春の宴
春の宴の日が来た。
王城の庭は、見事だった。
咲き始めた花々。整えられた芝生。楽団の、柔らかな調べ。着飾った貴族たちが、あちこちで談笑していた。
私は、薄い若草色のドレスを着て、カイルの隣を歩いた。
たくさんの視線が、私たちに注がれた。
◆
第二王子と、その妃。
離縁を経て、薬師となり、第二王子に見初められた女。
好奇の目も、品定めの目もあった。でも、私はもう、その視線に慣れていた。背筋を伸ばして、歩いた。
カイルが、隣で小さく言った。
「……大丈夫ですか」
「大丈夫です」
◆
庭の中央で、アルヴィン殿下が私たちを迎えた。
「ようこそ、エリーゼ妃。カイル」
相変わらずの、穏やかな微笑み。
「お招きいただき、ありがとうございます」と私は礼をした。
「楽しんでいってください。——今日は、あなたに紹介したい人が、たくさんいるのです」
◆
その言葉の通り、アルヴィン殿下は次々と、私を貴族たちに紹介した。
有力な家門の当主。隣国の使者。財を成した商人。
みな、私ににこやかに接した。
でも——その紹介の仕方に、私は少しずつ、違和感を覚え始めた。
◆
「こちらが、エリーゼ妃。——町で診療所を営んでおられた、薬師の方です」
アルヴィン殿下は、必ずそう紹介した。
薬師。診療所。
間違いではない。でも、その言葉を繰り返し強調することで——何かが刷り込まれていく気がした。
第二王子の妃は、もとは町の薬師。平民に近い出自の者。
◆
ある貴族の夫人が、扇の奥で囁いた。
「まあ、薬師の方が、王家に……珍しいこと」
悪意のある声ではなかった。
でも、その「珍しいこと」の中に、わずかな見下しがあった。
アルヴィン殿下は、それを聞こえないふりをして、微笑んでいた。
◆
私は気づいた。
アルヴィン殿下は——私を貶めようとしているのではない。
もっと、巧妙だった。
ただ、「薬師」「町の」という言葉を、繰り返し紹介する。それだけで、貴族たちの中に、「あの妃は、自分たちとは違う」という意識を、静かに植え付けていく。
悪口は、一つも言わずに。
◆
カイルも、それに気づいていた。
彼の横顔が、わずかに硬くなっていた。
「……兄上」と、カイルが低い声で言った。「エリーゼは、薬師であると同時に、私の妻です。その紹介を、お忘れなく」
「おや、これは失礼」とアルヴィン殿下は、にこやかに言った。「もちろん、わかっているとも。——ただ、彼女の経歴は、とても興味深いのでね。皆も、知りたいだろうと思って」
◆
言い返しようのない、答えだった。
悪意を突きつけられたわけではない。むしろ、「興味深い」と褒められている。
でも——その褒め言葉が、私を「見世物」にしていた。
珍しい、町の薬師。王家に嫁いだ、変わり種。
◆
私は、しばらく考えた。
ここで、感情的になってはいけない。それこそ、相手の思う壺だ。「やはり、平民は礼儀を知らない」と言われるだけ。
では、どうするか。
——フェンの言葉を思い出した。
お前は、一人で抱え込む癖がある。
◆
私は、隣のカイルを見た。
そして、小さく頷いた。
それから、私は口を開いた。
「アルヴィン殿下」
「はい、エリーゼ妃」
「私のことを、興味深いと言ってくださって、ありがとうございます」
私は、まっすぐに彼を見て、続けた。
◆
「確かに、私は町の薬師でした。何もないところから診療所を築き、患者を診てきました」
周りの貴族たちが、私に注目した。
「それは、隠すことでも、恥じることでもありません。むしろ——私の、誇りです」
私は、声を張りすぎず、でも、はっきりと言った。
◆
「この国には、薬を必要としている人が、大勢います。貴族も平民も、関係なく。——私は、その人たちを診てきました。これからも、診ます」
庭が静かになった。
「もし、私の経歴が興味深いとおっしゃるなら。どうぞ皆様も、一度、町の診療所を訪ねてみてください。そこには、身分に関係なく、命と向き合う現場があります」
◆
誰も、何も言わなかった。
私は、見下されることを恥じなかった。
むしろ、見下される「薬師」という肩書きを、正面から誇りとして掲げてみせた。
アルヴィン殿下の、刷り込みの戦略は——その瞬間、空回りした。
貶めようとした「薬師」を、私自身が堂々と誇ったから。
◆
アルヴィン殿下が、しばらく私を見ていた。
その微笑みは、変わらなかった。
でも、その目の奥で——何かが、また静かに動いた。
「……お見事」と、彼は小さく言った。
私にだけ、聞こえる声で。
「あなたは、本当に、面白い」
◆
宴が進んでいった。
あの後、貴族たちの、私を見る目が、少し変わった気がした。
好奇でも、見下しでもなく——一目置くような、目に。
カイルが、隣でぽつりと言った。
「……あなたは、本当に、強い」
「強くはありません」と私は言った。「ただ、誇るべきものを誇っただけです」
◆
でも、私は感じていた。
今日の宴は、ほんの始まりに過ぎない。
アルヴィン殿下は、一度の失敗で引き下がる人ではない。
次は、もっと巧妙な手で来るだろう。
春の庭に、花びらが舞っていた。
美しい庭の中で——静かな戦いが、始まっていた。
(第107話へ続く)




