カイルの懸念
その夜、カイルが帰ってきてから、私は昼間のことを話した。
アルヴィン殿下のこと。王立医療院の提案のこと。そして——断ったということを。
カイルはしばらく黙って聞いていた。
それから、ふっと息を吐いた。
「……断ったのですか」
「はい。私には、合わない話だと思ったので」
◆
「……あなたは、すごいですね」とカイルは言った。
「すごい?」
「兄の提案をその場で断れる人は、ほとんどいません。あの人の言葉は——気がつくと頷かされている。それが、兄の最も恐ろしいところです」
カイルが椅子に深く座った。
いつもより疲れた顔をしていた。
◆
「カイル」と私は言った。「アルヴィン殿下のこと、もっと聞かせてください」
カイルは少し迷っていた。
でも、やがてゆっくりと話し始めた。
「……兄は、次の王になる人です」
「はい」
「優秀な人です。頭がよく、人望もある。誰からも好かれている。——表向きは」
◆
「表向き、とは」
「兄は、人を駒として見ます」とカイルは言った。「優しさも気遣いも、すべて——人を動かすための手段なのです。心から人を思っているように見えて、その実、その人が自分にとってどう使えるかしか考えていない」
私は、昼間のアルヴィン殿下の微笑みを思い出した。
甘い果実の種。
◆
「……なぜ、私に医療院の話を?」
「わかりません」とカイルは言った。「でも、兄が動くときは、必ず理由があります。あなたを王立医療院の長にすれば——あなたは、王家の管理下に入る。自由に動けなくなる」
「自由に、動けなく」
「今のあなたは、第二王子の妃でありながら、町の薬師でもある。どちらにも属して、どちらにも縛られていない。——それが、兄には邪魔なのかもしれません」
◆
私はしばらく考えた。
「カイル。一つ、聞いてもいいですか」
「はい」
「あなたとアルヴィン殿下は——仲が悪いのですか」
カイルはすぐには答えなかった。
窓の外の夜の庭を、しばらく見ていた。
◆
「……悪い、というのとは少し違います」と彼は言った。「子供の頃は、普通の兄弟でした。兄は優しくて、よくわたしの面倒を見てくれた」
「では、いつから」
「兄が、自分が次の王になると自覚した頃からです」とカイルは言った。「その頃から、兄の優しさが——変わりました。本物の優しさから、計算された優しさに」
◆
「カイルは、それに気づいたのですね」
「ええ。弟だから、わかったのだと思います」とカイルは言った。「他の人は、誰も気づかない。兄は、それくらい上手に優しさを演じる」
私は、カイルの横顔を見た。
いつも落ち着いているこの人が、兄のことを話すときだけ、少し苦しそうだった。
◆
「……寂しいですね」と私は言った。
「寂しい?」
「だって、本当は——昔のお兄様のことが好きだったのでしょう。優しくて、面倒を見てくれた、お兄様のことが」
カイルがはっとした顔をした。
それから、目を伏せた。
「……ええ」と彼は小さく言った。「好き、でした。今でも——どこかで、あの頃の兄が戻ってこないかと思っています」
◆
私は、カイルの手に、そっと自分の手を重ねた。
「カイル。私は、あなたの味方です」
「……はい」
「アルヴィン殿下が何を企んでいるにせよ、私は、あなたの隣にいます。そして——もし、まだあの頃のお兄様がどこかに残っているのなら。その人を見つける手伝いもします」
◆
カイルが私を見た。
その目に、わずかに光るものがあった。
「……あなたは」と彼は言った。「俺が思っていた以上の人だ」
「そうですか」
「兄を、警戒すべき相手としてではなく——救うべき相手として見てくれる。そんなこと、俺にはできなかった」
◆
「まだ、救えると決まったわけではありません」と私は言った。「アルヴィン殿下が、本当に計算ずくの人なら——私の手は、届かないかもしれません」
「それでも、いいのですか」
「いいです」と私は言った。「届かなくても、手を伸ばすことに意味があります。——七年前の私に、誰かが手を伸ばしてくれていたら。きっと、違ったので」
◆
フェンが、窓辺の日だまりから、ゆっくりとこちらを見た。
「……お前は、相変わらず、お人好しだ」
「フェン」
「だが」とフェンは言った。「そのお人好しが、お前の一番の強さだ。——覚えておけ、第二王子。この女は、敵すら救おうとする。だから、誰よりも強い」
◆
カイルが、フェンを見て頷いた。
「……知っています」
冬の終わりの夜が、静かに更けていった。
アルヴィン殿下が何を企んでいるのか。まだ、わからない。
でも、私には確かなものがあった。
隣に、カイルがいる。
フェンがいる。
そして——どんな相手にも手を伸ばそうとする、私自身の心がある。
それだけで、十分だった。
(第104話へ続く)




