招待状
春が本格的に始まった頃。
アルヴィン殿下から、動きがあった。
一通の招待状だった。
——春の宴を、王城の庭で開きます。ぜひエリーゼ妃に、ご出席いただきたく。
文面は丁寧で、優しかった。いつものアルヴィン殿下の言葉だった。
◆
カイルに見せると、彼はしばらく文面を見ていた。
「……春の宴」
「行くべきでしょうか」
「招待を断るのは、難しいです」とカイルは言った。「王太子の主催する宴を、第二王子の妃が欠席するのは——不自然です。兄も、それをわかって招いている」
「断れない、招待ですね」
「ええ。——兄らしい」
◆
「ただ」とカイルは続けた。「俺も出席します。あなたを一人にはしません」
「ありがとうございます」
「それと——」とカイルは少し考えた。「フェンリルは、連れて行かない方がいいかもしれません」
私は驚いた。
「どうして」
◆
「宴の場には、大勢の貴族が集まります」とカイルは言った。「聖獣を連れていけば、注目を集めます。それに——長時間の外出は、今のフェンリルにはこたえる」
その通りだった。
フェンは最近、また少し疲れやすくなっていた。春の日に元気を見せても、長く動けばすぐに息が上がる。
「……フェンに相談します」と私は言った。
◆
その夜、フェンに宴のことを話した。
フェンはしばらく黙って聞いていた。
「……宴か」
「はい。アルヴィン殿下の主催で」
「俺も行く」とフェンは即座に言った。
「フェン。でも——」
「お前を、あの男のいる場所に一人で行かせるわけにはいかん」
◆
「カイルが、一緒です」
「カイルがいても、だ」とフェンは言った。「俺は、お前の相棒だ。お前が敵地に行くとき、隣にいないわけには——」
そこで、フェンは言葉を止めた。
立ち上がろうとして——よろけた。
ほんの少しだけ。でも、確かに。
◆
「……フェン」
「……問題ない」とフェンは言った。
でも、その声はいつもより固かった。
自分の身体が思うように動かないことを——フェン自身が、一番わかっているのだろう。
私は、フェンの隣に座った。
◆
「フェン。聞いてください」
「なんだ」
「あなたが、私を守りたいと思ってくれること。それが、どれだけ嬉しいか——言葉にできないくらいです」
「だったら」
「でも」と私は続けた。「今のあなたに無理をさせて、もしものことがあったら。私は、宴どころではなくなります」
◆
フェンが黙った。
「私を守るために、あなたが無理をして倒れたら。——それは、私を守ったことになりますか」
「……」
「ならない、と思います」と私は言った。「あなたが元気でいてくれること。それが、私にとって一番の守りなのです」
◆
フェンは長い間、黙っていた。
冬を越えた、春の夜。窓の外で、虫が鳴き始めていた。
「……ずるいな、お前は」とフェンはぽつりと言った。
「ずるい?」
「俺が、何も言い返せないことを言う。ナーシャと同じだ」
「弟子ですから」
「逆だ。俺が、先だ」
◆
私は、少し笑った。
「……わかった」とフェンは言った。「今回は、留守を守る」
「ありがとうございます」
「だが、一つだけ、約束しろ」
「なんですか」
「何か、おかしいと感じたら——すぐに帰ってこい。意地を張るな。お前は、一人で抱え込む癖がある」
◆
その言葉に、私ははっとした。
一人で抱え込む癖。
七年間、私はずっと、そうだった。誰にも頼らず、一人ですべてを抱えて。
フェンは、それを見抜いていた。
「……はい」と私は言った。「約束します。おかしいと感じたら、帰ってきます」
◆
「よし」とフェンは言った。「なら、行ってこい。——だが、忘れるな」
「何を」
「お前の帰る場所は、ここだ」とフェンは言った。「どんな宴の、どんな美しい庭よりも。お前が帰る場所は、俺とナーシャとカイルのいる、ここだ」
◆
私は、フェンの首に、そっと顔を寄せた。
温かかった。
少し痩せても、よろけても——まだ、温かかった。
「……はい。帰ってきます。必ず」
「ああ。待っている」
春の夜が、静かに更けていった。
数日後の、春の宴。
アルヴィン殿下が、何を仕掛けてくるのか。
まだ、わからない。
でも——私には、帰る場所がある。
それを胸に、私は、宴へ向かう支度を始めた。
(第106話へ続く)




