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第10話「次は自分のために」

夕暮れの縁側で、私は初めて、自分のやりたいことを声に出した。


「薬草研究所を、作りたいのです」


殿下が静かに聞いていた。


「近隣の方々が薬を求めて来てくださるようになりました。でも、ヴァルハイン家の庭だけでは限界があります。もっと多くの薬草を育てて、もっと多くの人に届けられる場所を——」


「資金は」


殿下が短く聞いた。


「……今は、ありません」


「土地は」


「これも、今は」


「許可は」


「……全部、これからです」


我ながら、何もないと言っているようなものだった。

でも、殿下は呆れた顔をしなかった。


「そうですか」とだけ言って、少し考え込んだ。



フェンが私の隣で体を起こして、殿下をじっと見た。


「お前は何を考えている」


「……聖獣に聞かれるとは思いませんでした」


「答えろ」


殿下が少しの間があってから、静かに口を開いた。


「王家には、使われていない土地がいくつかあります。薬草研究のための土地として提供できるものがあるかもしれない」


私は目を丸くした。


「そんな、そこまでしていただくわけには——」


「あなたの薬は、すでに人の命を救っています。国として、それを支援する理由があります」


「でも」


「それに」


殿下が少し間を置いた。切れ長の目が、真っすぐに私を向いた。


「俺が、したいのです」


静かな声だった。

押しつけがましくもなく、強制するわけでもない。ただ、迷いがなかった。


私はしばらく、何も言えなかった。


七年間、誰かのために動き続けた。

誰かに「してあげたい」と言ってもらったことは——なかった気がする。


「……ありがとうございます」


声が、少しだけかすれた。



殿下が帰り際に立ち止まって、振り返った。


「一つだけ、聞いていいですか」


「どうぞ」


「ガーランド家にいた七年間。幸せでしたか」


不意打ちだった。


私はしばらく考えた。幸せだったか。幸せではなかったか。どちらとも言い切れない気がした。


「……幸せを求めていなかった、と思います。役に立てれば十分だと思っていました」


「今は」


「今は」


私はフェンを見た。白銀の毛並みが夕陽に染まって、金色に輝いていた。


「幸せになっていいかもしれない、と思い始めています」


殿下がそれを聞いて、また微笑んだ。今日一番、はっきりとした笑顔だった。


「……それが聞きたかった」


「なぜですか」


「そういうあなたに、改めてお願いがあるからです」


「お願い?」


殿下が一歩、こちらへ踏み出した。


「俺と、もう少し話をする時間をもらえませんか。研究所の話も含めて。……それ以外のことも」


「それ以外、とは」


「あなたのことを、もっと知りたい」


夕暮れの橙色の中で、殿下の目が真剣だった。


私の胸が、静かに揺れた。


七年ぶりではなく——もしかしたら、生まれて初めての感覚かもしれなかった。


「……わかりました」


私は静かに答えた。


「お時間をいただきます」


フェンがため息をついた。大きくて、盛大なため息だった。


「……何ですか、フェン」


「別に」


「絶対に何かあります」


「うるさい」


フェンは横を向いた。耳の先だけが、少しだけ赤みがかって見えた。


気のせいかもしれない。でも、私は少しだけ笑った。


——次は、自分のために生きてみよう。


その言葉が、初めて本当の意味で、腑に落ちた夜だった。


翌朝、思いがけない知らせが届いた。

ミレーヌという女性の、出自に関わる話だという。


(第11話へ続く)

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