表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
101/182

王城の朝

 ——第二部——


 婚礼から、半月が過ぎた。


 私は今、王城の一室で朝を迎えている。


 高い天井。広い窓。手入れの行き届いた庭。何もかもが、研究所とは違っていた。


 最初の朝、目が覚めたとき、私は一瞬ここがどこかわからなかった。研究所の低い天井が、見えなかったから。



 でも、隣を見ると、フェンがいた。


 王城に来ることを、フェンは当然のように選んだ。


「お前のいるところが、俺のいるところだ」と、それだけ言って。


 広すぎる部屋の窓辺の日だまりに、フェンは伏せていた。


 その姿を見ると、ここがどこであっても安心した。



 王城での暮らしは、思っていたより慌ただしかった。


 第二王子の妃という立場には、やることが多かった。挨拶。書類。儀礼。覚えることは、山のようにあった。


 でも——七年間、家門の行事を取り仕切っていた経験が、ここでも役に立った。


 人生は、無駄になるものが案外少ない。


 あのときの苦労が、今の私を支えていた。



 週に三日は、研究所に通った。


 馬車で半刻ほどの距離だった。カイルが、その時間をちゃんと確保してくれた。


「あなたから研究所を取り上げるつもりはありません」と彼は言った。「あれは、あなたが自分で築いたものだ。妃になっても、薬師のあなたは薬師のままで」


 研究所に行くと、ナーシャが少しだけ大人びた顔で患者を診ていた。



「先生! いらっしゃい!」


「ナーシャ。患者さんは」


「今日は、もう三人診ました。腰痛のおばあさんと、子供の発熱と、あと——」


 ナーシャが、てきぱきと報告した。


 半月留守にしただけで、ナーシャはずいぶん頼もしくなっていた。


 一人で、やらなければならない。その状況が、ナーシャを急速に育てていた。



「立派になりましたね」と私は言った。


「先生がいないと、やるしかないですから」とナーシャは言った。「でも——たまに、心細いです」


「そういうときは」


「手紙、書きます。容赦なく」


「容赦なく、どうぞ」


 私たちは、笑った。


 いつものやりとりだった。



 そんな新しい日々の中で。


 ある日、カイルが少し難しい顔をして帰ってきた。


「……何か、ありましたか」と私は聞いた。


 カイルは、しばらく言葉を選んでいた。


「兄が」と、彼は言った。「兄上が、あなたに会いたいと」



 兄。


 第一王子、アルヴィン殿下。


 私は、まだその方に会ったことがなかった。婚礼にも、公務で遠方にいて出席していなかった。


「アルヴィン殿下が、私に」


「はい」と、カイルは言った。「明日、お茶に招きたいと」


 カイルの声に、わずかな緊張があった。



「……アルヴィン殿下は、どのような方ですか」と私は聞いた。


 カイルは、すぐには答えなかった。


「……穏やかな人です」と、彼は慎重に言った。「物腰も、言葉も柔らかい。誰にでも優しい」


「いい方なのですね」


「……ええ」


 でも、カイルの「ええ」には、何か引っかかるものがあった。



「カイル」と私は言った。「何か、言いたいことがありますか」


 カイルは、私を見た。


 それから、ゆっくりと言った。


「兄は——優しい人です。でも、その優しさの奥が読めない人でもある。言葉は柔らかいのに、なぜか断れない。気づくと、相手の思う通りに動かされている」


「……」


「気をつけてください、とは言いません。あなたなら、大丈夫だと思うので。でも——少しだけ、覚えておいてください」



 その夜、フェンにその話をした。


 フェンは、しばらく黙って聞いていた。


「……第一王子か」


「はい。明日、会います」


 フェンが、ゆっくりと頭を持ち上げた。


「明日は、俺も行く」


「フェン。無理は」


「無理は、しない」とフェンは言った。「だが、お前が知らない相手に会うとき、俺が隣にいないわけにはいかん。——相棒だからな」



 私は、フェンの首にそっと触れた。


 温かかった。


 婚礼の日から、フェンは不思議と、少しだけ元気を取り戻していた。「生きる理由」が効いているのかもしれなかった。


「……ありがとう、フェン」


「礼は、いらん」


 窓の外に、王城の庭が夜の闇に沈んでいた。


 明日、私はアルヴィン殿下に会う。


 穏やかで、優しくて、でも奥の読めない人に。



 新しい日々の、新しい始まりだった。


 第一部が、私の「立ち直り」の物語だったなら。


 第二部は——きっと、私が「立ち続ける」物語になる。


 その予感を抱きながら、私は静かに目を閉じた。


 隣で、フェンの寝息が聞こえていた。


(第102話へ続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ