第七話 勘違い
あの後、レンジはカオルからしっかりと叱られていた。
叱ると言っても、カオルは声を荒げることもなく、諭すように静かに言い聞かせていた。それを見たミツバは「大人ってこういうことなんだ」と感心していたのだが、
「あれ、鬼人にしか分からない方法で怒られているんですよ」
とソウジがこっそり教えてくれた。見れば彼も彼で若干顔色が悪い。ソウジは叱られてはいないものの、彼の目にはミツバに見えない何かが映っているのかもしれない。鬼人の世界のあれこれは、まだまだ分からないことだらけである。
なるほどなぁと思いながらお説教が終わるのを待っていると、三十分ほどでレンジは解放された。
しかし終わったのは説教だけだ。彼はその後、店内の後始末をすることになっている。レンジは首から『私が壊しました』というパネルを下げて、箒と塵取りを持って散らばったガラスの掃除をし始めた。
(何故あんなパネルが……?)
ミツバは若干訝しんだが――カオルを見て怯えていたあたり、レンジはこれまでにも何かしら騒動を起こして叱られていたのかもしれない。
「はぁ、酷ぇ目にあった……」
「お店を壊したレンジ君が悪いんですよ?」
「分かってるよぉ……」
もはや怒鳴り返す元気もないようで、レンジはしょんぼりとしながら箒を動かす。
背中を丸めているせいで、背丈が大きいわりにぐっと小さくなって見えた。
「ねぇソウジ君。カオルさんってお強いんですね」
「祓い屋が集まる店のマスターですから。たまにね、店の中で祓い屋同士の喧嘩が始まることもあるんですよ。鬼人って血の気が多いので」
「それは……大ごとになりそうですね?」
「ええ、その通りです。その度にマスターから叱られて、レンジ君みたいに首からパネルを下げて後片付けをさせられています」
どうやらあのパネルは、レンジだけが使っているわけではないらしい。
あらまぁと思いながら、ミツバはすっかり冷めてしまったほうじ茶をひと口飲んだ。
「――さて、それでレンジ君。先ほどの話の確認ですが、あなたは僕とツバキさんが婚約すると勘違いして、慌てて飛んで来たんですか?」
「べっ、別に慌てたわけじゃねーよ! たまたまだ! その……親父達がそんな話をしているのを聞いてだな……」
「ああ、なるほど。賀東家は相変わらず、耳だけは早いな……」
「おいコラ、耳だけって何だ耳だけって!」
レンジがくわっと目を見開いて文句を言う。
その直後、カウンターの方から「レンジ君?」と呼びかけるカオルの声が聞こえてきた。それだけだったがレンジには効果覿面で、彼は慌てて口を閉じると「ハイッ!」と裏声のように高い声で返事をして、せかせかと掃除を再開する。
そんな姿を見て思わずミツバが小さく噴き出すと、レンジはバツが悪そうな顔になった。
「あー……えっとな。ミツバだったよな。その……勘違いして悪かった。怪我はしてないか?」
「大丈夫ですよ。ソウジ君が守ってくださったので」
「そうか、良かった。……俺は賀東レンジってんだ。ツバキとは同級生になる」
「あら、姉さんの。それでは先輩ですね。改めて、吾妻ミツバです。よろしくお願いします、レンジ先輩」
「せっ、先輩っ!?」
するとレンジが素っ頓狂な声を出した。
彼はひどく驚いた顔で、よろよろと数歩後ずさり、
「そ、そうか、先輩か……。悪くないもんだな……へへ……」
――何やらニヤニヤとし始めた。
それを見て、ソウジの目が不快そうにすうと細くなる。
「ミツバさん、この人なんて呼び捨てで構いませんよ」
「何でだよ! っていうかお前も後輩だろ。先輩って呼んでいいんだぞ!」
「え……嫌……」
「わりとガチめの拒絶が心にくる……」
丁寧な口調も引っ込んだソウジの拒絶に、レンジは頬を引きつらせた。
ミツバはソウジに何となく大人びた印象を受けていたが、こういう風だと年相応に見えて微笑ましい。思わずふふっと微笑んでいると、ソウジはハッとミツバを見て、
「ああ、えっと……一応、賀東家も祓い屋になります。吾妻さんのところと同じ攻め手側ですね」
少し早口になって、誤魔化すようにそう教えてくれた。
「お前はいちいち癇に障る言い方をだな……」
「違います?」
「違わねーけどもよー」
「……お二人共、本当は仲がよろしいのでは?」
十和田家を目の敵にしていると聞いて、二人の仲も険悪なのかなと思ったが、会話を聞くとそこまで酷くはないように感じられた。むしろ仲が良いからこそ、口喧嘩をしているというか――。
だからそう言ったところ、二人に「ええ……」顔をしかめられてしまったけれど。
「ところでレンジ先輩、ご質問があるのですが」
「おう、何だ?」
「レンジ先輩って、ツバキ姉さんのことがお好きなんですか?」
「んなっ!?」
ミツバが一番気になっていた部分を聞くと、とたんにレンジは咽た。
「な、な、な……!? 何を馬鹿なことを仰って!?」
「なるほど、分かりやすい……ありがとうございます」
「何で俺は礼を言われたんだ!? あ、いや! あの、その……だな……好きっていうかぁ……」
「はっきりされた方が姉さんの好みだと思います」
「好きです」
ミツバがそう言えば、レンジはキリッとした顔でそう答えた。
ようやく彼が今回の騒動を起こした理由が分かって、ミツバは満足気に頷く。
レンジはツバキのことが好きで、だからこそ気になって様子を見に来た。しかしミツバの姿があったことで頭に血が上って、それで殴り込んで来たというわけである。
やり方は大いに問題があった。けれどもやっぱり良い鬼人なのだろう。
ミツバがだんだん微笑ましい気持ちになっていると、それに気が付いたらしいレンジが、拗ねたように口を尖らせる。
「なぁ、頼むからツバキには絶対に言わないでくれよ。ちゃんとあいつより強くなって、自分から言うからさ」
「ええ、もちろんです。ふふふ」
「ふふ、僕、この人が義兄になるの嫌ですねぇ」
「めちゃめちゃ良い笑顔で何てことを言うんだお前。俺だってお前が義弟になるの嫌だよ」
「やっぱりお二人、仲が良いんですね」
「どこがそう見えました?」
「目が悪いのかお前は」
ミツバがしみじみと言うと、二人揃って心外だという反応をされてしまった。
やっぱり仲が良いと思う。
「あのさ、ところで……ミツバはソウジと婚約するんだよな?」
「はい。お互いに問題がなさそうなので、そうなると思います」
「ちなみにお歳は?」
「ソウジ君と同じ十五です」
「ほーん。となると、今度の春から常桜学園に通うことになるわけか……」
そう言うとレンジはニッと笑った。
「そんじゃ、その時は俺もちゃんと面倒見てやるから、安心しろよ」
「全然安心できないことを言いますねぇ」
「ソウジは本当にクソ生意気だな」
半眼になるレンジを、ソウジは鼻で笑っていた。
そんな話をしながらお茶を飲んでいるうちに、あっという間に時間が過ぎていく。
やがて仕事を終えたスギノ達が店へ戻って来て、この惨状を見てぎょっとすることになるのだが――それはもうしばらく後の話である。




