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招待状

 春が本格的に始まった頃。


 アルヴィン殿下から、動きがあった。


 一通の招待状だった。


 ——春の宴を、王城の庭で開きます。ぜひエリーゼ妃に、ご出席いただきたく。


 文面は丁寧で、優しかった。いつものアルヴィン殿下の言葉だった。



 カイルに見せると、彼はしばらく文面を見ていた。


「……春の宴」


「行くべきでしょうか」


「招待を断るのは、難しいです」とカイルは言った。「王太子の主催する宴を、第二王子の妃が欠席するのは——不自然です。兄も、それをわかって招いている」


「断れない、招待ですね」


「ええ。——兄らしい」



「ただ」とカイルは続けた。「俺も出席します。あなたを一人にはしません」


「ありがとうございます」


「それと——」とカイルは少し考えた。「フェンリルは、連れて行かない方がいいかもしれません」


 私は驚いた。


「どうして」



「宴の場には、大勢の貴族が集まります」とカイルは言った。「聖獣を連れていけば、注目を集めます。それに——長時間の外出は、今のフェンリルにはこたえる」


 その通りだった。


 フェンは最近、また少し疲れやすくなっていた。春の日に元気を見せても、長く動けばすぐに息が上がる。


「……フェンに相談します」と私は言った。



 その夜、フェンに宴のことを話した。


 フェンはしばらく黙って聞いていた。


「……宴か」


「はい。アルヴィン殿下の主催で」


「俺も行く」とフェンは即座に言った。


「フェン。でも——」


「お前を、あの男のいる場所に一人で行かせるわけにはいかん」



「カイルが、一緒です」


「カイルがいても、だ」とフェンは言った。「俺は、お前の相棒だ。お前が敵地に行くとき、隣にいないわけには——」


 そこで、フェンは言葉を止めた。


 立ち上がろうとして——よろけた。


 ほんの少しだけ。でも、確かに。



「……フェン」


「……問題ない」とフェンは言った。


 でも、その声はいつもより固かった。


 自分の身体が思うように動かないことを——フェン自身が、一番わかっているのだろう。


 私は、フェンの隣に座った。



「フェン。聞いてください」


「なんだ」


「あなたが、私を守りたいと思ってくれること。それが、どれだけ嬉しいか——言葉にできないくらいです」


「だったら」


「でも」と私は続けた。「今のあなたに無理をさせて、もしものことがあったら。私は、宴どころではなくなります」



 フェンが黙った。


「私を守るために、あなたが無理をして倒れたら。——それは、私を守ったことになりますか」


「……」


「ならない、と思います」と私は言った。「あなたが元気でいてくれること。それが、私にとって一番の守りなのです」



 フェンは長い間、黙っていた。


 冬を越えた、春の夜。窓の外で、虫が鳴き始めていた。


「……ずるいな、お前は」とフェンはぽつりと言った。


「ずるい?」


「俺が、何も言い返せないことを言う。ナーシャと同じだ」


「弟子ですから」


「逆だ。俺が、先だ」



 私は、少し笑った。


「……わかった」とフェンは言った。「今回は、留守を守る」


「ありがとうございます」


「だが、一つだけ、約束しろ」


「なんですか」


「何か、おかしいと感じたら——すぐに帰ってこい。意地を張るな。お前は、一人で抱え込む癖がある」



 その言葉に、私ははっとした。


 一人で抱え込む癖。


 七年間、私はずっと、そうだった。誰にも頼らず、一人ですべてを抱えて。


 フェンは、それを見抜いていた。


「……はい」と私は言った。「約束します。おかしいと感じたら、帰ってきます」



「よし」とフェンは言った。「なら、行ってこい。——だが、忘れるな」


「何を」


「お前の帰る場所は、ここだ」とフェンは言った。「どんな宴の、どんな美しい庭よりも。お前が帰る場所は、俺とナーシャとカイルのいる、ここだ」



 私は、フェンの首に、そっと顔を寄せた。


 温かかった。


 少し痩せても、よろけても——まだ、温かかった。


「……はい。帰ってきます。必ず」


「ああ。待っている」


 春の夜が、静かに更けていった。


 数日後の、春の宴。


 アルヴィン殿下が、何を仕掛けてくるのか。


 まだ、わからない。


 でも——私には、帰る場所がある。


 それを胸に、私は、宴へ向かう支度を始めた。


(第106話へ続く)

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