第一話 おかえりなさい
ミツバが吾妻家に引き取られることになったのは、ほんのささいなきっかけからだった。
彼女が児童養護施設に引き取られたのは七歳の頃。当時のミツバは、その年齢の子供にしては異様に冷めていた。両親から自分の世話と放置を、四対六の割合で受けていたからかもしれない。
両親からは愛情らしいものはほとんど感じることはなかった。両親にとってミツバは、血のつながった同居人のようなものだったのだろう。
それでも人並みの生活は出来ていた。ミツバの両親はどうしようもない人間ではあったが、ほんの一握り程度の常識は持ち合わせていたようだった。
さて、そんなミツバが預けられた施設だが、幸運なことにそこの職員は皆、情に厚い人達ばかりだった。優しく、そして大事な時に厳しく接してくれた彼女達のおかげで、ミツバは施設で暮らす子供達とも友達になれた。
恐らくあのまま両親のどちらかに引き取られていたとしたら、こんなに穏やかな気持ちで日々を過ごせることはなかっただろう。
そうして施設で過ごしていたミツバが十二歳になる頃。そこで彼女にとある転機が訪れる。
施設の手伝いで買い出しに出かけたところ、ミツバはとある黒髪の少女を助けた。
その少女は頭に『鬼人』の特徴である角を生やしていた。
鬼人とは頭に角を生やした、人間よりも少々体が大きく、不思議な力を扱える種族だ。古い時代は妖怪とも呼ばれていたらしい。
そんな鬼人の少女だが、事情を訊けばどうやら道に迷っているようだった。そこでミツバが何気なく助けたところ、彼女にとても気に入られたようで、その一週間後にはミツバを引き取りたいという申し出があった。
引き取られるまでには話し合いや身辺調査など色々あったらしいが、その辺りのことはミツバは良く知らない。ただ色々と情報を提示された上で「ミツバはどうしたい?」と訊かれ――しばらく考えてミツバは承諾した。
それがミツバが鬼人の家、吾妻家に引き取られた経緯である。
◇ ◇ ◇
義姉に着付けの手伝いをお願いすると、彼女は始終ご機嫌でミツバの世話を焼いてくれた。そうして準備を整えると、ツバキに手を引かれて玄関へと向かう。
するとそこにはすでに義母のキキョウが、義父のスギノを出迎えていた。
キキョウはミツバ達の姿を見ると、キッと目を吊り上げる。
「あなた達、遅いですよ! 何をしていたのです!」
「ごめんなさい、お母様! ちょっと支度に戸惑っていたのよ。ほら、見て、この子の姿!」
ツバキは慌てて謝って、それからミツバへ手を向けた。
どうだ、と言わんばかりの笑顔で押し出されたミツバ。キキョウはミツバの頭のてっぺんから足のつま先まで検分するかのようにじっくり眺め、それから静かに口を開いた。
「――ツバキ」
「なーに?」
「あなた、自分の髪飾りを貸してあげたの?」
「そうよ。だってこの着物に似合う髪飾りがなかったんですもの!」
ツバキがそう答えれば、キキョウは眉根を寄せてミツバを見る。
「ミツバ!」
「はい!」
鋭く名を呼ばれ、ミツバは反射的に背筋を伸ばす。
「先日、この着物に合う髪飾りを買うように言ったでしょう? ツバキも一緒だったのに、選ばなかったの?」
「あっ、えっと、それは……」
「お母様、違うんです。髪飾りはちゃんと選んだんです。でも……」
あわわ、としどろもどろになるツバキを見て、ミツバは一歩前に出た。
「その……桔梗と椿をあしらった髪飾りを見つけて。それを見ていたらお母様と姉さんの顔が浮かんで、これがいいなって私が思ってしまって」
「――――」
申し訳ない気持ちも込めてミツバが言えば、キキョウはピシリと固まった。
本音ではあったが、少しあざとい言い訳だったかもしれない。
ツバキと一緒に買い物に出かけた時に、桔梗と椿の花をあしらった髪飾りを見つけてしまって、どうしてもそれを選びたくなってしまったのだ。大好きな二人の名前の花の髪飾りだったから。
ただその髪飾りはこの着物には少し合わないので今日はつけていないが、それでもやっぱり、買ってきたものを選んだ方が良かったかもしれない。
そんな風にミツバが反省していると、
「そ……それならば仕方ありませんね! 今度はその髪飾りに合う着物を探してあげましょう!」
キキョウは少し照れたように頬を染めると、ぷいっと顔を反らしてそう言った。その横顔はツバキそっくりだ。
どうやら義母の怒りは収まったらしい。良かったとミツバは胸を撫でおろしつつ、それはそれとして着物に関しては遠慮しようと思っていると、
「ちょっと待ちなさい」
今度はスギノが待ったをかけた。
強面であまり表情の変わらないミツバの義父は、眼光鋭くこちらを見下ろす。
「……桔梗と椿の髪飾りか」
「はい」
「……なぜ」
ぽつり、と短くそう聞かれた。何がだろうかとミツバが首を傾げる。
「なぜ、私がそこに入っていないのだ?」
スギノは真顔で、そして少し拗ねたようにそう言った。
どうやら自分の名前の植物が髪飾りに入っていないことが気になったらしい。
それを聞いてキキョウが小さくため息を吐いた。
「あなた、そんな事を仰っても……。杉の髪飾りは、私もあまり見たことがありませんわよ」
「だがずるいではないか、お前達だけなんて! 私だってミツバの髪飾りの仲間に入りたいのだ!」
「杉の実ならあるいは……?」
あまりにも義父が悔しそうなので、何かないかと考えながらミツバはつぶやく。するとスギノは希望を見出したかのようにハッとした顔になる。そしてミツバ達にくるりと背を向けて、外へ出て行こうとし始めた。
「――今すぐに、杉の実の髪飾りを探しに行ってくる」
「あなた。帰って来たばかりで出かけるのはおやめなさい」
「だが!」
「そうよ、お父様。食事だって用意してあるのよ? お父様の好きなものがいっぱい! ミツバが頑張って用意したのに」
呆れたように言うキキョウとツバキの言葉に、スギノの足が止まった。
それから彼はゆっくりと振り返る。
「――――それを早く言いなさい」
フン、と鼻を鳴らしながらスギノは満更でもなさそうに言う。機嫌はすっかり良くなったようだ。
良かったとミツバが思っていると、ツバキに肩をちょんちょんとつつかれた。
「ところでミツバ。あれがまだよ」
「そうね、姉さん」
――そう、そうだ。大事なことがまだだった。
ミツバは義姉に頷いて、スギノを見上げる。
『お帰りなさい、お父様!』
そして二人は声を揃えてそう言った。
するとスギノは雷に打たれたかのように固まり、手で口を覆う。
「た、ただいま……。くうっ、私の命日は今日だったか……!」
スギノは何とも胡乱なことを言っていたが、その後はほんの少しだけ微笑むと、ミツバとツバキをそっと抱きしめたのだった。




