに、私は町の薬師でした。何もないところから診療所を築き、患者を診てきました」


 周りの貴族たちが、私に注目した。


「それは、隠すことでも、恥じることでもありません。むしろ——私の、誇りです」


 私は、声を張りすぎず、でも、はっきりと言った。



「この国には、薬を必要としている人が、大勢います。貴族も平民も、関係なく。——私は、その人たちを診てきました。これからも、診ます」


 庭が静かになった。


「もし、私の経歴が興味深いとおっしゃるなら。どうぞ皆様も、一度、町の診療所を訪ねてみてください。そこには、身分に関係なく、命と向き合う現場があります」



 誰も、何も言わなかった。


 私は、見下されることを恥じなかった。


 むしろ、見下される「薬師」という肩書きを、正面から誇りとして掲げてみせた。


 アルヴィン殿下の、刷り込みの戦略は——その瞬間、空回りした。


 貶めようとした「薬師」を、私自身が堂々と誇ったから。



 アルヴィン殿下が、しばらく私を見ていた。


 その微笑みは、変わらなかった。


 でも、その目の奥で——何かが、また静かに動いた。


「……お見事」と、彼は小さく言った。


 私にだけ、聞こえる声で。


「あなたは、本当に、面白い」



 宴が進んでいった。


 あの後、貴族たちの、私を見る目が、少し変わった気がした。


 好奇でも、見下しでもなく——一目置くような、目に。


 カイルが、隣でぽつりと言った。


「……あなたは、本当に、強い」


「強くはありません」と私は言った。「ただ、誇るべきものを誇っただけです」



 でも、私は感じていた。


 今日の宴は、ほんの始まりに過ぎない。


 アルヴィン殿下は、一度の失敗で引き下がる人ではない。


 次は、もっと巧妙な手で来るだろう。


 春の庭に、花びらが舞っていた。


 美しい庭の中で——静かな戦いが、始まっていた。


(第107話へ続く)

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